End- 6 破滅の言霊
・邪神ユラン
我が輩とゼファーは螺旋の回廊を下りゆき、その最深部にてこじ開けられた牢と、おびただしき奇妙な物体を見た。
恐らくはケルヴィムアーマーだったものだろう。
天獄の炎に焼き払われ、蒸発し、それが刺々しい虹色の結晶と化したものが広い床、壁、高い壁の全てにへばりついていた。
いや重要なのはそこではない。かつて我が輩が騙し、封じ込めた牢獄の奥底に、我が輩は片目と口を失った創造主サマエルそのものを見つけていた……。
我が輩が裏切り、我が輩がここに彼を封じた。こうする他になかった。それでも開き直ることを拒んだ我が輩の胸は罪悪感に狂おしく痛んだ。
糾弾されるだろう。なぜ裏切ったのだと、我が輩が愛したサマエル本人に……。
「あ、アウサル……? いや、違うか。だがこれは……」
ゼファーが驚くのも無理もない。我が輩の使徒とサマエルは似ていた。
その12枚の羽を持った元天使は、美しいが冷たく、激情を持たないが情け容赦もない。
そこにサマエルがいた。ならば我が使徒アウサルはサマエルではない。むしろ彼は何者だったのだろうか。
「久しいな、サマエル」
「ああ、お前も来たか……」
白公爵は天獄が破られるなり、すぐに姿を現した。
こやつらの目的は復讐、決着を付けるために機会をうかがっていたのであろうか。
公爵の言葉にサマエルは翼を羽ばたかせ、贅を尽くした至高の獄舎より外へと抜け出した。
わざわざ我が輩の前に立ち、まずはこちらを無視しおった。
「惜しかったなユラン、公爵。それと命を歪められた有角種の女よ。俺はこうして復活した」
サマエルのやつは既に勝利を確信していた。
心臓と、片目と、口を失っているというのにだ。
「ふっ、増長したものだな。私たちに対して創造主気取りは虚しかろう、薄汚い簒奪者よ」
「敗北者が何を言っても心に響かないね。それにユラン、よくも、俺を騙してくれたね……。ユランだけは、どんなときも、何が起きても俺の味方でいてくれると思っていたのに……。よくも、俺をこんな場所に、閉じこめてくれたね……」
我が輩はその言葉が怖かった。繰り返し繰り返し夢に見た。
恐れと悲しみ、牢に封じても変わらなかった彼の心に絶望した……。
「長かった、辛かった、気が狂いそうなほどの時を、ユランに裏切られた傷心と共に生きたよ……」
「サマエル、だけど我が輩は……もうこうするしか……。ッッ……」
もう堪えられなかったのだ。
我が輩のために主人らをアビスに堕とし、少しずつ変わり果てていったそなたの姿が……。
こっちだって言いたいことがある。説得はもはや意味をなさぬとわかっていても、言わなければならんこともある! それを思い出した!
