End -4 世界で一番色気のない唇
・アウサル
妙なところに立ち会ってしまったようだ。
死の直前にサマエルの枷より解かれた暗黒竜は断罪した。
よもやそこに、サマエル当人がいるとは思いもしなかっただろう。
崩れゆく暗黒竜が俺の姿を見つけた。見るなり驚愕し、激しい憎悪を向けた。
「き、貴様……なぜこんなところに……?! ――エルッッ!」
憎まれ、蔑まれて当然だ。サマエルが天の簒奪者である事実は変わらない。
地上で言えば、奴隷階級が奇跡の魔法を使って玉座を奪うようなものだった。
竜は怒れるまま灰と化し、やがてこの世から消えていった。
「おおアウサーッ、なっ、なんだその格好はーッ?!」
「おいおい旦那、その目はなんだ? こっちが合流に四苦八苦してる間に、何がどうなってんだよ……」
「歯に衣着せずに言ってしまえば、さらに人間離れしてしまいましたね、アウサルさん」
ジョッシュの相変わらずの毒舌に俺は笑っていた。
何となく自覚はしていたが酷い外見になっていたらしい。
「おいジョッシュ、そういう言い方ねぇだろ!」
「いい。それに自分じゃわからん、どうなってるんだ?」
そんなことより彼らの無事が俺にはただただ嬉しかった。
生きているはずのない仲間が、こんな危険な場所まで駆けつけてくれたのだから。
「はい、左の竜眼が人間の目になっています。一見ヒューマンに近づいたようですが、気づいてないようですし、右側の腕を落ち着いて見てみて下さい」
怖い言い方をしてくれる。意を決して腕を見ると、そこに赤い鱗が生えていた。
足し算と引き算の結果は、どうやら前よりヒューマン離れしてしまったということらしい。
それにこの赤い鱗は、まるで……。
「驚いたな。ではすまんがラジールを頼む」
そんなことよりも天獄へ急がなければいけない。
復活を止められたのならそれでいい。そうでないのなら俺がヤツを止めなければならない。
思えば破滅を迎えたサマエルはあの時、時空を渡る竜ユランの遺体と融合した。
それが現世のサマエルの心臓を奪ったことで、混じり合っていた2つが分離し始めているのかもしれない。
「まあこの状態のラジールさんを捨て置けませんね。押さえておきたい退路でもありますし、ここは」
「いやそれよかよ、大丈夫かよ旦那?」
ダレスはいつだって頼りがいのあるやさしい男だ。
けれど今は甘えてなどいられない。世界が最悪の結末を描く前に動きたい。
「大丈夫だ。それとゼオン――いや、天使サマエルは倒した。本物が復活を果たす前に俺は天獄に向かう。もし、本物が獄より抜け出していたら……けじめを付けなければならないからな」
「はて外見はともかく、アウサルさん、どうも今のあなたは普通の精神状態ではありませんね。事情は聞きませんが、少し落ち着かれてはどうでしょう」
「だから何があったんだよ、アウサルの旦那。まあ話してる時間はねぇか……とりま、落ち着けってよ」
罪悪感を抱いた。俺はユランだけではなく、彼らも騙していた。
この戦いが終わったら罪人は白き死の荒野に帰ろう。そこでアウサルという役目を永久に終わらせるのだ。いや、よく考えればそもそも……。
「ありがとう、ダレス、ジョッシュ。アンタたちが生きていてくれて、本当に良かった……。だがこの先はもういい、ラジールを頼む……」
ユランの勝利する未来にサマエルの復活はいらない。
もし復活していようとも、俺が命をかけてでも牢獄に押し戻す。
「おい、アウサル待て! ちょっとこっちこいっ! ……もっとだ、もっと近く、早くくっつけ!」
ところがラジールは俺の都合なんていつだってお構いなしだった。
俺を大声で呼び止めて、ヘロヘロだっていうのに剣を杖に立ち上がった。
危なっかしい足取りでこちらに歩いてくるのだから、なかば衝動的に振り返って支えるはめになった。
「わははっ、かかったな! ん……っ」
だがソイツは大きな間違いだった。豪傑にしてはやけにやわらかな唇が、血の味の混じった口付けを俺にくれた。
ラジールらしいというか何というか……鮮烈な鉄の味だ。色気など当然どこにもない。
「おやおや、ついに女の武器を使いましたね」
「はははっ、こりゃぶったまげたわ! やるじゃねぇかよラジールよっ!」
しかも人前だとくる。
罪悪感に染まった心が、異界の言葉でいうところのシリアスモードが、鉄臭い色恋に書き換えられていた……。
「何を考えてるんだアンタ……。よりにもよってこんな状況で、はぁ……。いつだってアンタは状況をひっかき回してくれるな……」
「何となくこうするべきだと思っただけよ。落ち着いたかアウサルよ?」
「アンタな……落ち着くわけがないだろう……。いや、ある意味で頭と肝は冷えたが……」
不思議なものだ。ラジールのおかげで、サマエルからアウサルへと俺の人格が切り替わっていた。
確かに54代目アウサルとしての俺から見れば、今の自分はらしくないかもしれない。
道楽に生きるのが俺たちアウサルだ。
「長く戦場に身を置くと見えるのだ。死相とでも言える形相がな。あんまりそういう顔はするなよ、死ぬぞ」
「アンタが言うとこれほど生々しいセリフもないかもな。……ありがとう、気をつけよう」
ラジールに笑い返されてしまった。
どういう反応をすればいいのかわからない。とにかく先を急ぐか。
二股の廊下の最短距離の方に歩き出す。いやしかし、俺はふと足を止めて後ろを振り返った。
「エルザスは……?」
もしかしたらエルザスも……。そんな淡い期待が少しばかしの時を浪費させた。
「はい、本陣にいた者はチリと消えました。わたしたちは何の運命のいたずらか、南方より現れた敵軍の迎撃に向かっておりましたので……すみません、あの方は守れませんでした」
「そうか、そうだろうな、それは残念だ……。どう伝えたらいいのだろうな、このことをルイゼに」
後悔も悲しみも罪悪感も、血なまぐさい口付けが麻酔となってくれた。
こんな姿になった俺をア・ジールの民が受け入れてくれるかはわからない。だが今は何も考えず走り、愚かな簒奪者を止めよう。
ふと走りながらも後ろを振り返る。ラジールはケルヴィムアーマーを敷物にして、上がらないはずの腕を無理に上げて手を振ってくれた。
ずいぶん困らされたものだが、彼女にはいくら感謝しても足りる気がしない。
ルイゼの白銀のスコップと豪傑ラジールとの絆が、俺をアウサルとして保ってくれていた。
「行けっ、我らの帝王アウサールよ! 黄金の沃野が我らを待っているぞ!」
「アンタはおとなしく休んでくれ……」
しかしそれにしても、繰り返すことになるが……血生臭く、色気の一つもない口付けもあったものだな……。




