19-08 黄泉よりの旅路、傲慢なる種が残した至宝(挿絵あり
建物の中に入ると仰々しく3つに枝分けした杖が安置されていた。
正確には祭壇の中で宙に浮いており、右手にもう1つの宝と共に眠っていたのだ。
エメラルドに輝く万象の杖。それから正体不明の刀が同じように1本安置されていた。
「有角種の祖先よ、アビスのどこかで見ているならば聞け。アンタたちの宝はいただいていく。苦境に追いやられたアンタたちの末裔を、救うとは言わん、再起させるためにだ」
杖と刀はあらがうこともなくアウサルに回収された。
そうなればもうこの地に用はない、地上に帰ろう。
これを無事に地上へと持ち帰ったそのとき、ゼルという哀れな女を、ゼファーの分身のような存在を救うことにもなる。
・
地上への道をただひたすら早足に進んだ。
道のりはもうわかっている、そうなれば行きよりもずっと気楽な道だった。
1番嫌な肉壁の階層を抜ける。
しかしだ、ここはアビスだ。
その辺りで俺は違和感を覚えることになった。耳を澄ませば聞こえるのだ、うめき声が。
「ぅ……ぅぅ……ぅぁ゛ぁぁ゛ぁ゛ぁ……」
声が背中を追ってくる。
だがしかし、覚悟を決めて振り返っても誰もいない。
進めば進むほどにそれは近く、大きく数を増やしてゆくというのに、背後には誰もいない……。
溶岩地帯に入り、足下の危険なそこを抜けた。
あと少しだ。あと少しで地上への扉にたどり着ける。
「ぁ、ぁぁ……っ、ぅ……ぁぅ……っ……ぁ、ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」
「くっ……」
さすがの俺だってこんなのたまらない。
俺はいつしか後ろを見るのが怖ろしくなった……。
これがアビス、来る者は拒まぬが、地獄から出ようとする者には試練を課すというが……実際に直面するとたまったものではない。
おぞけが全身を逆立たせ、背筋は凍り、鳥肌がいつまで経っても収まらない。
お化けへの恐怖心など克服したつもりになっていたが、それはきっと存在を忘れていただけだ。
実物に直面しては恐怖を忘れることなど出来なかった。
「さっきから――」
「ァ……ゥ……。ァ……ゥ……。アゥ……サル……。アウサァァルゥゥ……」
だが思い出せ。悪意の大釜、アビスアント、ダークエルフを狙う殺戮の軍隊、これまで出会ってきた怪物どもと比べれば大したことなどない。
「俺の名を呼ぶアンタらは誰だ!」
「アウ、サァァァ、ルゥゥゥッッッ……!!! 振り返った、なァァァァッッ!!!」
勇気を思い出して俺は毅然と振り返った。
だが後ろには誰もいない、いや違う、振り返ったはずの俺の背中側から憎悪の声がした。
慌ててそこから飛び退き、スコップを身構えつつ道具袋に腕を突っ込む。再び振り返って敵を見た。
「ふん……。気味こそ悪いが、実体をこうして見つけてしまえば何のことはないな」
「アウサルゥゥゥ……どこへ、ゆくぅぅぅぅ……いくな、アビスで暮らせ、ヨォォォォ……」
灰と黒の怨霊が塊となって渦巻き、俺が帰るべき道を塞いでいた。
最近出番の多いフレアマテリアルをスコップへと静かに装着し、ひと思いにやつらを焼き払った。
「ゥ、ゥア゛ァァァア゛ァァァァッァ゛ァ゛ッッ……!!!」
怨霊どもは断末魔を上げた。
しかしだ、焼いても焼いても新手が現れて道が開かない。
「アウサルゥゥゥゥ……アビ、アビスの希望ゥゥゥゥ……待てぇ、帰るナァァァァァ……ッッ!! お前が、お前がいれば、地上ォォォォォ……!!」
「やかましいやつらだ……」
まずいことになっている。
このままではフレアマテリアルが限界を迎えるだろう。
あのアビスの台所を焼き払うのに1つ崩壊させたばかりだ、スペアはもうない。
よって最悪はアビスに引き込まれるはめになる。さあどうするべきだ、どうやったらこの化け物どもを突破出来るのか。
「悪いがそうはいかんな、俺は何としても地上に戻る。守らねばならないものが増え過ぎた、よって怨念と化した者どもと語り合っている暇はない」
「救ってぇくれ、ヨォォォ……お、俺たちぃぃぃもぉぉぉぉ……救って、くれヨオォォォォォ……ア、アウサルを……アビスの王にィィィィ……」
「そんなものお断りだ。俺は小麦と木々のそよぐ色鮮やかな楽園に帰る。それに俺の領土は、白き死の荒野だけで十分だ」
