16-05 モグラだって猫を噛む スコップ抱いて暗躍する、栄誉無き聖戦 2/2
「エルフはな、やはり長寿過ぎる。いつまでも1人の王者が世の中を治め、死を恐れるがゆえに争いを嫌う。ほらアウサル、やつらは失敗作だ」
「なるほど……ならば獣人はどうだ」
ダークエルフは勇敢だ。
その長い寿命をかなぐり捨ててまで仲間を守ろうとしている。けして臆病者などではない。
「あれは温厚過ぎる。肉体は優れているがバカだ、競争力が無い。あれは神の愛玩動物が野生化したような存在だよ。家畜や愛玩対象として残してやってもいいかもしれんが、この世界の民にふさわしい存在ではない」
「だから消すというのか。全てを喰らい尽くすアリを、だから獣人の国にまいたというのかアンタたちは……」
俺の言葉にクリムハルトは笑った。
年齢は40近いかもしれない。そのしわの生まれかけた顔が悪意に歪んだ。繰り返そう、笑いを浮かべたのだ。
「それは知らんな。だが素晴らしい計画ではないか。まだ滅びていないのを見ると失敗したようだが……素晴らしい力だ」
「……クリムハルト、その喉を今ここで斬られたいのか?」
「まあいいではないか、楽しい話の続きといこう、怪物よ。……さて残る巨人と有角種、このどちらも世界の主、サマエル様は否定なされた。信仰心に目覚めぬ愚かな巨人、己こそが世界の主とおごり高ぶった有角種。考える間でもない、どちらも白き神聖なる神サマエルの民にふさわしくない。失敗作だ」
理解できないが納得できた。
これがエルキア王国上層部の頭の中なのだと。
「おおっ、そうなると我らヒューマンこそが選ばれし種ではないかッ! フフフフフ……アウサル、呪われた一族よ、貴様も、亜種族どもも浄化してやろう。我らに清められた種は、ヒューマンとして生まれ変わることが出来るのだよッッ!」
「……アンタ」
これを絶句と呼ぶ。続きの言葉が出てこなかった。
クリムハルト卿は真顔で言い切っていた。
建前ではない、本気で全ての妄言を言葉にしていた。
これがエルキアの狂気の一端なのか、狂気は狂気そのものから生まれていたのだ。
それから最悪のケースを考えた。
もしこんな頭のおかしい思想がエルキア王国上層部に広がっているとしたら……。
もはやもう和解など不可能だ、エルキアという王朝を滅ぼすしか俺たちには未来がない。
「なぁアウサル、浄化されたいとは思わないか? その忌み嫌われる醜い姿を捨てて、一介のヒューマンとして生まれ変わりたいとは思わないか? そうすれば貴様は誰にも否定されない、ヒューマンの社会に混じって女を愛し、家庭を作り、幸せに暮らせるのだよ」
やつの声色が途端にやさしく、いかがわしいものになった。
俺の弱みにつけ込もうというのだ。
サマエルが救ってくれる。その言葉が多くの者を今日まで従わせてきたに違いない……。
「ユランではなくサマエル様を信じろアウサル。サマエル様がお前を救って下さるぞ。念願が果たされれば争いもこれで無くなる。全ての亜種が地上より駆逐されるのだから当然だ。誰も彼もが同じ、ヒューマンになれる時代が来るのだ。それこそが至上の救い、サマエル様を信じろ、サマエル様が我々を救って下さるのだ……!」
俺は心のどこかでその甘い言葉に耳を傾けてしまっていたらしい。
気づいた頃にはスコップの切っ先からヤツが逃れてしまっていた。
クリムハルトがベッドをより立ち上がり、白銀のショートソードを俺に身構えている。
「安心しろ、兵は呼ばない。アウサルお前は私の説法を聞いてくれたからな。それに、偉大なるサマエル様は私に力を下さった、この力があれば兵などいらぬ、私がお前を直々に浄化してやろう……!」
「神の力……? 大した思い込みもあったものだな」
冷たくあしらいながらも俺はスコップを身構えてヤツの様子をうかがった。
身に覚えがあるからだ、神の力に。まあ俺の場合は邪神だったのだがな。
「さあ楽にしろ、浄化してやる、これでお前もただのヒューマンになれるのだ。サマエルの尖兵クリムハルトに身をゆだねよ」
「フッ……さっきから何を言ってるんだアンタは? 俺は、アウサルは最初からヒューマンだ、怪物などではない。よって、浄化など要らんのだ。アウサルはアウサルという特殊進化をしたヒューマンだ。俺は、己自身と先祖の生まれ、その行いを恥じたことなど1度も無い」
ヒューマンだから何だというのだ。
ダークエルフたちは俺にやさしくしてくれた。
ルイゼもダレスもジョッシュも俺を受け入れてくれた。
ラジールに至ってはこの瞳を竜眼と呼び、いたく気に入ってくれている。俺は俺であることを恥じない。
「わからんやつだな、そんな言い訳をしたところで現実は変わらんぞアウサル! 誰もお前を排斥しない世界が、欲しくはないのか!!」
「要らん。アンタたちの教えは歪んでいる。信仰というあり方を侮辱するほどに、アンタたちの教えが教えを争いの道具へと変え、人々を騙そうとしている。……そんな手前勝手の教義などで人は救えん。そのまま腐れ果ててこの世界から消えてしまえ」
決裂だ、クリムハルトが剣を薙いだ。
ところが妙だ、距離が遠過ぎる。何かまずい予感がして俺は身を地べたへと低く低く落とした。
「チッ……カンの良いやつだ。呪われし怪物め、種族ですらない異形の者め、あのアビスから来たと言えば私は信じてやるぞアウサル」
背後の壁が低く鳴り響いた。
振り返ればその表面が斬撃されたように浅く崩れている。
アウサルがアビスから来た、か。それは面白い推論だな、可能性としてはあり得る。
「死ね、この反逆者! 死ね死ね死ね死ねぇぇッッ!!」
遅くなったが正式に明かそう、俺の役割は暗殺だ。
このクリムハルトという処刑推進派を亡きものにしつつ、指揮系統を崩壊させる。
よって2階の副指令もこの後倒していかなければならない。こんな小者に時間を取ってなどいられなかった。
迫り来るソニックウェーブをかわし、回避不能なものをスコップで防いだ。
「これぞ神の力! ここまで本気を出せたのはお前が初めてだぞアウサル!」
「アンタ、増長し過ぎだ……」
しかし何なのだこの力は……。
剣の性能ではない。しかしただの人間がこんな……魔法のような力を連発出来るだなんて俺は知らない。
まさか本当に、サマエルの加護を得ているというのか……?
