23-8 アウサルがアウサルになった日
聖戦は終わった。
ユランとサマエルの消失、天界の門の封鎖という結末を残して、聖戦は神と神から、人と人の戦いに変わってゆくだろう。
だが全て予定通りにはいかなかった。
私は山中までどうにか逃げ込めたが、そこで力尽きてしまった。
あのとき胴体を握られた時点であばら骨が折れ、叩きつけられたところで背中を流血してしまったのだ。内臓だって無事ではないだろう……。
もうゲルタと私、アシュレイ、あとは3名の兵しか生き残っていない。
退路の砦は陽動部隊により落ちていたが、その部隊の足跡はもうつかめない。
ここから自力で撤退しなければならなかった。
「アシュレイ、君に頼みがある……君なら安心して頼めることだ」
「く……そなたまで、しくじりおったか……」
私はそれに付き合えそうもない。
限界だ、もう立ち上がれなかった。あとはこの心残りをどうにかして、終わりにしよう……。
「妻を……コルネを頼む」
「アウサル、何を言い出す! 諦めるのが早いぞ、アンタを連れ帰らなかったら俺は、奥方様に会わせる顔などないぞ!」
誰にも妻を渡してたまるか、そう思って強引な結婚を選んだのに不思議なものだ。
会ってほんのわずかの男に任せる気になるだなんて……。
「実はな……君の身元を引き受けるにあたって、勝手に養子縁組みをさせてもらった……」
ここから先は私のわがままだ。
名も無き者に、そうあって欲しいと望む、死にゆく私の願いだ。
「アシュレイ……これは遺言だ。今日からお前がアウサルを名乗れ……」
「アウサル、アンタ、何を言っている……」
ユラン様のように神々しい、竜の瞳が見開かれる。
私の名前を継いで欲しい。名無しの男アシュレイとしてではなく、弟の面影を持つならば、アウサルの後継者として生きて欲しい。
「ユラン様がいなくなった世界を、お前が守れ……アシュレイ、お前のおかげで世界は救われた……」
「バカなことを言うな、諦めるな……。俺は名無しのアシュレイ、アウサルを名乗るだなんて……たちの悪い冗談だ」
「聖戦は終わった……、だが地上には神の毒が残った……。ヒューマンの時代が来る、そこで生きられない有角種は姿を消してしまうな……いや、ヒューマン以外の全ての者が衰退する……」
「うむ……滅びこそ免れたが、やはりそうなろうな」
アシュレイ、戦いは終わっていないんだ。
神の毒がヒューマンの国を増やす。ヒューマンしかいない国を作る。それがユラン様の理想を否定する。
「守ってくれ、ユラン様の描いた理想を……。全ての種が共存する……、神にえこひいきされない世界を……。私、アウサルを継ぎ、妻と、我が家の全てを、お前に託す……。アシュレイ……君はヒューマンだ、ヒューマンの、アウサルだ……」
私は世界の破滅を目撃した名無し、アシュレイの正体に気づいた。
だからこそ人間として生きて欲しい。ヒューマンのアウサルとして、私の妻を守り、苦労して、地にはいつくばる我らを知って欲しい。
アウサル、お前が何者であろうとも、竜の瞳を持とうとも、お前はヒューマンのアウサルだ。
・
・アウサル
ろくすっぽ死体を埋葬することすら叶わなかった。
彼の亡骸を山中に置き去りにして、俺たちは追撃を受けながらも何とかフィンブル王国に戻った……。
街は戦勝ムードで沸き立ち、誰もが笑っていた。本当は勝利などではなく敗北の始まりとも知らずに……。ユランさえ生きていれば共存の道が残っていただろうに……。
俺に行く当てなどない。ゲルタと別れて、名無しは訃報を伝えに帰宅した……。
アウサルの願いはやはり、受け入れられない。陰ながら奥方様を守りながら生きよう、消えてしまったユランを探しながら……。
白き死の荒野、そこにユランという赤き流星が堕ちた。
しかしユランが死ぬはずがないのだ。あの大地のどこかで今も眠っているはずだ。
「お帰りなさい、アシュレイ。疲れたでしょ」
奥方様と面会した。