哀れむと付け入られる。
会話で時間を稼ぎながら打開策を考え続けた。
ウィンドマテリアルで吹き飛ばす? やってみる価値はあるが望みは薄い。
アイスマテリアルはダメだ、怨念はきっと凍らない。実体が無いならばスコップで断つことも出来ない。
情けないが最悪はいま来た道を下り、白公爵を頼ることになるのか。
「おいでよォ……アビスの深淵……重力の集ぅぅ、玉座へ、おいで、ヨォォォォ……」
「くっ……」
怨霊どもはアウサルをアビスの底へと下らせたい。
下に退くことに限れば可能だろう。
だがあの白公爵も本性は邪悪だ、心変わりしないとも限らない。ならばどうすれば……。
「アウサルッ、神殺しの刃を、振るえッッ!!」
その時、覇気ある男の声がした。
何者かは知らん。されど状況は緊急事態だ、俺は言葉の要請に従い、有角種の残したもう1つの宝、正体不明の刀で怨霊どもを薙いだ。
「そ、それ、わッ、アッアァァァァ?!! ァ゛゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……ッッ!!」
塊となった怨霊どもが真っ二つに斬れた。
いや、斬撃による空間そのものに飲み込まれるように、やつらは姿を消していった。
何だこの刀は……あれだけ面倒な怨霊どもがたった一振りで……。
いやそれより声だ。
俺を助けてくれた声を追い、再びアビスの底へと振り返った。
そこに黒い肌を持つはげ上がった男がいた。
俺はその姿に見覚えがある。だが印象と記憶が全く一致しない。
それでもあえて言葉にするならば、そこにいた男は封印の塔、アビスの巨塔にて対峙した黒伯爵ヴェルゼギルに極めてよく似ていた。
ただしあの馬の下半身ではなく、人間の足を生やしていたのだ。
「さっさと行け。2度と来るな怪物野郎」
「ふ……さすがの俺も、アビスの怪物に怪物野郎と言われたのは初めてだ。……もちろん喜んでそうさせてもらおう」
しかしこのまま去るのもどうだろうか。
明確な敵だが、筋だけは通しておくべきか。
「助かった、ヴェルゼギル。てっきり死んだとばかり思っていたがな」
「ああ、よくぞ我をほふってくれた礼を言う。……ちっ、何をしている、わかったらさっさとそれを地上に運べ! そして己が野望を果たすといい! ……まあ、そのついでと言っちゃなんだが……ああ。アレを……、ユランのやつを……どうか頼む……」
まさか黒伯爵の口からもユランの名が出るとは思わなかった。
だがそうか、アビスは流刑地、ユランを直接知る者がいたところでおかしくもない。
どいつもこいつも、ユランユラン、サマエルサマエルで困ってくるがな。
「アンタに言われなくともそれはわかっている。ヴェルゼギル、地獄の底から見ていろ、俺のやっていることがもし、53代続くアウサルの願いならば……その末裔として1000年がけの栄光を見せてやる。地上より悪神サマエルの影響全てを断ち、ユランの千年王国を復活させてやる」
黒伯爵――だった者はそれで納得したのか、俺に背を向けてアビスの奥深くへと去っていた。
もはやアウサルの道を阻む者もない。
ついにアビス上層の輝く門へと到達し、俺は地上ならざる逃亡者の箱船スィールオーブに帰還した。
アビス巡りをふと振り返れば、1つだけ今回の旅路でわかったことがある。
アビスに堕ちた者は救いようがないほどに狂い邪悪化するが――だからといって、元からあった想いが願いが消えるわけではない。
アビスの者どもは味方ではない。
だがそれぞれの想いを抱えて俺たちを見守っている。
ちょっとした歴史の歯車が食い違っていたら、彼らは本当の味方として俺たちの隣にいたのかもしれない。
・
「ここまでされたら認める他にない。ここまでされたらそなたを手ぶらで返すわけにはいかない。ここまでされたら――」
帰還した頃には1日半の時が流れていた。
だというのに彼らは席を外さずそこで待ってくれていた。
ゼル、重圧を抱えてきた有角種の長は今、涙を流して歯を食いしばり、万感に身を震わせていた。
同族の命という犠牲を支払ってきたプロジェクトが、ここに実現したのだ。
「感謝、するしかないではないか……。妬ましき肉体を持つ、そなたに……」
「何を言う、俺たちは自分たちのためにしたまでだ」
