第4章11話「切れない糸」
イルマの部屋の扉をデイエラがうしろ手で閉める。ギィっという不気味な音が、静かな城の廊下の静寂を破った。
その不気味な音と呼応するかのように、心臓の辺りがザワザワとざわめいた。
余裕なく、逃げるように部屋を出てきてしまった。イルマに変に思われなかっただろうか?
「もうっ!置いていかないでよ!」
デイエラはやや怒っているのか、それは小さい声だったが、荒い口調だった。
「ごめん、なんだか気分が悪くなっちゃって」
私は嘘も偽りもなく、デイエラに今の状態を告げる。
するとデイエラはスッと怒りが消えたようだった。
先程まで怒り肩で上がっていたのが、ストンと落ちたのが、目視でも分かったからだ。
「えっ?大丈夫?イルマおねーちゃん呼んでこよっか?治療魔法を使えたと思うから」
デイエラは私の目を覗き込んで、心配そうに眉を下げた。
彼女の素直で温かい心が、見えた気がした。
「い、いいの!少し休めば良くなると思う。ねぇ、外の空気を吸えて、一人になれそうな所ってある?」
「それなら中庭がいいよ。人はそんなに通らないと思う。ほら、すぐそこ。あそこが中庭よ。見える?行きましょう」
案内された中庭は、降りしきる雪で一面真っ白になっていた。雪の下には草花が息を潜めている。それらはただひたすらに春を待っているのだ。
デイエラは中庭にある石でできたベンチまで小走りで走っていき、その上に積もった雪を丁寧に払う。
「ホープ、大丈夫?冷たいかもしれないけれど、座って?」
イルマが先程デイエラに言った、デイエラの持つ優しさと素直さが見えて、少し複雑な気持ちになった。
少なくともイルマには、そういった相手の良い心を見れる目を持っているということだ。
「ありがとう、デイエラ。私、疲れちゃったから、ここで休んでから自分の部屋に戻るね。デイエラは先に戻ってて」
「えっ?あたし、ホープの側にいるよ?それともやっぱり誰か呼んでこようか?」
「ううん、一人になりたいの。少し休んだら自分の部屋に戻るよ」
「分かった。うーん……、ちゃんと部屋に戻るのよ?」
「うん。ありがとう」
デイエラは何度か振り返りつつ、私から離れていった。
やがて彼女が廊下の角を曲がり、姿が見えなくなると、考えを巡らせるのに頭を切り替える。
「イルマさんが呪いを掛けてるなら、ルーフェンさんに知らせなきゃ。でもイルマさんがこの国の主導者になれるのかな?主導者って事は王になるってことだよね…。彼女も王家の血筋なのかな」
冬の冷たい風が、頬を撫でて髪を揺らす。
「あぁだめだ、なんだかウトウトする。どうしてこんなに眠いんだろ。眠ってる場合じゃないのに。でも、眠らなきゃいけない……?」
(そう、眠らなきゃ。大事なことを逃してしまう前に。あれ、どうしてそう思うんだろう。なぜ……?)
気がつくと、石で出来たベンチにピッタリと頬がくっついていた。
ココアを飲んで火照っていた顔と身体を、急速に冷ましていく。
『なぜかしら?あなたの声を聞いていると、涙が溢れそうになるの。あぁそうね、あなたがあの人によく似ているからね。あの人に良く似たあなたを、私は……』
(またこの声だ。どうしても思い出せない女の人の声。すごく懐かしい。あぁ、会いたい……。彼女に会いたい。どうしても。ねぇ、どこに行ってしまったの?どうか、ねぇ、応えてよ。)
世界が真っ暗になっていく。そして頭も空っぽになっていく。ぐるぐる同じ所をめぐる考えや、不安な気持ち、その全てが暗闇に落ちて行った。
空っぽになった頭の底に何か埋まっている。
それはキラキラ光っている。彼女の姿だ。そして彼女の名前。
(…………あぁ、そうだった、懐かしくてどうしても会いたい彼女の名前は………だ。そうそう、彼女は、ル……)
『ホープっ!!!!』
名前を呼ばれて振り返ると、そこはいつもの夢の中の湖だった。
愛しい竜のいる湖。
「えっ?どうしたの?ハーレン?あれ?私眠ったの?」
青い瞳で銀の鱗を持つ竜は、何かに苛立っているのか、鼻息が荒かった。
今日はイライラしている相手が多い。全て私のせいだろうか?
