End -3 散りゆく者と遠い面影
・ラジール
「ふっふはは……我の悪運もまだ尽きておらんかったか。今回限りは、死ぬかと、思ったぞ……」
ケルヴィムアーマーと機械仕掛けの天使が、片膝を突いた我を討ち取るその直前に、どういうわけか止まった。
まさか機械人形にまで情けをかけられるとはと、最初は心外だったが、どうもそれとは違ったらしい。
「ッ……さすがに、ぅ、ぅぅ……我も、限界か……」
どこが患部かと聞かれたら、我はこう答えようか。全部だと。
流血と打撲は全身に及び、我が輩は血に膝を突いたまま、深く呼吸を戻すことにつとめることになった。
しかしここは敵地、隙を見せるわけにはいかない。いち早く立て直さなければ……。
こいつらが動きを止めたということは、我らの同志アウサルが天使サマエルを討ち取ったということだろう。
ならばもうじきここに来るはずだ。ならば負けてられない、こんな情けないところは見せらんのだ。
「これが天上の戦いか、たまらん……まさか全て出し尽くすことになろうとは……。ぬんっ!」
我は愛剣を頼りに立ち上がった。
しかしな、ソイツはそれを待っていたんだろう。低く巨大な言葉が宮殿に響き渡っていた。
「見事だ、ユランの戦士よ。その状態で立ち上がるとはな、ついに生物の域を越えたか」
「なんだ……そこにいたのか。まだ休ませてはもらえんようだな……」
天使サマエルは保険をかけていたようだ。
我が下がりきった視線を上げると、動かぬ鎧人形の向こう側に黒い竜がいた。
それと直感が言っていた、コイツは味方ではないとな。
「地より剣を抜け、史上最強の戦士よ」
「ふんっよかろう、どこの竜様かは知らんが、このラジールが相手になってやろうっ! ゥ、クッ……」
とはいえ体力は既に限界のどん底を踏み抜いたところだ。
それとなく聞いたことがあるな。アウサルが古き地層より竜の骨を掘り当てたことがあった。
竜人アザトの先祖はサマエルにアビスに落とされたとも聞く。
「我が名はラジール、反逆の地下帝国の強引な方担当よ! 黒き竜よ、名を名乗れ!」
「名はもう忘却した。だが偽りのサマエルは、俺を古の暗黒竜と呼ぶ」
「暗黒竜かっ、それは斬りがいがあるなっ! この幸運を、我らの神ユランの導きに感謝しよう!」
「何とも思い切りの良い女だ……」
竜は我の回復を待ってくれているようだった。
あまり嬉しくない配慮だ。だがしかしな、実際はもう限界を超えておる、甘える他になかった。
「サマエルのために戦うのは、今でも承伏しかねるが……俺には枷がかけられている。覚悟してもらおうか、新しき種族よ」
「うむ、かかってくるがいい竜よ! 我がボロボロの雑巾みたいな有様であろうとも、遠慮なく、野獣のように我を狩り取れ! 手加減は不要だッ!」
広い廊下を埋めてしまうほどの巨体であった。
そやつの爪が我を襲う。
不思議と動くことができたのでそれから飛び退き、我は竜を狩るべく奮戦した。
「恐るべき女よ……」
「笑わせるな、アウサルはもっと強いぞ! 強いというか……理屈をえぐり抜くのだ。我に勝てなければアウサルにも到底勝てぬと思うがいいっ!」
あれと出会ってから我の世界は変わった。
力ずくで切り開く快感だけではなく、知恵と抜け技で道理をねじ曲げる喜びを教わった。
アウサルが常識と、そこにはびこる巨悪の城に風穴を開けるたびに、我の胸は熱く躍った。
ここで死ねばその続きを見れなくなる。美しきア・ジール地下帝国の黄金の沃野で、自伝を書いて暮らすという夢も潰える。
死ねぬのだ、我は、こんなところで、暗黒竜ごときに。
「ラジール、お前以上の戦士がこの世にいるとは思えない。それだけの傷を負って、まだ戦うか。その無限の生命力はどこから来る……」
「フハハッ、理屈ではないのだ! 我は運命の子、ヒューマンに敗北した亜種たちの執念が生み出した怪物よッ! 貴様にもわかろうっ、理不尽に滅ぼされることが決まった古き種の憎悪と呪いが! それが我だ!!」
戦って、戦って、戦い続けてきた。
今日まで同胞たちの無念を背負い、運命の子として王女の地位を捨て、再び栄光を取り戻したいというライトエルフの執念に抱かれて生きてきた。
我にはそのための力があった。自らの魂が闘争を望んだ。
サマエルのえこひいきが生み出した今の世界を正し、ヒューマンを倒せと怨念どもがさえずった。
「ラジール……恐るべし……」
「…………」
我は……アウサル、お前ともう一度あの黄金の小麦畑を……。
お前と一緒に見たかったぞ……。
「戦士よ、お前の身体が万全だったら、戦いにすらならなかったであろう……。だが枷は、我を突き動かす、許せ……覚悟を」
我の身体が急に動かなくなった。
地に両膝を突き、立ち上がろうにも身体が上がらぬ。
愛剣は度重なる無茶でひび割れ、まるでノコギリのように欠けていた。
だが許せぬことが1つある。我が負けて、この竜がアウサルの道を阻む。
アウサルは我の亡骸を見て怒るだろう。悲しみに足を止めてしまうだろう。それが気に入らん。
竜爪に対して、我は片膝だけどうにか立たせ、捨て身で剣を薙いだ。
死んでもいい。ただし引き替えにその腕を貰い受けよう。アウサルに害を及ぼす者は我が滅ぼす。
・
走馬燈を見たのは初めてだった。
戦争に勝利するための道具として我は生まれ、それを受け入れ、妹のパフェたちを見守って生きてきた。
不満はない、我は闘争を心より愛していた。
ところが妙な光景が見えた。我の記憶にない情景だった。
かつてユランと共に戦い、天使サマエルに胸を突かれた自分自身が見えたのだ。
それも生々しく、もう1つの自分自身のように感じられた。我はご先祖の生まれ変わりだったのか……。
だがすまんユラン……我はまたしくじったようだ……。
しかし悔いはないぞ。命の炎を燃やし尽くしたのだ、悔いる必要がどこにある。
「ぁ……」
続いて情景が移り変わり、別の幻影が見えた。
これが死ぬゆく者へのはなむけか。笑ってしまうような白昼夢だ。
幻影の中で、我とアウサルが婚姻を結ぶ姿が見えた。
そんなことをしたら愛すべきエッダに、義理の妹パルフェヴィアに憎まれてしまう。だが良い夢だと思った。
アウサル、ユラン、来世があるならば我は再びはせ散じよう、必ずやそなたの軍門に!
