19-06 歪められた栄華、角を持ちし者たちの憧憬
「呪われた地でただ1人生きられる怪物、アウサル……」
怪物。そう言いながらもゼルの言葉には羨望に等しいものがにじみ出ていた。
だからだろう、ゼファーも俺の擁護をしなかった。
呪われた地ですら生きられるその身体が羨ましい、それどころか妬ましいと言わんばかりの瞳が俺を見た、ゼファーと同じ顔が……。
「……そうだ、だが今は違う。俺はア・ジールのアウサルだ。そして邪神ユランの使徒でもある。自称ではなくユラン公認のな」
「ほぅ……。知らぬうちにずいぶんと情勢が変わっていたのだな」
「最果てに引きこもっていないで、せめて諜報くらいするでござるよ……っ」
ゼルが一歩俺に歩み寄った。
邪神ユランの使徒として俺を観察して、あれこれと考えを巡らせている。
「必要ない。と思っていたのだが……なるほどユランか……」
「少しばかし前のことだ。俺は呪われた地にてユランを復活させることになった。だからどうか頼む、古き偉大なる種族よ、我らア・ジールに力を貸してくれ。力を合わせてエルキア王国の暴走を止め、地上に再び調和と俺たちの居場所を作らないか?」
ユラン、いつだってこの名が権威となり旗印となってきた。
それだけあれの存在は亜種たちにとって絶大なのだ。
「断る」
「ゼルッッ、もっとちゃんと話を聞いてからでも遅くなかろうっ!!」
ところが有角種には違ったらしい。
ユランの名にすら心動かさず、ゼルはきっぱりと言い放った。
彼女はゼファーと違って己の美貌を認識している。薄く俺に笑った。
「ならば理由を聞かせてくれ、なぜ断る」
「そうじゃな、3つほど揺るがぬ事実を提示すれば満足するか? 1つ、先述の通り地上に我らの居場所は無い。我らは神のもたらした毒に対して脆弱、領土を取り戻したところで今さらそこに住めぬ」
戦っても何も得られないならば戦う理由がない。
わからんでもない。
「2つ、滅びゆく亜種たちを救った伝説の竜ユラン。それは本物か? 仮に本物だとして、神がなぜ人の味方をする。ワシは思うよ。創造主サマエルは傲慢だったが、傲慢ゆえに創造神らしかった。ワシはな、ユランが、無条件で亜種に手を差し伸べる理由が知りたい。一言でいえば、ユランはワシらにとってあまりに都合が良過ぎるゆえに、疑わしい」
その考え方は俺たちになかった。
しかしユランその人の人となりを知る俺には無意味だ。
けしてユランは俺たちをたばかってなどいない。
「3つ、ワシらはこれ以上数を減らせん……。有角種は、種としての生殖能力を蝕まれている……。結界の中で、どうにか数を今の状態に維持するので手いっぱいだ……。ならばこの封印の奥底で、2度とヒューマンや他種族とは交わらず、静かに己を高めてゆけばいい。地上の趨勢はもうついたのだ、勝てぬなら戦う理由はどこにも無い」
噂に違わぬ合理性だ。筋は通っている。
だがユランを否定する点だけはどうにもいただけない。当然だ、俺は使徒だ。
「サマエルが悪意と傲慢の存在ならば、ユランは慈愛と傲慢の神だ。傲慢ゆえに全てを守ろうとする、それが俺の知るユランだ」
「それにまだ地上の趨勢はついていないでござる! それどころか、ついにチャンスが来たでござるよ! 今やア・ジールは獣人とエルフの国を束ねる盟主、奇跡の地が寸断された種族を再び結び直したのでござる! 何より勝算にこだわって戦うことを捨てるなど、バカのすることでござろう!!」
言い過ぎだ、ゼファーの肩を叩いて落ち着かせた。
ゼルは返答を返さない、しかし話を聞いてはくれていると思う。
ならばこれからどうカードを配っていくべきだろうか。ともかくゼファーは冷静ではない、彼女の前に再度割って入って交代の意思を示した。
「クヒヒ……アウサル、この頑固者を御するとはなかなかやるではないか」
「ゼルッ、それをそなたにだけは言われたくないでござる……っ」
さて、ならばそろそろワイルドカードを切るとしよう。
聡明なる有角種の女王ゼルの目を真摯に見返して交渉を再開する。
「まるで他人事だな、ゼルよ」
「ああ、他人事だよアウサル」
それにうまく引っかかってくれた。
返答代わりに薄く笑ってみせて、俺はわざとゼファーと顔を向け合った。
銀角のゼファーも余裕の笑みを返してくれた。切り札を使うのだな、と。
