19-07 スコップ1つで始まるアビス巡り
スィールオーブの有角種はとんでもない物を作り出していた。
それはこの世を滅ぼしかねない、最終兵器だ。
思えばあの華やかな異界にも、無数の書物と同時に世界を滅ぼす手段が数多く存在していたという。
有角種が生み出した最悪の切り札。それは――アビスへの門だった。
結界の地、その地下区画にその地獄の大釜は隠されていたのだ。
「これは最期の保険にして、世界を滅ぼす鍵じゃ。万一ここが落とされることになったとき、この門を脅し文句に使う。……止まれ、我らを滅ぼすならばアビスの門を開くぞ、アビスの悪意たちは、サマエルの寵愛を受けしそなたらを漏れなく殺戮するであろう。世界を滅ぼしたくなければ今すぐ家に帰れ、とな……」
なんてことを考えるのか。
生きるためとはいえ、アビスという破滅の勢力までも彼らは道具にするという。
ラーズはそれを維持するために生きている。今ばかりはこの悪夢の兵器に怒りを向けていた。
傲慢。そうこれは傲慢の権化だ。
かつて創造主に傲慢と評されたのは、この角のある種族の恐ろしさゆえに他ならない。
「バカでござるかそなたらはッッ!! こんな危険なものを生み出して……アウサル殿に何をさせるつもりでござる!!」
「クヒヒヒヒ……それはな」
ゼルは2人の怒りを退廃的に笑い、挑発するようにアウサルへとすり寄ってきた。
抱き付き、男の首に片腕をからめ、喉元へと痛い爪を立てる。
「妬ましい肉体よ……こんなに近くにあるというのに、けしてワシらには手には入らない……」
「離れよ女狐ッッ! 拙者と同じ顔をしたそなたがっ、そういうふしだらなことをっするなでござるッッ!!」
けれど俺はゼルが理解できてしまう。
異なる肉体へとの羨望の感情、それを俺は否定できない。よって与えられた傷みも苦しみとはならなかった。
「安心しろ、エルフィンシルのラーズよ。そもそもこの計画は、元々は有角種の至宝を取り戻さんがために考案されたのじゃ」
「それはどういうことですか。生きるためというならば、俺たちの主義とは正反対ですけど、使うなとは言えませんけど……」
「ああ、説明を頼む。調停神ハルモニアにもこの報告はラーズから送られるだろう。弁解しておくならば今だ」
アビスを下れと彼女は言った。
こうなるともはやそのままの意味としか受け取れない。
「ヒヒヒ、それはな……。有角種が地上にて栄華を誇っていた頃、とある至宝が生み出された。名を、万象の杖と呼ぶ。その頃の有角種は、早くも疑っていたのじゃよ。創造主サマエルは、本当に己たちの味方となり得るのか? 巨人に対して行った暴虐を、いつかは有角種にも働くのではないのか、とな……」
その装置は俺たちがこちら側に来たときに通過した門のものと似通ったものだ。
あれと比べると一回り小さくおどろおどろしい。地獄門とでも呼べるものがそこにある。
「その杞憂は現実のものとなった。生み出された有角種の至宝、万象の杖は、持ち主と共にアビスへと落とされ地上より消えてなくなった。……その伝説の至宝をアビスより取り戻す。これはそのための計画だったのじゃ」
「俺にそれを取り戻してこいというわけか」
まさかアビスでの発掘仕事を依頼されることになるとはな。
報酬は破格、しかし危険もまた計り知れない。
「そうだ。その杖は自我を持たぬ天使から、サマエルという人形奏者より伸びる糸を断ち切る力がある。伝説の至宝があれば、神の先兵どもの力を可能な限り封じることができるのだ」
「それはユランが喜びそうな宝だ、わかった、ぜひ取り戻そう」
杖を求めて地獄を下れ、恐ろしい要求だ。
けれど興味深い。
そこまでして地上から消さなければならなかった至宝、回収してやればエルキアの背後にいる者どもの予定を狂わせることになるやもしれない。
「止めておくでござるよアウサル殿、アビスを単身で下るなんて……無茶どころではないでござるっ」
「そうですよ! いくらなんでもそんなの……貴方を守りきれなかったら俺、ジョッシュさんに合わせる顔が……」
ここで俺が断ったらどうなるだろう。
ゼル。ゼファーと同じ顔をした女性は深く傷つくだろう。
羨望してやまない肉体を持つ男が、願いを拒むのだから当然だ。2度とこちらに心を開かなくなるかもしれん。
「安心してくれ、まずいと思ったら引き返してくる。俺が死んでは立ちゆかなくなる部分が多い、そこはうぬぼれ抜きでわきまえているつもりだ。だが俺以外にアビスから正気で戻ることが出来ないというならば、今回試すだけ試してみるべきだ」
「ぉぉ……ぉぉ……そうかアウサルよ、ワシもそう思うぞ。大丈夫だ、犠牲を支払って、ポイントそのものは既に絞ってある……。戻ってきた者の全てが、アビスの影響を受けて狂っていったがな……」
それは種の個体数をかけた執念だ。合理的とはとても言えない。
しかし彼女らが何を考えていたのか俺にはわかる。
その杖、有角種の至宝は直接今の情勢をひっくり返すものではない。サマエルは既に封じられた後なのだから。
だがそれでも必要だったのだ、かつての栄光のさなかにあった時代の至宝が、未来への旗印として。
種の存続を目的にしながらも、有角種は命を差し出して杖を求めた。
「問題ない。それがあれば俺たちも助かる。実は天使の子を1人あずかっていてな、その杖さえあれば杞憂の1つがどうにかなりそうだ。……これはフィンを守るためだ、止めてくれるなよゼファー、ラーズ」
「フィン……。あいつが操られる……それは……」
「そなたは親バカを極めたでござるな……。わかったでござる、行かれよ、けれど必ず戻ってくるでござる。焦らずともいつか期は来るゆえ」
悪くない仕事だ。
リスクは計り知れないがメリットに大きな希望がある。
何より発掘屋のアウサルらしい仕事ではないか。これは白き死の荒野での発掘とそう変わらない、そう思うことにする。
「なに、地獄にも地面くらいはあるだろう。いざとなったら地上まで穴を掘って帰ってこよう。……ゼル」
「ああすぐにアビスへ送ってやる。恨むなよゼファー、これは取引じゃ……。今こそアビスへ至れ、妬ましき肉体を持つ者よ!」
俺は地獄の扉を用い、その黒き門をくぐり抜けてアビスの底へと下った。
アビスへと封じられた至宝を取り戻し、有角種の誇りを復活させるために。