第4章20話「異路同帰」
あなたの旅はもうとっくに終わってしまった。
でも私はこれから長い旅を続ける。ただ流され漂うようにして。
あぁ、どうして……?どうして私の前には、こんな道しか……。
「さあ、二人とも目を閉じて。この、穏やかで、凪のような静けさから……目を覚ますんだ。聞こえるだろう?外の人々の声が。ほら、目を開けてごらん……?」
ハーレンの柔らかくて温かい声色に心が安らぐ。
私は目を閉じて、ハーレンの声に意識を集中する。
すると次の瞬間、冷たくて固い感触が頬をヒヤッとさせる。心と体の対照的な感覚に私は思わず目を開けた。
目に飛び込んできたのは、竜骨の広間の大理石の床だった。たくさんの人々がこの上を歩いてきたのだろう、大理石は所々ひび割れている。頬の感触の正体が分かり、少しホッとした。
次に目を前にやると、大きな竜がいた。
それは青い鱗の竜、イルマだった。
イルマは目を閉じていて、全く動かない。
「イルマさん……?」
私の呼び掛けにイルマはゆっくりと目を開けた。彼女はぼうっと私を見ている。
私は体を起こす。すると体がきしみ痛んだ。思わず、ううっと唸り声を上げる。
すると鼻血が垂れて、ひび割れた大理石の床を汚した。鼻から垂れた血は、床をゆるりと流れる。
「ホープさん!無事ですかっ!?」
聞き覚えのある男性の低い声が後ろの方からした。
振り返ると武器を持ったバラバイが汗を滴しながら私を見ている。
「バラバイさん?どうしてここに?」
いや、バラバイだけじゃなく、城の騎士と魔法使い達が私とイルマから十数メートル程離れて立っていた。
竜を見て恐怖を浮かべる人、困惑する人、人々は様々な表情だ。
その原因は自分達だ。早く不安な人々を安心させないと。
「……私は、いえ、私達は大丈夫です。皆さん、この竜は危険ではありません。落ち着いてください」
できるだけ低く落ち着いたトーンで、広間にいる全員に聞こえるように言った
「とにかくご無事そうで良かった……。して、その竜は一体?!」
バラバイが眉をひそめながらいった。
「この竜はイルマさんです。私のピューランの力でこうなってしまったのです」
「えっ……?イルマとは、もしかして魔導師のイルマさんですかな?」
バラバイがますます眉をひそめた。彼は目の前にあるものが信じられない様子だ。
「キミは一体なんてことをしたんだね?!」
上質な魔法使いのローブを着た男性が叫んだ。
よく見るとそれはあのヌーシャルだった。
彼の丸いメガネの奥の丸い目は、怒っているのか呆れているのか分からなかった。
「騎士長様、魔導師長様、私はこのような姿をしていますが、イルマ・ラダ・レスタです。この子の言う通り、あなた方を傷つけることは決してありません」
イルマが背筋を伸ばし言った。彼女の鈴のように美しい声が広間に響きわたる。
「り、竜がしゃべった……!」
騎士の一人がおどおどしている。当然の反応だろう。
「なるほど……。本当にイルマなんだな?」
ヌーシャルはメガネを掛け直し、竜をよく見て言った。
「この竜が人間?……なんてこった……」
騎士の一人が呟いた。
「ところで、この魔法の輪も、ホープさんが作ったものなのですか?」
バラバイは低いトーンで落ち着いて尋ねた。
「魔法の輪……?」
そう言われて辺りを見渡す。
最初は何も見えなかったが、目を凝らしてよく見ると、自分とイルマの周りに直径10メートル程の半透明で巨大な半円の輪が形成されていた。
人々はこの輪の中に入れないようだ。
「この輪を私が……?」
身に覚えはないが……ピューランの意思の力か?十分にあり得る話だ。
輪の魔法に意識を集中させる。
しかし、輪からは邪悪なものは感じられない。
「この輪のことは分かりませんが、問題なさそうです。とにかく、彼女を元の姿に戻してみるので、少し離れててください」
私はこれ以上、鼻血が垂れないように、右手で鼻を押さながら言った。
「イルマさんも、じっとしててもらえますか?直ぐに済みますから」
「ええ、お願いするわ」
イルマは竜の姿でニッコリと笑った。
「じゃあやってみますね……」
ふうっと口から息を吐き、鼻を押さえていた右手を離す。もう鼻血は止まっていた。
たくさんの人が見ている中で、魔法を使うのは初めてだ。
体は痛みと緊張で強ばっている。私は意識して体から力を抜き、手足をブラブラさせて緊張した筋肉をほぐした。
再び息を吐いて、ゆっくり大きく息を吸い、ハーレンに教えてもらった言葉を静かに唱えた。
「我は魂の奥底に眠る秘密を知る者。かの者の真なる姿を知る者。真なる姿を隠し、人なる姿を映し出せ」
魔法を唱えるのと同時に、周りにあった魔法の輪が泡のように弾けて跡形もなく消えた。
すると両手にじんわりと温かい空気が集まる。
それらに意志を感じる。それはただ解放を望んでいた。
私はそれに応えて、両手を天井に掲げ、自由にさせた。
自由になったそれらは、イルマの上空に溜まり、次第に雲が形成されてゆく。
雲は水分を多く溜めているようで、しばらくすると耐えきれずに、雨を降らせた。
その雨はイルマの青い鱗を優しく濡らす。
「この雨、綺麗。気持ちいいわ……」
イルマはうっとりとした表情だ。魔法が上手くいったことを悟る。
するとイルマはどんどん小さくなっていった。それと同時に、人の形になっていく。
青い鱗に覆われた竜の姿から、雪のように白い肌に戻っていく。だんだん戻っていく……
1分程経つと、もう広間のどこにも竜はいなかった。
代わりに元の姿に戻った彼女がそこには居た。
私はもう大丈夫だ、と確信し、空に上げた両手を下げた。
どこからともなく拍手が起こる。つられて他の人も拍手をする。竜骨の広間は安堵した人々の拍手でいっぱいになった。
だが、どこか、もの悲しげな表情のイルマがそこにはいた。
……これから起こることについて、きっと、おおかた予想がついているからだろう。
例え、今回の呪いの件で、彼女が罰せられなかったとしても、真実を皆に知られれば、今後、冷たい視線を向けられるだろうから。
自然と私も彼女と同じ表情になる。
するとイルマは寂しそうに微笑みながら、そっと私に近づいて、私を抱き締めた。
そして彼女は一言、私に感謝を述べた。
もう、イルマから呪いのニオイはしなかった。
それは呪いが完全に彼女の中から消滅したことを示していた。




