24-2 グフェン、運命を改変された男
「アンタ、それより気を付けなよ。ぬかるみに足を滑らせて、うっかり敵に左胸を貫かれないようにな。湿地での戦いでは気を付けるんだ、グフェン」
「な――!」
途端に老人は黙り込んだ。
それから昔を懐かしんでか微笑みを浮かべ、窓辺に移って昼過ぎのア・ジール町並みを見下し始める。
その背中を俺も静かに見守った。もうじき夕方だ、太陽の色合いが茜色に変わりかけている。
ア・ジールの街は有角種とリザードマンという新顔により、また輝かしく広がっていた。
「それは名も顔も知らない命の恩人が、俺に忠告してくれた言葉だよ。思えばあれっきり姿を見なくなってしまったな……。彼は一体、何者だったのだろう……」
手記の内容が事実であることが、ここに1つ証明されてしまった。
ならばアシュレイは未来を知っていたことになる。どちらにしろ予言を的中させたことに違いはない。
なぜグフェンがフィンブル王国滅亡後の要となることを、名無しの男は知っていたのだろう。
「教えてくれ、アウサル殿。彼は何者だったのだ? どうして俺の窮地を予言したのだろう、なぜ貴殿がそのことを知っている」
「それは……」
手帳を見せれば説明が早い。
真剣にどうしたものか悩んだが、やはり止めておくことにした……。
俺は怪物ではなく、ヒューマンのアウサルでいたい。せめてこの理想郷の中では。
「ソイツは2代目アウサルだ、どうも俺の先祖は、アンタがダークエルフの守り手となることを、直感的に知っていたらしい」
「あれが貴殿の、祖先だと……」
けれど伝えなければならない情報がある。ある程度割り切る必要もあった。
これを伝えてしまうと、質問責めにされることが決まっていたのだが。
「ああ……そうだ、祖先だ。ソイツはな、エルキア王国王都地下大聖堂に、天界の門があることを、なぜだかわからんが知っていた……」
手帳の該当ページだけ開き、説明のためにグフェンにアウサルの秘密を見せる。
続いてグフェンと出会った部分が記されたページと、ゲルタがグフェンの運命の改変を見破った部分も。焦って見せ過ぎたかもしれないとそこで後悔した。
「ならばこの天への門がほころびだし、それが現在のエルキア王家に影響を与えた。あるいは、乗っ取ったという仮説が出来上がってくるな……。しかしどういうことだ……あの時の騎士の名がアウサルだっただと……?」
エルザスとルイゼの父の死も、もしかしたらそれと繋がっているのかもしれない。
騎士アウサル、歴史の闇に消えた栄誉無き英雄。フィンブル王国の後継者たる彼らには、活躍を伝えなければならないのかもしれない。
「そうだ、あれが本当のアウサルだ。2代目から続く俺たちはどうやら、名前を棄てた罪人、アシュレイだと記されている。理解できん……ならば俺たちは、結局何者だったのだ……」
壮年の男がやさしく肩に手を置いてくれた。
あやすように何度も肩が叩かれ、もう片方の腕が静かに手記へと伸びる。
「その手記、預かってもいいだろうか? ああ、一族のプライベートの山であることは理解している。だがこれからの戦いのことを考えれば、情報を秘匿するのは望ましくない……見せてくれ、アウサル殿」
「アンタ、こんなものが見たいのか……」
さすがに迷った。誰にわかる、誰に生み出されたかもわからない、孤独な一族の気持ちなど……。
いるとすれば、リザードマンの父、竜人アザトくらいなものだろう……。
「わかった……アシュレイが生かそうとした男だ、信じることにしよう」
「ありがとうアウサル殿、必ず役立ててみせよう」
手記をグフェンに手渡して書斎机の前に戻った。
「ただし忠告しておく、ジンニクス大公に知られるとまずい部分が最後の方に記されている。当然だ、ジンニクスは裏切り者を演じた、その計画をグリード持ちかけた男が、2代目のアウサルとゲルタだ……」
「フフ……だとしたところで、今さら彼も恨むまい。そうしなければ国は滅び、ワルトワースのライトエルフは本当の奴隷になっていたのだ。ジンニクス大公は君の先祖を許すだろう」
それはどうだろうな、裏切り者を演じ続けるというのはさぞや辛かっただろう。
罪深い予言と計略を行った事実は変わらない。
「有角種の長ゼル、彼女になら相談してくれてもいい。他の者には見せないでくれ、その手帳は……俺がヒューマンではない証拠そのものだ、怪物とは言われたくない。……あ」
「うっ……あ、アウサル……」
書斎の扉を引いて帰ろうとした。ところがそこでフェンリエッダと鉢合わせになっていた。
褐色金髪の美しきダークエルフが、ばつが悪そうに俺から目線を外している。
「もしかして聞いていたのか?」
「すまん……そうだ、聞いてしまった……」
「……どこからだ?」
「あ、ああ……その、すまん。ほぼ最初から、全てだ……」
アベルハムはフェンリエッダがもうじき帰ってくると言っていた。
しくじったな……まさか彼女に知られてしまうだなんて。
「エッダ、立ち聞きは良くないよ。アウサル殿、すまなかったな、本当に」
「返す言葉もない……すまない、アウサル。どうしても気になって、離れられなかった……」
奇跡を起こした謎の怪物アウサルの真実、ア・ジール地下帝国の民として興味は絶えなかっただろう。
こんなところで立っていても仕方ない、家に帰ろう。
「アンタに知られたのはそこそこショックだ。だが聞かれた以上はもう今さらだ、その好奇心に免じて許すよ」
「すまん……」
「どちらにしろやることは変わらん、いやむしろ手記のおかげで見えるものも増えた。南方に巨人の国がある強い可能性と、エルキアの背後にある者の憶測もしやすくなった。損は何もない……」
俺がヒューマンではなかった事実をのぞいて。
アシュレイ、アンタはどこから来たんだ。なぜ破滅の未来を知っていた。どうしてそこまでユランに執着した……。
「待てアウサル、これでは不公平だ!」
「いや、急に不公平と言われてもな……」
「ちょっと付き合えアウサル。私は……お前が何者であろうと私には関係ない! お前が引き起こした奇跡は、お前が悪戦苦闘し続けた結果だ! お前が虐げられし種族を救ってきた事実は、何ら変わらない!」
「アンタ、強引だな……」
フェンリエッダのなめらかな指が俺の手首を掴んだ。
謝罪にしてはどうも握力が強くないか、アンタ。
「グフェン、少し出かけてくる。たまには自分の仕事は自分でやってくれ」
「そうだな、そうするとしよう。アウサル殿、エッダをよろしく頼む」
「いや待て、急に出かけると言われてもどこにだ、こっちはもう気にしてなどいない」
エッダは頑固者だ、一度決めると譲らない。
女戦士の握力と筋力で、疲労したスコップ男を外へと引っ張る。
「どこだっていい、ならあっちの高台だ! 人も居ないし都合がいい、さあ付いてこい!」
「くっ……わかった、わかったからバカ力で引っ張ってくれるな、強引だぞアンタ……」
そんな俺たちをグフェンは微笑みながら見守っていた。
アンタの娘みたいなものだろう、せめて落ち着かせて止めてくれ……。
俺は、名無しの怪物はフェンリエッダと手を結んだまま、見晴らしの良い高台へと連れ込まれていった。