藍色の髪を持ったダークエルフは、普段と変わらないたおやかな笑顔で迎えてくれた。
俺に茶を出してくれて、帰国を喜んでくれた。
「サマエルを倒したと、街はお祭り騒ぎです。これでようやく平和になるのですね」
「ああ。だが戦いはこれからだ……。ヒューマンが一人勝ちをする時代が来る、神の毒が地上を汚したからだ……ユランが相打ちになるなんて、計算違いだった……」
「そうですね。ですが戦争が続くよりずっと良いです。ありがとうアシュレイ、全てあなたのおかげですよ」
感謝の言葉が俺の心臓に突き刺さった。
アウサルは俺を守るために無理をした、そのせいで死んだ。だというのに俺に後を継がせるという……。
訃報を口にする勇気がどうしても出ない。2人はお似合いで愛し合っていた、それを眺めているだけで俺だって嬉しかった。
なのに俺と出会ったばかりに、危険な作戦に巻き込んで死なせた……。
「夫は、死にましたか……」
「――?!」
心臓が止まりかけた。止まってしまえば良かった。
首を縦にも横にも振れない、呼吸すらもままならない。
「夫は言っていました、自分が死んだら、お前ごとこの屋敷をアシュレイに預ける。アシュレイになら私を任せられると」
「バカな、アウサルを守れなかった俺に、そんな資格は無い……。アウサルの名を継げと言われたが、それはあいつの名だ、俺はただの名無しだ!」
なぜ平気な顔をしていられるのだろう。奥方様は穏やかに笑っていた。
「私も軍人の妻、覚悟ははなから出来ていましたから、ご心配には及びません。それよりアシュレイ、あなたが心配です。アウサルを失って悲しいあなたが」
人間はこんなに強くなれるのか……。
俺は己の胸をさいなめるものが、激しい罪悪感であることに気づいた。
同時に俺は、同じ感覚を過去に抱いたことも思い出す。
名前を捨てる前の俺は、激しい後悔と虚無感を抱いていたのだと。
「アウサルに私を守れと言われたようですけど、どうやらそれは逆ですね。……私があなたを守ります、アシュレイ……いえ、2代目アウサル、わたしがあなたを守ってあげますよ。……だってあなたは、私の夫、アウサルの弟なのですから」
コルネリア奥方様は強く、慈愛の塊のような人だった。
辛いはずなのにやさしく俺に笑いかけて、異形の怪物にやわらかい抱擁までしてくれる。頭から指先、つま先まで、アイツのものだというのに!
意識が遠くなった。それから俺は奇妙なものが見えてきた。
己によく似た男が白銀のスコップを背負い、ケルヴィムアーマーを斬り倒し、大地を落とし、全ての種を従えて屈辱の歴史を覆す姿が……。
その54代目アウサルが、白き死の荒野でユランを掘り当てる光景が――確かに俺には見えた……。
同時に封じていたものも現れていた。
己の本当の名前、己こそが傲慢なる罪人であること、地底に眠る住民無き理想郷の主人であることにも……。
俺はその古い名も、アシュレイという授けられた名も捨てて、アウサルとして生きることにした。
1000年後、全てをひっくり返す後継者が現れる。
ソイツを出現させるためには、俺はアウサルにならなければならなかった。
「俺はアウサル、勇敢なる初代アウサルの弟、あなたの……夫だ」
「はい、私はあなたの妻、共に……アウサルの願いを果たしましょう。あなたが私の隣にいてくれるなら、あの人も安心して、笑いながら見守ってくれるはずですから……」
54代目アウサルよ、俺はアンタが羨ましい。ユランと共に歩めるアンタが……。
23-9 1000年前の後日談
「理想郷アガルタ……いや、白き死の荒野にて、そなたの末裔がユランを掘り起こすか……。面白い、星々もそれとなく肯定しておる、そうなると予言の分析も広がってくるな」
アシュレイ、名も無き男はその日より、アウサルを継いで2代目アウサルとなった。
その後は予言者ゲルタと手を結び、ユラン復活の日を目標に暗躍した。
今は東のとあるライトエルフの王国で、グリードと呼ばれる王に面会したところだ。