「残念だがそうはいかんのだ。こちら側が潰されれば、エルキアはいずれ有角種を消しに来るだろう」
「無理じゃな、スィールは結界に閉ざされた国よ、やつらはここには来れない」
ゼルは結界に絶対の自信を持っていた。
だが俺たちは知っている。
「そんなものはもはや意味をなさないでござる。アウサル殿、切り札を……」
「ああ。……ゼルよ、これが何なのかわかるか?」
今日のために壊さず保管していたものを道具袋より取り出した。
保護用の薄布を取り払い、それをゼルへと手渡す。チリン小さな音が鳴った。
その音がゼルを、白い角を持った女王をただちに蒼白にさせた。
「ま……まさか……これは……」
ゼルの細い指が震え出す。
聡明な彼女は一瞬で理解した、それがどういった道具であることかに。
彼女の中にあった絶対の常識、ゆいいつの生存ルートが崩れ落ちていったのだ。
「セイクリットベル、それは結界を打ち破る力を持っている。そいつのおかげでダークエルフ反乱軍ニブルヘル砦は、迷いの森の機能を停止させられ、ひとたびは陥落を許すことになった」
ゼルから余裕が消えた。
そんな彼女の手からゼファーがセイクリットベルを荒っぽくかっさらう。
「わかったでござろう。日和見は、もう出来ぬのでござる。これをどこで手に入れたのかはわからぬでござる。だがエルキアは結界を抜ける力を手に入れていた。このベルの2つ目がまだやつらの手にないとも限らんでござる。いっそ今からコレを試してみるでござるかっ!?」
軋轢だ、ゼファーはゼルをまくし立てた。
ところが最悪の可能性を大急ぎで思慮しているのか、ゼルはすっかり黙り込んで己の思考に没頭している。
「確かに有角種は利口でござる。それゆえ勝算の見えぬ戦いを嫌う、拙者も同族ゆえそれはわかるでござる。合理的に見据えた結果、敗色濃ければ逃げ隠れ続け、相手が自滅する時を待つのもいいでござろう……。だけど、それまで、どれだけ待てばいいでござるかっ! あの地上が、神の毒から解放されるまで、一体何年かかるでござるかッ!」
ゼルが思考を一時停止した。
銀角のゼファーを恐れるように見る。小さくかぼそく口が動いた。
「あと2500年……。ああ、それまでに我らの方が滅びるか、外の世界を忘れてしまってもおかしもない月日じゃろう……。それも、再度汚染をまき散らされなかったらの詰めの甘い計算だがな……」
有角種はもう2度とここからは出られない。
弱々しくゼルが自嘲に笑う。
「滅びぬでござる。あの地上に、1つだけ我らが移住できる土地があるでござる……」
「ヒ、ヒヒヒヒ……気でも、狂ったか、ゼファー……。そんな土地……どこを探しても無かった……どこにも、我ら有角種の居場所は無い……ただの1つも……存在せぬ……」
そこで俺は知った。
ここスィールオーブは楽園なんかじゃない。
追いつめられた種の最後の拠り所だったのだ。それゆえ外の汚れを嫌い、あれだけ厳重なシステムをしいた。
「あるでござるっ! その名はア・ジール、その地底に隠されし地は、毒に汚染されていないただ1つの楽園でござるッ! 奇跡がついに起きたのでござるよ、我らの住める世界が、サウスの穴底に眠っていたのでござる! 今ならば未開拓の地も多く、移住のチャンスがあるでござる!!」
「お、俺からも言わせて下さい! 俺は、エルフィンシルで命をかけて封印を守る生活を続けてきました……。そんな自分から見ても、ア・ジールは奇跡の土地なんです! 誰もが笑っていて、自由に生きられて、みんなが地上で迫害されていたのが嘘のようで……。上手く言えませんけどっ、貴方方もア・ジールに来たらよみがえれます!」
なかなかやるではないかラーズ。
黙るところで黙り、言うべきところで期を逃さず言い切るとはな。
ゼルはラーズの言葉にも心を動かし、そして悩んだ。
「そのベルにもし2つ目があれば……ワシらは丸裸にされたも同然か……。だがしかし……そうか、そなたがいたか……」
ようやく聡明な女王が結論を見いだした。
瞳を大きく広げてアウサルを見つめる。
「話はわかった。危険な情勢であることも。……その地下世界が、真実ワシらを救ってくれるかはわからぬが……全てわかった……」
どういうわけかゼルがまた距離を詰めてきた。
もはや息がかからんほどに近い。これは何の意図だ……?