有角種は傲慢だ。その傲慢なる種が感謝を示した。
それは俺たちの価値観以上に重いものだ。
だからこそゼルの言葉には説得力があった。
「わかった、ワシの降参だ、共闘しよう……。まずは先遣隊をそちらに派遣する、細かい部分はそれから決めよう。ワシらも戦う……」
「わかった。ではこれらは約束のものだ、受け取ってくれ」
刀と杖、2つの至宝をゼルに渡した。
こちらの事情からするといただきたかったのだが、どちらも元々は有角種が作り出したものだ。
調査に民の命という犠牲も支払っている、貰えるものではなかった。
「神殺しの刃もあちら側にあったとはな……。道理で見つからんわけじゃ……まあいい、ユランが悪だということになれば、これで斬り殺してやるまでのこと」
「アンタ、いつまでユランを疑うつもりなんだ……。そこまで言うならその刀は渡せん、こちらによこせ」
場合によってはユランの弱点を掘り当ててしまったようなものだ。
こちらで保管しておきたいぶつでもあった。
「いいぞ。ただしこれは有角種のもの。よってそこの放蕩娘が所有するのが条件だ」
「なっ、なんで急に拙者にっ、拙者はそちら側ではござらん!」
「そちに有角種の未来を託すというのだ、不満か?」
「危険物を厄介払いされたようにも感じるでござるよ。敵に盗まれれば一大事ゆえ」
よって管理するならば無双の剣豪の隣というわけか。
合理的ではある。わからんが必要になる状況もありそうだ、あの怨念を一撃で倒せるほどの威力だからな。
「そちは疑り深いやつよの。……話は変わるが、のぅゼファーよ。そちの勇敢な性質、理屈よりも想いを重視する性格、魔法の素養の低さ……それらは有角種の在り方からすれば逸脱している」
穏やかにゼルは銀角のゼファーを見すえた。
そこにはこれまであった対立めいたものが見いだせない。
「それゆえワシらは変化を恐れた。……だが、今はそれに賭けてみてもいいかと思いかけている。さあゆけ、新たなる有角種よ。ユランではなくアウサルを補佐し、我らの地上を取り戻せ。そして神殺しの刃を手に、見極めてみせよ。真実、ユランがワシらの味方となり得るかどうかを、有角種の可能性を……!」
白いゼファーが銀のゼファーに刀を差しだした。
銀の方は白の方を睨み、少しすると呆れたように俺たちの知る温厚な剣豪に戻った。
「最後のやつだけ了解でござる。ユラン様を疑う気はさらさらござらん、その役目は他の者に与えるのでござるな。あそこまで拙者らのために尽くしてくれた方を、疑うなど主義に反するゆえ」
ゼファーが刀を乱雑に受け取る。
それを腰に差すと二刀を持った剣豪が生まれた。……重量超過の武装になっている気もしないでもないが。
「好きにしろ。ア・ジールがワシらの理想の地と結論が出たら、必ず一族朗党まとめてそちらに移住しよう。結界の中は中で不便でな、それがまとまるまでの間にこちら側の民を説得しておいてやる。……だが、最後に断っておくが我らは地上に長時間は出られん、そこはご理解願おう」
「わかった、ならばアンタたちが必ずア・ジールを気に入ると保証する。ア・ジールは楽園だ、待っているぞ、ゼル」
すると場違いにもゼルが退廃的に微笑んだ。
どうせゼファーへの挑発であり照れ隠しだ、男の胸にしだれかかってまたもや爪を立てた。まるで発情期の猫だ。
「クヒヒ……ところでそなたはマゾの資質があると思うぞ。深い後悔を抱える者は、痛みに喜びを見い出すのだ……。クヒヒヒヒッ……偉大なる種である我が、そなたを管理――」
「ゼルッッ、拙者の顔でそれ以上下劣なことを言うなッッ、和解したところで女狐は女狐ッ、アウサル殿より離れよ、このっ、ババァッ!!」
やれやれだ……。
こうしてア・ジール地下帝国に結界の国スィールオーブが加わった。
再び立ち上がった有角種は数こそ大きく減らしていたが、1人1人が賢く優秀で、ア・ジールの大地が大量移民にまたさらに賑わうのだった。
エルザスとの同時決起の日まであと約5ヶ月だ。
次なるは残り3つ目のライトエルフの国か、それとも……地上より消えた巨人を探すべきか。
今ある全ての種の基礎、始まりの種族、巨人。彼らもまた広い世界のどこかで生き伸びているはずだ。
かつてあったユランの千年王国を取り戻すならば、巨人は絶対に外せない最後の1ピースだ。