「待った、決着を付ける前に1つ質問をしたい」
「ほぅ? もちろんいいとも信仰心を失った哀れな怪物よ」
「アンタの崇めるサマエル――この世界の創造主は今、どこにいる……。天の獄に封じられたと俺は聞いたぞ」
ユランはサマエルと相打ちになったと言っていた。
だがそのときサマエルは天獄に封じられているはずであり、そもそも復活するはずのない存在だった。
どちらにしろ相打ちになったはずなのだ。それがなぜか今になって急に動き出している。
「何を言うと思えば、天におられるに決まっている。天の獄? 知らんな、サマエル様はいと高きお方、牢獄に封じられるなど起こりえん。そんな伝説は、ただの偽典だ」
「ああすまない、忘れていた。アンタが狂信者だってことにな。だが悪いな、俺もアンタから見れば狂信者だ、ユランの語る真実の神話を信じる者だ」
サマエルとユラン、どちらが真実なのか。
ただの種族に過ぎない俺たちには論理的な判断を下すことが出来ない。だが俺はユランを信じる、あの心やさしい竜を。
「サマエルは天獄へと封じられた。抜け出すのは不可能だと罠にハメたユランが言った。ならば――アンタたちの語る創造主サマエルは、やはり偽者だ。アンタたちは、偽者のサマエルを崇めている、ペテン師がペテン師の罠にかかっているようにしか、俺には見えん」
クリムハルトから殺意が放たれた。
顔を真っ赤に染めて銀剣を振るい、あの危険なソニックブームを放ってきた。
欲しい情報は得られた、ユランとグフェンにこのことを伝えよう。
俺はそれを回避しながら翠の宝石ウィンドマテリアルをスコップに装着した。
「しぶといやつめ! サマエル様を侮辱する者は死ね! 清められることなくアビスの煉獄へと堕ちるがいいッ!!」
「アンタの敗因を教えてやろう、エルフの過小評価だ。……ダークエルフとライトエルフの力を思い知れ。悪いが、アンタには死んでもらう!!」
ヤツの渾身の衝撃波をウィンドマテリアルのもたらす風圧で無効化した。
後は簡単だ、大振りな挙動で動きを止めたヤツ、クリムハルトの喉を研がれたスコップで薙ぐ。
クリムハルトが往生際悪く、必死でそれを剣で防ごうとしたがしょせんはそれも金属、剣は喉ごと斬り潰されていた。
「カッ……ッ、ァッ……」
血しぶきは俺に届かなかった。
風圧が全てを阻み、狂信者クリムハルト卿の背中側の壁に飛び散った。
音もなく、間もなく死体となる身体が地へ崩れる。
……今日だけで3人も人を殺した。
だが後悔は無い。死んで同然の人間を社会に代わって片付けただけだ。
これで多くのエルフが救われるなら……この栄誉無き悪行を誇りに思おう。サウスには正しき秩序も法も無い。
足下に転がるクリムハルトは喉からヒューヒューと言葉にならない呼吸を繰り返していた。
憎しみに血走った瞳が俺に何かを言っている。
「俺がアンタを浄化してやった。喜べクリムハルト、アンタの来世は……ダークエルフに決まりだ」
「ッッ……!!」
するとより深い憎悪がヤツの顔を歪ませた。
だがずぐに出血によるショックでクリムハルトは心拍を止め、動かなくなった。
ああは言ったがこれは浄化などではない、ただの死であり殺害だ。
「さて……。ふぅぅっ……急がないとな」
俺は次に己の胸にある階級章をむしり取った。
それをクリムハルトの血だまりに捨てる。
さらにもう1つ、ここに残さなければならないものがあった。
ポコイコーナンが命を掛け金に奪い取った、偽物のセイクリットベルを目立つように血の海へ。
あとはグフェン率いる諜報部隊が、ガセネタをスコルピオにつかませる計画だ。
ベルを奪ったのは、クリムハルト率いる王軍だと。
詳しい事実関係を知らぬ王軍の後任、あるいはエルキア上層部は、ベルの存在からスコルピオがニブルヘルの脱獄劇に協力したのではと深読みし始めるだろう。
事実、スコルピオはベルを奪われてしまった。今回はもう王軍と協調して動くことなどあり得ない。
さらに付け足すならばがめつい男タールの階級章だ。その素行と金使いの荒さから侯爵側に裏切ったと王軍は読む。
必ずしも筋書き通りにいくとは限らんが、そこから先は諜報部隊のお手並み次第だ。
俺はクリムハルトの部屋を去り、2階に下って副指令の寝首をかいて、駐屯地より地下道経由で撤退した。
これで4人目だ。