24-8 南へ 天使フィンだった者の決意
こうして第一次ローズベル要塞防衛戦が終結した。
だがこの戦場には2回目の激突が約束されている。
俺たちがフィンブル王国を取り戻せば、エルキアが再びやってくる。
時間はもう残り少ない、こうなってはエルザスとダレスがどこまで反逆者集めを成功させてくれるかに、今後の戦況かかっていた。
幸いそれをサポートすることならば出来た。今回操られた将校の1人を、ニブルヘルの暗部が保護したらしい。
ただちにエルキア王家の悪用を暴く証人として、その将校を黄の地下隧道経由でエルザスの元へと送ったそうだ。
こういった情報戦は俺には出来ない。老獪なあのグフェンの手並みだ。
それと情勢とは関係ないが、もう1つ変化があった。
フィンは変わった。外見はそのままだが飛翔能力を含めて少しだけ変わった。
ア・ジールの大地に戻ると、俺はフィンに誘われて散歩に付き合うことになった。
話したいことがあると、まるで大人のような手順を踏む姿が俺には悲しくてならない。
子供のままで良かったのに。そう思うのは親の勝手な心境なのだろう。
ア・ジール北西部の手つかずの台地、その林の中に入るとフィンは木陰の下で立ち止まっていた。
・
「パパ、フィンは南に行く」
「南……獣人の国にか?」
言葉には強い意思と使命感があった。
南には獣人の国ダ・カーハと、エルキアに属さないヒューマンの国がちらほらあるくらいだ。
その果てには人の住めない荒野が果てしなく続き、大地を食らう蛇が住むという。
「もっと南、そこに仲間がいる。フィンが説得してくるよ、もうすぐ戦いが始まるから、手伝ってって」
「フィン、まさか……お前は巨人族の居場所を知っているのか……?」
「うん、空から見たの。それにねフィン、記憶を取り戻したよ。卵になる前の記憶、全部……」
ユランの仮説がクッション材になっていた。
もうそこにいる天使は、厳密な意味では俺たちの娘ではなくなっているのだと。
「ずっとパパたちの子供でいたかった……ラーズとケンカしたり、ママたちに甘えていたかった。子供でいたいって願うフィンと、もう1人のフィンがせめぎあってた……」
「お前はお前だ、今まで通りにしたければそうすればいい。やりたいことをやった後にな」
しかし南は過酷だという。ゲルタの言葉を信じるなら安住の地があるという。
問題があるとすればその道中だ、飛べるとはいえ、送り出しても平気なのだろうか。
もう子供ではないと言われても、なかなかそれは――育てた者として納得できるものではない。
「あのね、フィンはユランママと同じ。古い誓約に縛られている。だから本当のことは全部言えない」
「また誓約か」
ユランの口振りからしてそれは、サマエルが過去を隠蔽するために行ったものだという。
ユランはそれを呪いと言っていた。わからないでもない。
「うん……ごめんね……。フィンは、お空で眠っていたの。役割を失って、ずっと寝ていたの」
「それはのんびりしていていいな」
誓約がまともな問いかけを禁止する。
受け答えしようにもそのくらいしか言えなかった。フィンが俺の言葉にはかなげに笑っていた。
「だけど目を覚ましたら、ユランとサマエルがケンカしてた……。フィンはそれが、とても信じられなかった……。あんなに、仲が良かった2人が、殺し合ってたなんて……。ならサマエルは、何のために、あんなこと……」
その続きは世界から消された過去だ、誓約によりフィンは口を閉ざす。
ユランとサマエルの仲が良かっただなんて、俺には初耳だ。ユランはサマエルの行いを疑い、その傲慢を憂いる反逆者だとずっと思っていた。
「フィンはそれを止めに来た。フィンを作った神様は……今、アビスにいるの……。サマエルと、フィンは……ぅ……、ごめん、言えないみたい……。卵に戻って生まれ変われば、少しは抵抗出来ると思ったのに……」
「わからん、サマエルは悪の創造主ではないのか? 世界をもてあそぶ邪悪な心を持っていると、多くの者が言う。ユラン本人までもが」
フィンが困ったように遠くを見た。肯定も否定もできないようだった。
ただ悲しそうにしていた。そのせいで深く追求することが出来なかった。
「パパ、でもね……フィン、天獄を見たよ。サマエルが封じられている、牢獄の中を」