「ならばなぜ、なぜ狂ったのだサマエル! あの頃の、やさしいそなたはどこに消えた! そなたこそ、どうして変わってしまったのだ!! やさしいお前なら、世界を大切に育んでくれると、我が輩は信じていたのだぞ!!」
悔しいが結果の分かり切った繰り言だ……。
サマエルは我の言葉に顔色一つ変えなんだ……。
「心中お察しするよ、ユラン。だが頂点とはそういうものだ、座の高さが見えるもの、感じるものを変えてしまう。……さてそろそろ牢獄に戻ってもらおうか。この私と、有角種の執念、神殺しの刃に倒される前にな」
「思わぬ方から指名が入ったものでござるな。この世界の主よ、哀れむ部分はあるでござるが、どうかご覚悟を……」
もうやるしかない。裏切りを責め立てられようとも、今ある地上を守るために我が輩は戦う他にない。
アウサルのおかげで我が輩は多くの仲間を得た。地上に再び理想郷が蘇らんとしている。
あの日、神の雷により滅びた我が千年王国、消えていった仲間たちのために、もう止まれぬ、たもとはとうの昔に分かたれていたのだ。
「悔い改めろサマエル! 今ある種族を認め、静かに見守ってくれるというなら……我が輩は……貴殿と共にその獄に入ってもいい……。ずっと後悔しておった、我が輩の間違いは、あのとき、貴殿と共に、そこに入らなかったことだ!!」
「断る。ユランこそ反省してよ。こんなところに俺を閉じ込めた罪を、俺を裏切った事実を、今度はユランがこの牢の中で味わうんだ」
わかっておった、その返事も予想していた。
苦しい、精神がまいってしまいそうだ。
アウサル、我が輩に力を貸してくれ、必ずそなたらの栄光を地上に築いて見せる、だから、どうか力と勇気を……。
「諦めろユラン、天の座に身を置いた者は遅かれ遠かれ狂う。もう力ずくで倒すか、封じる他にない」
「あははっ、大した思い上がりだね。お前になんか何が出来るんだ」
白公爵ヴェノムブリードが車椅子より降りた。
するとおぞましい光景が生まれる。踏みしめた大地が黒く汚れ、瘴気と毒を放ち出した。
さらには老人の左腕がアンバランスに肥大化し、巨大な獣の爪となって、それが今サマエルに振り下ろされた。
「かつて神の右腕だった男が、哀れな末路を描いたものだね」
重撃をサマエルは銀の神剣をもって受け止めた。
「黙れ、小間使い! お前が裏切らなければこうはならなかった! その結果がこのざまだッ、私たちを追い落としておいて、なんて情けないざまだ!!」
「翁よ、助太刀するでござるっ!」
「ッ、許せ、サマエル……」
ゼファーと我が輩もその死闘に加わった。
我が輩の竜爪と、ゼファーの脇差しがやつの剣とぶつかり合う。
いくつかのパーツを失ったとはいえ、絶対の力を持つ世界の主には、我が輩たちの力をもってしてもまともなダメージを与えることが出来なかった。
だがそれこそがサマエルの慢心であり、我が輩たちの勝算でもある。
「絶望しろ、誰を敵に回したのか後悔しろ、絶対に勝てない相手に斬りかかった自分を呪え。ヴェノムブリード、もうお前たちの時代は終わったんだ」
そんな中、ゼファーのやつは必殺のタイミングをただ待ち続けた。
サマエルは神殺しの刃を甘く見ている。その慢心を突き、確実にほふるためにチャンスを待った。
かつて栄華を誇った地上で最も優れた種族の一員として、長き悲願を果たすために。
そして激闘の果てに、とうとうその瞬間がやってきた。
公爵と我が輩の爪がサマエルの動きを、全身全霊の同時攻撃により硬直させた。
「サマエルッ、我ら有角種は、地上で最も優れた種族! 思い知れっ、我らが断じて、失敗作などではないことをッッ!」
中距離を保っていた銀角のゼファーが、今日まで積み重ねてきた武芸の全てをかけて突撃する。
地上の果てに追いやられた有角種の意地だ。神殺しの刃を振るい、サマエルの首を一太刀で奪った。
それだけでとうてい死ぬとは思えん。さらには胴を袈裟斬りで断つ。
「うっ、がっ……ぁ、ぁぁぁぁ……?!」
ところがそれでもヤツは死ななかった。