「だがな、ワシらは論理と確実性を好む。勝算の足りぬ話には乗れん。だから……条件を付けよう……」
その条件が俺へと付けられるのはもはや誰の目にも明らかだ。
狂気にも近い羨望の瞳が、アウサルを中央に定めたまま離さないのだから。
「アウサル……神の毒をものともせぬ希有な肉体……。一見不老不死に見えるほどに、役目と同じ顔を継いでゆく、不可思議な一族……」
有角種にとってアウサルとはそういう存在なのだ。
「どれほど……どれほど我らがその肉体を羨み続けてきたと思う……。どれほど……輝かしきユランの千年王国で暮らせる名誉を、我らが妬んだと思う……。劣悪な環境でも当たり前に生きられる強い身体……! アビスの汚染すらものともせぬその身体が――ワシらはツ、欲しくて欲しくてたまらないッ!!」
痛いほどに理解が出来た。
俺だってそうだ。この肉体に生まれさえしなければ、サウスにて静かな幸せを得られたかもしれない。
そう考えていた頃もあったのだ。
「地上を取り戻し、邪悪なるサマエルにより歪められたかつての栄華を、取り戻したいと願わぬ日などない!! 有角種は完璧じゃった! なのに、失敗作のレッテルを貼られて天使に狩られた! 信仰心……? 神の奴隷になり下がるのが信仰ならば、そんなものは必要無い!! 有角種は完璧だ、断じて、失敗作ではないのだッッ!! かつては地上を支配した最高の種族だったこと、それこそがワシらの誇りだからだ!!」
それがゼファーも知らないゼルの本心だった。
ゼファーも彼女の激昂に驚き、本当の心の叫びに大きなショックを受けていた。
「サマエルの理想! ユランの狙い! そんなものはもうどうでもいい!! ただ強い肉体と、汚れていない土地が欲しい!! そ、そのために、そのためにワシは……ワシらは……ッ、禁忌に、手を染めて……!」
動揺した彼女が俺の胸にすがりついてきた。
両手は震え、妬みか、怒りか、悲しみかわからない顔で。
「やはり、それで拙者を作ったのでござるか……」
「そうじゃ……。だというのに、そなたというやつは、どこまでも、我らの在り方を否定しおって……何から何まで、そなたは……」
していいことかどうかはわからない。
銀角のゼファーでない女性の背中にそっと手をそえ、それから軽く叩いた。
それがゼルの落ち着きをわずかに呼び戻す。
最初は恥じらった。だが知能が高過ぎるのだろう、何か悪いことを思いついたかのようにあざ笑い、それから俺の胸から離れて己の角を撫でてみせた。
ゼファーの正体が気になったが。
「ならばこうしよう……。ワシらも何も無策でいたわけではない。数こそ少ないが知能に秀でた大いなる種として、数々の試みを続けてきた。そのうちの1つを……アウサル、貴殿にたくすことにしよう……」
何かの合図か、ゼルは不思議な力で己の手に幻影の鳥を生み出した。
それが飛び立ち、扉をすり抜けて建物の奥へと消えてゆく。
「アウサル、強き肉体を持ちし妬ましき種よ……。これよりそなたは、ワシらに代わりて――アビスを下れ……」
病的にまで暗い瞳を輝かせて、古き種族の女王は比喩表現にも等しいその名を告げた。
あの日アビス生まれの竜人アザトは言った、アウサルならばアビスの深淵に至れるかもしれないと。