14-05 その名はハルモニア、巨塔の管理者として調停を為す者
「そうか、だがそれはおかしいだろう。現にアンタはエルフィンシルの統治者をしている。サマエル――いや、その独善的な思想を継ぐエルキア王国は、ヒューマン以外の全ての種を絶やそうとしてる。つまり、いずれエルキアの牙はこの国にも及ぶ、アンタはそれを黙って見過ごすというのか?」
こんなこともあろうかと。という異界の言葉がある。
俺は布包みを取り出して調停神ハルモニアの目の前である切り札を開封した。
それを見て彼女はまゆを一瞬だけゆがめるが、その後はいつまでも俺の言葉に返答を示してはくれなかった。やれやれ感情の読みとりにくい女神だ。
「おい、それはなんだアウサール、ずいぶんでかいなっ」
「アビスアントの指だ。全てを喰らう、とんでもない大食いアリのな」
「こ、これが指ぃっ?! おいおいおいおい話には聞いてたけどよっ、こりゃデケェなんてもんじゃねぇだろ!」
「おっそろしいなぁここの世界はよぉー。カカカッ、お化けがいないってわかって俺ぁ、一安心だが」
見せるものは見せた、その指を布ごとラジールに預けて俺は交渉に戻ることにした。
それとブロンゾ、お化けはアンタだ。
「これを見ても気は変わらないか? これはついこの前、ダ・カーハで大量発生したものだ。推測に過ぎないが、恐らくこれをまいたのはエルキアだ」
「……。ユランの使徒アウサルよ、何も知らない若い男よ、キミが思うよりずっと世界は広いのだよ。世界は、キミの知らない事情とシステムによってかろうじて成り立っている」
女神ハルモニアは冷静だった。
ただ少なからず心動かされているのは間違いない。
ここエルフィンシルにアビスアントをまかれる可能性もあるのだから。
「キミらの無垢なる戦いに加わり、不幸にもこのエルフィンシルが戦禍に包まれたその時は……世界維持のシステムが狂うことになる。そうなればいずれ取り返しのつかない災いが襲い来るだろう」
「わからんな。ならばどうすればいい、どうすれば俺たちに力を貸してくれるというのだ。そこまでして守りたいシステムというのは、一体なんだ?」
するとハルモニアは薄笑いを浮かべた。
そんな話もユランから聞いていなかったのかと、今にも言葉に出してきそうな態度だった。
「オレは調停の神。でも別に人と人の争いを調停するわけじゃない。オレは、アビスと呼ばれるたちの悪い別世界を封じる役割をサマエル様に与えられた。それを今も守っている、この役目を放棄したら、世界が滅びてしまうからな」
アビス……。アビスアントとなにか繋がりがあるのだろうか。
まさかその地獄の代名詞みたいな場所から、アビスアントの原種を獲得したとか言うなよ。
「サマエル様が間違っていたことはオレも認めよう。その思想を継ぐエルキアもまたしかり、オレも良く思っていない。……だが正義より優先されるべきはアビスの封印、よって協力は出来んという理屈だよ。悪いが、そっちはお前たちでどうにかしてくれ」
ユランのやつ、きっとわざとこのことを黙っていたに違いない。
この事実を尊重して、そこで交渉を諦めてしまうのを嫌ったのだ。
しかし困った、現に女神ハルモニアにその気が無い、こうなってしまうと難しい。
計画が台無しになれば手ぶらで帰るはめになる。それは絶対に避けたい。ア・ジールの士気を下げることにもなりかねん。
「アウサール、判断は貴様に任せる。まあこれは個人的な部分なんだが、我はこの国の武人どもが気に入ったっ! もっと懇意にしたいところだぞっ!」
「ケッ! 実際問題よぉー、おいらたちゃ今の戦力だけでエルキアには勝てねぇだろ! 数が違い過ぎるぜ、話のわかんねぇ女だ!」
そうだ、今のままじゃ逆立ちしたって勝てない。
だから今も俺たちはア・ジール地下帝国に引きこもっている。いずれその秘密もバレれてしまうだろう。
そうなるとどうにかしてこのハルモニアを説得しておきたい。
そもそもだ、エルキアが果たしてここエルフィンシルを捨ておくだろうか。いやあり得ない、やつらは狂っている、理屈など通用しないと思う。
仮にフレイニアが破れたら次にエルキアはここに侵攻する。そしてそれは世界の滅びを意味すると彼女は言うのだ。これは厄介事が増えたも同然だ。
「……と、1000年前のオレなら言っただろうな」
「にゃ、にゃんだとぉ~?! それってつまり、もしかしておめぇ!」
言葉を探して難しい顔をしていると、こちらの気が抜けてしまうほどに女神ハルモニアがやわらかく笑った。
キッチリとした姿勢を崩して少しナルシストに髪をかき上げて、調停神は態度を突然に変えたのだ。
「で、そこの坊やは次にこう言うだろうな、エルキアがエルフィンシルを滅ぼしに来ると」
「ああ……そうだ。だから俺たちに協力しないと、結局アンタも役割を遂行出来なくなる。それは破滅を意味するとアンタは言った」
だがそれはあくまで仮説の話だ。
向こうがこの地の重要性を理解しているならば、エルキアは中立を保つかもしれない。説得の言葉にはやや弱かった。
「ならこうしよう、こちらの願いを聞いてくれアウサル。……ラーズを呼べ、明日の朝一番で塔を開く」
「ラーズを……? はい了解しました、ハルモニア様。おい……」
出入り口に護衛をかねての見張りがいた。
その兵がうやうやしくハルモニアの要求に従い、配下の1人を連絡に出した。きっとラーズという者にこのことを伝えにいくのだろう。
「むむっ、どういうことなのだっ?」
「ユランの軍勢よ、ならば条件がある。ザ・ヒーロー・ラーズを率いてアビスの塔を上れ。オレが納得出来るだけの証を示したその時は、今度こそ……今度こそオレはあの反逆者ユランに味方しよう」
アビスを封じる役割を持つ国、封印の国エルフィンシル。その塔を上れだそうだ。
恐らくこれは試練だ、俺たちという使者を介して、調停神は戦いの勝算を計ろうとしているに違いない。
「よーしっ! よくわからんがその話乗ったっっ!!」
「なーんかヤベェ臭いがプンプンするけどよ、後には引けねぇか……アウサルの旦那、ここの戦力は俺も是が非でも欲しいぜ」
「おうおうがんばれよぉ~てめぇら! 俺ぁ見学することしかできねぇけどよっ、カカカッ!」
しかしこの鍛冶ハンマー、不安は残るがフレイニアで技術指南でもさせておけば良かったのではないだろうか。
「つれないことを言うなブロンゾよっ! 我は貴様の重さと握り具合が気に入ったぞ、しばらくこのラジールの武装として有効活用してくれよう!」
「ば、バカ野郎っ! 俺ぁ鍛冶ハンマーだっつってんだろがーっ! 職人道具を、武器にすんじゃねぇっ、ポックリ死んだらどうしてくれんだこのクソビッチがっ!!」
「わははっ、1人だけ安全なところに居ようだなんてそりゃ虫が良過ぎんぜおっさん! 荒っぽくやっちまってくれラジール!」
ところがどっこいブロンゾにも出番があるそうだ。
ニブルヘル砦にはこんな言葉がある。ラジールに好かれたのが運の尽き。
ともかく俺たちは翌朝の塔開きまで、客室にてこれまでの旅路の疲れを癒すことになったのだった。
ああわかっている。ラジールに好かれるという苦労は俺が1番この身でな……。