両断された身体を魔法の白き茨で食い込ませ、縫い付けて固定してしまった。
「なんてね。これは驚いた……傲慢なる有角種の執念、まさかこれほどだったとはね……。けれど斬っただけだ、はははっ傷口が灼けるようだよ」
「ならばタマネギのようにただ切り刻むのみでござるっ!!」
我が輩がカバーをするチャンスすらなかった。
我らの切り札は一瞬で12枚羽根の簒奪者に間合いを詰められ、その美しい銀角を握られた。
悲鳴が上がった。角がへし折られ、刀で敵の剣をどうにか受け止めたものの、結晶おびただしい壁に叩きつけられた。
あまつさえ、サマエルは折った角をその腹部に投げつけ、己を滅ぼしえるただ1つの存在を壁に縫い付けた。
「グッ……む、無念……」
たったそれだけで戦闘不能になった、ゼファーは刃を己の手よりこぼれ落としていた。
「やはりその刃だけでは死には至らぬか……」
「こんなもので勝てると思ってたなんて、愚かな種族だ。やっぱり失敗作だよお前たちは」
怒りがゼファーを再び突き動かす。
刀に手を伸ばし、どうにかそれを取り戻したものの……腹に刺さった角が抜けない。
そんな中、白伯爵が我が輩に振り返り、何の意図か仰々しいお辞儀をした。
「ユラン、あなたにあらためて謝罪しよう、やはり私の主人は間違っていた。あなたの翼が癒え、このサマエルと共に、この地を去るのを待つべきだった。我が主は、このサマエルに等しく愚かだった」
意外な言葉に驚かされた。それはどうも奥の手を使うという意思表明だったらしい。
彼が言う通り、確かにあの時が運命の分岐点であった。
サマエルの裏切りと簒奪を予期できなかった時点で、彼ら古き神々もまた、世界の管理者たる器でなかったのだと我が輩は思う。
神の右腕だった白き翁は、哀れな簒奪者に飛びついた。
神殺しの刃がサマエルの動きを鈍らせていたからこそ可能だったこともある。
「もはやあの頃に帰れぬというならば、我らの苦しみ、アビスの毒を受けよ、サマエル!!」
そこからはあっという間だ。白公爵はアビスの毒そのものと化して、サマエルを侵し、蒸発した。
しかし結果もわかっていた。神殺しの刃に斬られても、アビスの黒き毒を受けても、サマエルは立っていた。
多少は弱っていたようだが平然と、我の前に迫り来るのだった。
「懐かしいねユラン。ユランを守るために僕は、俺は彼らを裏切った。ユランを失うのが嫌だったから」
「そうだな……我らが出会ったのが、そもそもの間違いであったのであろう……」
翼を持ったアウサル、いやサマエルは瞳を閉ざした。
無防備なその態度はチャンスにも見えたが、隙が感じられない。
「気が変わったよ。ユラン、もう一度やり直そう。今ある種族をリセットして、今度こそ完璧な種を生み出すから……どうか、もう一度だけ、俺の隣でそれを見守ってくれ」
殴りかかれば良かったと後悔した。
やさしかった彼がまたもや世迷い事を繰り返した。
「サマエル、彼らは生きているのだ。神の座にあるからといって、軽々しくそれを滅ぼすべきではない。それに、我が輩は地上の民と友情を結んだ。それを裏切ることは、もはや到底出来ようことでない」
サマエルの手から剣が落ちた。
やっとわかってくれたのか。そう期待した我が輩が甘かった。
悲しみの混じった冷たい瞳が憧れのユランを見て、絶対者とは思えぬ弱い声色で、言った。
「なら……なら、いらない……」
「なに、いらない……?」
「そんなことを言うユランは、もう要らない。狂ったユランを殺して、その魂を用いて俺は、新しいユランを――」
我が輩は次元を渡り、世界を見つめる役割を持たされた竜。
数多くの世界の破滅を見届けてきた。
絶望した神は必ずそこに帰結する。全てを創造する力があるのだから、一番大切にしているものすら平気で捨ててしまう。
だがそれだけは捨ててはならんのだ。人形遊びの果てには虚無が待っている。
我が輩こそがそなた最後の理性、我が輩はそう信じておる。
だから言ってはならん、その言葉だけは、口にするなサマエル……! 止めろ、言うな!
予告
完結まで残り2話




