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精霊の湖  作者: 桜木ゆず
第4章 トレイユ城

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第4章22話「許されざる罪人」

私たちは王の寝室へ向かっていた。

吹雪はすでに止み、外は深い闇に沈んでいる。時刻は未明。

石造りの冷たい廊下がどこまでも続き、歩いても歩いても、まだ目的の扉は見えなかった。


廊下には光虫の瓶が等間隔に置かれていた。

瓶の中で小さな虫たちが羽音を立て、淡い光を放つ。その光が壁や床に揺らめき、夜の静けさをいっそう際立たせていた。


私は眠気も感じず、ただ上の空だった。

――ルーフェンは、どうしているのだろう。

そればかりが頭を占めていた。


「ホープさん、顔色が悪いですな」


隣を歩くバラバイの声に、思考が現実に引き戻される。


「えぇ。今日は魔法をたくさん使いましたから……体力も魔力も、かなり削られているんだと思います。でも――今日は、何でもやれそうな気がするんです。王様の呪いだって、きっと解けます」


言葉の裏で、確かな力が体の内に満ちているのを感じていた。

イルマとルーフェンのために。

それだけのために、私は歩いている。


「……ホープさんはピューランでしたな。実は、私もピューランなのですよ」


「ヌーシャルさんから聞きました。だから、戦祭りの時も呪文を唱えずに魔法が出たんですね」


「ええ、その通り。しかし残念ながら、私は魔法を自在に扱えぬ身でしてな」


「練習をしなかったんですか?」


「もちろんしましたとも。……だがある時、身内を魔法で傷つけてしまって。それ以来、自分の力が恐ろしくなったのです。それで誓いました。もう二度と、魔法は使うまいと」


いつも朗らかなバラバイが、珍しく遠い目をしていた。


「……とはいえ、気をつけていても、無意識に使ってしまうことがあるんです。戦祭りの時もそうでした。――あの時、ルーフェンさんの義足を壊してしまった」


彼の声に、静かな悔恨が滲む。

私は自然と、自分の記憶を重ねた。

奴隷だったあの夜。おじいが刺され、自分も死ぬと思った時。怒りに任せて放った魔法。あの時、私は――騎士を殺してしまった。


足が止まり、視線が床に落ちる。


「……私も、魔法で深く後悔したことがあります。もっと早く自分の力を理解していたら、大切な人を救えたかもしれない。あるいは、奪わなくてもいい命を、家に帰せたかもしれない……」


胸の奥が締めつけられた。

それでも、過去に沈んでいる場合ではない。

今は――やるべきことをやらなければ。


私は背筋を伸ばし、バラバイを見上げた。

彼は立ち止まった私を静かに見つめている。


「バラバイさん。……命を懸けて戦う騎士であるあなたに、こんなことを言うのは失礼かもしれませんが――人の命を奪うことは、大罪です。たとえ相手がどんな人間でも、許されることではありません。私は、そう思うのです」


バラバイは何も言わず、私の言葉の終わりを待った。


「だから……イルマさんを、どうか極刑にしないでください。彼女のしたことを許せなくてもいい。けれど、どうか――助けてあげてください」


声が震えた。けれど、最後まで言い切った。

胸の奥では、イルマと自分が重なり、苦しさで息が詰まっていた。

私もまた、誰かに――許されたい。


バラバイはしばらく黙っていたが、やがて静かに言葉を落とした。


「あぁ……“許されざる罪人”とお告げにあった理由が、今、なんとなく分かりました。初めて会った時から感じていた。あなたは……ただの子どもではない。ピューランだからではなく、何か、特別な存在だと」


その声は穏やかで、深く響いた。

私は首を横に振った。


「いいえ。私は特別なんかじゃありません。誰かの特別だったなら、きっと私はここにはいなかった。誰の特別でもないから、私は今、ここにいる」


言葉に嘘はなかった。

そのまま目を閉じると、廊下に響くのは二人の呼吸だけになった。


やがて、バラバイが浅く息を吸い、苦笑を浮かべた。


「そうですか……。あなたの想い、確かに受け取りました。……もっとも、私にはイルマさんをどうこうする権限はありませんがな。だが、覚えておきましょう。あなたのその言葉を」


それきり彼は何も言わず、再び歩き出した。


長い廊下の先――ようやく、大きな扉が現れた。

金の装飾が施された豪奢な扉。その前には、衛兵が二人立っていた。

すると衛兵から、バラバイへ近いていき、彼を呼び止めた。


「騎士長……。お耳に入れたいことが」


そう言うと衛兵の一人が耳打ちする。


「な、なんですと!?」


廊下に響くほどの声で、バラバイが叫んだ。


「……私から先に王に話をしてきます。ここでお待ちを」


そう言うと、見張りの騎士と短く言葉を交わし、バラバイはノックをして中に入っていった。

扉の隙間から見えた室内は、ろうそくの灯りが揺れ、豪奢なカーテンが風に揺れていた。


私は廊下に残り、見張りの騎士をそっと観察した。

二人とも、微動だにせず宙を見つめている。まるで彫像のようだった。


やがて――


「ホープさん、中に入ってくれますかな」


バラバイの声が部屋の中から聞こえた。

私は二度ノックし、静かに扉を押し開けた。



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