我は望む、来世もまた闘争に抱かれた人生であれと!
「……………………」
けれど甘き幻影がかき消えた。ならばついに終わりかと思った。
しかしな、代わりに人影が2つ……大柄なやつと、細身のヤツ、どこかで見たことがある背中が現れていた。
なぜだかわからんが、涙腺が熱くなり、疲労にぼやける視界がさらに歪んだ。まさか、この2人は……。
「ようラジール、どうやらお互い死に損なっちまったみてぇだぜ」
「正しくあなたは史上最強の戦士でした。ここで倒れれば伝説として、新たな神話としてあなたは永久に語り継がれることになったでしょう」
「だがそうはいかねぇぜ! さあ立てラジール、さすがにコイツは俺たち二人だけじゃ無理がある。いつだって空気の読めねぇ、史上最強の戦士の力が必要だ!」
涙だ。我の目に無意識の涙があふれ、こぼれ落ちていた。
何度もまばたきをして、ぼやける視界を正して、その背中を見上げる。
竜の爪を、我が大剣に剣そえて受け止める姿を。
「おお……おお同志よ……同志ダレス、ジョッシュ! 良かった、お前たち生きていたのだな!」
それは神の雷で灰と化したはずの男たちだった。
ヒューマンを敵視していた我を変え、先祖代々から続く執念という名の呪いより解放してくれた者たちだ。
暗黒竜は我らの再会を静かに見守ってくれた。
ヤツは引導が欲しいのだ、サマエルの傀儡となっている己を止めて欲しい。それを我らに望んでいる。
見れば自慢の大剣の切っ先がへし折れ、竜の片腕も無残に潰れていた。
流血はおびただしく、ゆっくりとやつの体力を奪っている。
「新しき種族が、古き種族を救うか。良いものを見せてもらった。我は竜、古の創造主が生み出した史上最強の生物、サマエルの君臨により大地を追われ、傀儡と化した者、それがこの我よ」
するとジョッシュが何かに感づいた。
彼らしい小ずるい時間稼ぎかもしれんがな、質問を投げかけていた。
「なるほど、前々から疑わしいと思っていました。サマエルという創造主は、創造主としてはいささか不完全というか、神というより、あまりに人間らしいと。ならばあなたたち竜は、どこの誰に作られたのです? そのときサマエルはどこで、何をしていたのですか?」
質問は暗黒竜の爆笑を生み出した。
やつにとって気分の良い問いかけだったらしい。
「教えてやろう。だがそれは決着を付けてからだ、ラジール、史上最強の戦士よ、どうか俺に見せてくれ。……神に捨てられた古き種族の執念を!」
振れてあと一太刀、我はそれに全力をかけた。
暗黒竜の胸に向かって飛び込み、剣を薙いだ。だがその時になって気づいた。
既にヤツは力を使い果たしていた。あるいはサマエルの枷から逃れるために、自ら己の命を終わらせることを選んだ。
竜の胸を折れた剣が斬り上げると、ヤツの身体は血を流すこともなく崩壊を始めた。
黒き肉体より灰をこぼし、いや肉体が徐々に灰となってボロボロと崩れていった。
「そなたらの問いに答えよう……。ユランがこの世界に現れ、サマエルと出会ったその瞬間、世界の運命は変わった」
我にはあまり興味のないところではあったがな、ジョッシュとダレスはそれと違ったようだ。
全てを使い果たした我はひび割れた床を寝床に、呼吸を取り戻そうとあえぐのみだった。
「創造主? 世界の支配者? 笑わせる、やつは、ただの――下僕だ」
竜はサマエルを、世界の主を己の格下と見下した。
古の時代にて、この黒い竜がどんな役割を担ってたかは知らん。
まあ少なくとも世界の主に向ける言葉ではなかったな。
「創造主に奉仕し、愛されるためだけに作られた下等な天使。古き神々をアビスに落とし、天の玉座を簒奪した裏切り者、それがやつの正体だ」
我にはわからん。
下克上を起こすほど主が憎かったのなら、それは古い神々の自滅というものだ。
不思議と我はその話から、サマエルの悪意を感じなかった。




