第4章16話「価値のないもの」
光に眩んだ目を開けると、そこは竜骨の広間……ではなく、深い森と青い水面に覆われた地。ノの森の美しい湖だった。
「どうしてここへ?まさか魔法で移動したの?」
凪で波がなく、湖はピーンと水が張っている。
あまりにも静かだ。それに音がなく、耳が痛いくらいに静まりかえっている。
その揺らぐことのない水面は、夜空の星と月を、そのままそっくり映していた。
「ここ、現実じゃないよね。……もしかして私、眠っちゃったの?ハーレ……」
「ホープちゃん?」
背中で蚊の鳴くような小さな声がする。びっくりして振り向くと、イルマが人の姿で立っていた。
「イルマさんっ!良かった、人の姿に戻ったんですね!」
「ええ。そうみたい。でも私、どうなったの?竜の姿になって、何がなんだか分からなくなったと思ったら、光が私の胸を貫いて……」
そこまで言うと、彼女は不安そうに胸を手で押さえ、異常がないか確認している。
「私、なんともないみたい……。それでここは、どこなのかしら?暗くて足元がよく見えないわね。……トリテグ・カサル」
イルマが基本の火の呪文を唱えた。しかし言葉だけが虚しく宙に浮き、消えていった。
「不思議。こんなこと、初めてだわ。ここ、魔法が使えないみたい。もしかして私たち……、死んだのかしら?」
イルマは再び不安そうな顔になり、辺りを見渡した。
「いいえ、確証はないけれど、おそらく大丈夫です。夢の中……とでも思ってください」
イルマを怖がらせないように、できるだけ落ち着いて穏やかに言った。
「夢の中……。じゃあ、私が竜になってしまったのも夢なのかしら?」
「いいえ、それは現実です。私、ピューランなんです。魔導師のあなたならピューランが何か、知っていますよね?」
イルマはそれに静かに頷いた。
「私は、あなたを止めるために、"掛けられた全ての呪い"が解けるようにって、意志の力を使って魔法を使ったんです。そしたらなぜかイルマさんが竜の姿に……。もしかしたら、竜骨を見て、竜をイメージしてしまったのかも。まさかこんなことになるなんて……」
「……いいのよ。私には竜の姿の方がお似合いよ。それにその方が良かったのかもしれないし」
「えっ?どういう意味ですか?」
「不思議だけどね、竜になった瞬間に悟ったの、あぁ、これが本当の私なんだって。その上、ずっと竜の姿のままで居たい、そんな風にも思ったの……。可笑しいでしょう?」
彼女はクスッと笑って目を細めた。
「ずっと竜のままでいい……?」
「ええ。私は身も心も正真正銘、怪物だったようね。これじゃあ、アルシア様と釣り合わない訳だわ」
イルマはゆっくりとしゃがんで、雪の積もった湖畔の草花に優しく触れた。彼女の横顔は寂しそうだった。
「……あなたは怪物なんかじゃないですよ。イルマさんは優しい人です。だって、今回の件は全て、私利私欲ではなく、同族の人魚達の為、だったんでしょ?」
「……はぁ、ホープちゃんって本当に愚かな子。そういうのを敵に塩を送るっていうのよ」
イルマはしゃがみながら、顔だけこちらを向けて言った。
「あはは、そうか……。私とイルマさんは敵同士、なんですよね……」
敵、という言葉を出すと、急に彼女と目を合わせたくなくなり、視線を足元に向ける。
すると彼女はスッと立ち上がった。そして、ゆっくり歩いて私の側まで近づいて、口を開く。
「そんな顔をしないで……。決心が揺らいでしまうでしょう?」
「だったら、もう、こんなこと、やめにしませんか?あなたを力づくで止めたくないんです」
「いいえ。止められないわ。ホープちゃんには悪いけど、他に方法がないのよ。……ごめんなさい」
私はイルマの顔をじっと見る。しかしその意思に揺らぎは一切なかった。
イルマが諦めないのなら、私はそれを止めるしかない。しかし、これでは堂々巡りだ。
一体、どうすればいいの……?
考えろホープ。きっと何か、彼女の道を変える方法があるはずだ……。考えろ……
「……ホープちゃんの瞳って、何だか不思議で綺麗ね。じっと見つめられたら、心が飲み込まれてしまいそうだわ。紫っていう珍しい色だからかしら?羨ましいわ」
ふいにそう言われて、そこで思考が止まる。
私はそれに頬を緩めてイルマに笑いかけた。
瞳の色を褒められることは多いが、いつでも素直に嬉しい。
「ありがとうございます。……イルマさんの青い瞳も空みたいで、すごく綺麗ですよ」
「空みたいな青い瞳、ねぇ。子どもの頃から、"人魚の特徴"と言われる、この青い瞳が大嫌いだった。青い瞳の人は全て、人魚という訳ではないけれど、この瞳のせいで、自分が人魚だと気付かれるのではないかって、いつもびくびくしてた」
彼女は美しい自らの瞳に価値を見いだしてはいなかった。彼女にとってそれは、むしろ憎むべきものだったらしい。
自然と彼女に興味が湧く。この人はどうやって生きてきたのだろうか、と。
「この夢から覚める方法も分かりませんし、良かったら、イルマさんの話を聞かせてくれませんか?」
「私の話?……そうね……面白い話なんて出来ないでしょうけど、いいわ。何を聞きたいの?」
「あなたがどこで生まれ、どのように育ったのか……。あなたの過去が知りたいです」
「……私の過去……ね。いいでしょう。うーん、そうねぇ、どこから話そうかしら。……私の生まれ故郷は西の国、ギギラよ。奴隷制度のある国でね、母は魔法使いだった。そして父は……」
「……父は人魚として生まれ落ち、そして奴隷となった。」