「お久しぶりですゲルタ。ですが、貴女は最果ての地に向かわなくて良いのですか?」
「我らは行かぬ、代わりに南を目指すことにするよ。先祖は言っていた、南の果てに人の住める領域がある、行き来こそ困難だが、そこに至れば安住の地が待っているとな」
ゲルタの予知能力を使った、とある計画のためだ。
1000年後にユランが復活する。全ての帳尻を、54代目のアウサルと、ユランの元に合わせておく必要があった。
「それよりグリード王よ、アンタに伝えなければならないことがある。これはゲルタの予言を軸とした、バカみたいに遠大な計画だ」
「うむ、成就したところで我は生きておらん。このアウサルもな」
グリード王は壮年の学者肌の男で、穏やかで信頼の置ける人物だ。
彼になら任せられる。予言により長き時を生きることになっている、彼になら。
「はい。偉大なる兄、有角種の予言……、謹んでお受けしましょう、ぜひご教授下され」
「うむ、そなたの国は900年後に滅びるぞ」
「なんと……ふふっ、そうですか。やはり、滅びてしまいますか……」
「しかし安心するといい、その頃にはジンニクスという男がそなたの隣にいる」
奥方様……いや、コルネも交えて色々と考えたが、彼らが滅亡を回避する道はこれしかない。
「彼に裏切りの裏切り、ダブルクロスを命じてくれ、ヒューマンに寝返ったふりをさせるのだ。今より1000年後に、千載一遇チャンスが訪れるからだ」
「グリード王、その日のためにジンニクスに力を蓄えさせるのだ。1000年だ、1000年待てば雌伏の時代が終わる」
王は悟った。その1000年後の世界に己は生きていないだろうと。
ユランの活躍の影で、俺たちが天の門を閉ざした経緯も彼は知っていた。
「なるほど……その予言、信じましょう。どちらにしろいずれ、時が流れるにつれ、真偽も定かになっていくのですから、覚えておくだけで儲け物というものです」
「そうだな、占い師としてはその程度の受け止め方をしてくれると好ましい」
「しかし1000年後に何が起きるというのですか? なぜ1000年も待つ必要があるのでしょうか」
ゲルタが俺に目線を向けた。予知者であるお前が語れと。
「1000年後にユランが復活するからだ」
「なんと……生きておいでなのか、ユラン様は……!」
「ああ。それと隣国の王家にも話は通しておく。ユラン側に属した誇り高きヒューマンの民が、未来のエルフとユランを支えるだろう」
その国の王者は、王朝が変わろうとも必ず約束を引き継ぐと誓ってくれた。
ユランに味方した気高き民であることを、絶対に守り抜くと。
「その時のためにそなたは力をたくわよ、雌伏の道を選び、宿命をジンニクスに継承させろ。それさえ誓ってくれたら、我も仲間を率いて南に行ける」
「ジンニクス、ですか……かしこまりました、その時は必ずや、偉大なる兄の予言通りに……。ヒューマンに淘汰される未来が変わるというなら、お安いご用でございましょう」
「安心しろ、憎まれるかもしれんが、その頃には我らも死んでおる。思う存分たばかろうぞ」
・
1000年がけの策略はこうして仕込まれた。
その後ゲルタは巨人を中心とした民と共に南を目指し、アウサルはフィンブル王国と、その隣にある白き死の荒野に戻った。
ユランを探して大地を掘り続ける宿命を選び、命尽きた後は役割を3代目のアウサルに継がせた。
54代目のアウサルが全ての種族を救い、ユランの理想を再び地上に打ち立ててくれると信じて。
さあ、これを読んでいる54代目アウサルよ、劣勢に追いやられた種族をアンタが救え。サマエルが残した悪夢の全てを、アンタが消せ。
俺はアンタ、アンタは俺、俺たちは誰と交わろうと俺たちを保存し続ける、そういう生き物だ。
滅びたユランの千年王国より現れた、破滅の未来を目撃した罪人、それが俺たちだ。
俺たちは贖罪を続ける義務がある。ユランと共に、エルキアを討て。悪夢を今度こそ終わらせろ。