「それは……、ユランがそれを聞いたらこう言うだろうな。それは誠かフィン、ヤツは獄に繋がれていたのか、いなかったのか、はよう答えよフィン。といった感じだろう」
神々の事情など知らない。けれど天獄にサマエルがいるか、いないかではまるで戦況、状況が変わってくる。
世界で1番強いやつが自由に動き回っているとすれば、それは最悪だからだ。
「サマエルはいた。いたの。でも、でもね……サマエルは……」
「落ち着いてくれ、今のフィンは安全だ。何かあったらユランが本気を出して守ってくれる」
恐怖と混乱、当惑、それとおぞましい何かを見たのか嫌悪に近いものがフィンの中に渦巻いていた。
過去を取り戻したといってもそれは俺たちのフィンだ、翼ごと背中を抱いて勇気付けた。
「サマエル……片目と、口と、心臓が無かったの……。きっとそれが、今のエルキアの正体、だと思う……」
「それはまた、世界の創造主の末路とは思えんざまだな……。誰かに奪われたのか……?」
「わからない……」
「そうか……。とても参考になった」
ならば片目と口と心臓はどこに消えた。
誰かが神から抜き取って奪った、それを獄の外に持ち出したとも考えられる。
それがエルキアの正体だとフィンは思っているらしい……。
「じゃ、明日にでもいってくるね、パパ! フィン、巨人のみんなを連れて必ず戻るから! それでパパとママを守るよ!」
「いや、だがそれは……俺としても心配なのだがな、とても……。そうだな、だがもし向こうがゴネだしたら、預言者ゲルタという名を出すといい。ゲルタの意志を忘れたか、とでも言えば気を変えるかもしれん」
それも1000年前の決意がまだ残っていたらの話だ。
ゲルタとアシュレイの計算通りにサンクランドが約束を守り、ジンニクスは裏切りの裏切りを実行した。
ゲルタが導いた民が臆するとは思えない。
「ふーん……わかった! ねぇパパ!」
「どうした?」
「フィンもフィンで、パパもパパだよ。フィンが望むのはサマエルとユランの和解。忘れないでねパパ……」
「ああ……もしそうなれば、もう種族がなんだと争うこともなくなるんだろうな……。おい、待て、俺は空が飛びたい気分だとは、一言も言ってないぞ……。くっ、高いな……」
フィンの翼が俺をア・ジールの空に導いた。
1ヶ月後の決戦、移民者の生活基盤作りに今も楽園は慌ただしく、見渡す限りに農地と家々が広がっていた。
全ての土地を拓き切ったわけではない。けれど感慨に浸れるほどの栄誉溢れる反逆の地下帝国がそこに生まれていた。
フィンもこれを守りたいのだ。
エルキアから始まった狂気を終わらせ、ここを安住の地にしたいと願っている。
天使の翼は驚くほどに速く、疲れ知らずで、南へのフィンの遠征の成功を期待させた。
・
フィンの巨人族探しにそれはもう皆がごねゴネた。
俺とユランをのぞく全てが反対し、ラーズもグフェンもアベルハムまで本気で怒っていた。
「アウサル様、何とか言って下さい……フィンちゃんが心配じゃないんですか!」
「だから何度も言ったでしょ、アベル。翼があるフィンとユランだけが行ける場所なの。パパのトンネルより、こっちの方がずっと早い! もう1ヶ月ちょっとしかないんだよ!」
だがフィンの中に生まれたもう1人の、本当のフィンの意志は揺るぎなく、人の言葉で曲げられるものではなかった。
「頼むアウサル殿、何とか言ってやってくれ……南に去ったユランの民という戦力は俺もニブルヘル長として欲しいが、俺は、心配でたまらん!」
「だから俺も付いてくよ! フィン1人でそんなところに行かせるなんて……!」
「グフェンは偉い人なんだからそこは割り切ってよ! ラーズの気持ちは嬉しいけど、ぶっちゃけ邪魔だから。重いだけ」
フィンというアビスに堕ちた者どもに作られた存在は、皆に見守られ、引き留められながらユランの民を探しに、ニブルヘル砦の南の空へ旅立っていった。
ここまできたらもう後戻りできない。
サウスを奪還し、エルキアを倒すその日まで、俺たちは非情にならなければならない。それでも割り切れない心が残った。
消えたサマエルの片目、口、心臓。それは絶対神のパーツだ。
ただのグロテスクな蒐集品ごときにはならないだろう。俺たちは一部とはいえ、これからサマエルと戦うことになるのだ。