「そうだよ、もうっ!ふう、思い出す前に間に合って良かったよ。ホープがなかなか眠ってくれないから、やきもきしたよ」
「"なかなか眠ってくれない"って?もしかして、あなたが私を疲れさせたり、眠らせてるの?」
「うん、そうだよ?君をここに呼ぶのは少し大変なんだけどね。そんなことより……」
「ちょっとハーレン。"そんなこと"じゃないでしょ?おかげでデイエラに迷惑かけちゃったじゃない」
「あぁ、それはごめんね」
『あぁ、起こさないように、な。後は俺に任せて、君は戻りなさい。知らせてくれて助かったよ。』
「あれ?何か聞こえる」
『はーい。じゃ、またね、ホープ』
「ハーレン、私、起きるね」
目を覚ますことは、自分でもできる。少しこの竜を不憫にも思ったが、勝手に眠らせたのだから、こちらも勝手に目を覚ます。お互い様だ。
「えっ!ちょっと待ってよ!」
ハーレンは焦ったように、ワタワタしだす。
「必要ならまた眠らせればいいじゃない?じゃあね」
やや意地悪に、愛しい竜に別れを告げる。
「そ、そんなぁ!ちょっとっ!待って……っ!」
瞳を開けると、いつもより目線が高く、足が地面に付いていない。そして何より、ベンチの冷たさはなくなっており、とても温かかった。
「あれ……?まだ夢の中?ハーレンの背中の上?」
「ふっ。それは一体なんの寝言だ?もう起きたのか」
「えっ?ルーフェンさん?」
私はルーフェンに、まるで小さな子どものように背負われていた。
「おんぶっ!?重い……ですよね。降りますっ」
重さよりも恥ずかしさの方が勝っているのだが、とにかく今すぐにでも降りたい。
「いや、もう少し背負わせてくれ。」
「えっ?は、はい」
と、やり取りした所で、先程の部屋でのルーフェンとの気まずい光景を思い出す。
「あの、私……」
「足の悪い俺でも、意外と背負えるもんだな。」
ルーフェンが話すと、その振動が背中を伝って、私の身体に響く。ルーフェンの声は低くてよく通るが、私にはそれがとても心地良く感じる。
「えっ?」
「俺にはお前のことを抱えることは出来ないと思っていた。だからノの森でお前が倒れた時は、バラバイに背負ってもらったんだ。だが、案外そうではないのかもな。さっきのこと、お前に謝りたいと思ってたんだ。実は、聞こえてた。」
「いいえ、私こそ、さっきは部屋で失礼な言い方をしたと思います、ごめんなさい。ええっと、聞こえてたって何がですが?」
「お前が俺の部屋で寝ていた時の事だよ。寝言で俺に"お父さんになって"って言ってただろう」
「えっ!?ごっ!ごめんなさいっ!」
「ふっ、どうして謝る?」
「だってそんなこと言えば、ルーフェンさんは優しいから悩んでしまうので」
「あぁ、さっきのあの瞬間は正しくそうだった。だから俺はそれに戸惑って、揺れて、冷静さを欠いた。少し怒鳴ってしまったかもしれん。すまなかったな」
「そんなことないです。私も謝りたかったんです。ワガママを言ってごめんなさい」
「ワガママ、か。だけどな、あの言葉を聴いて、どこかで嬉しく思う自分が確かにいた。そして頭をよぎったんだ。お前を引き取っても育ててもいいかもしれない、と。」
「えっ?」
ルーフェンの顔をしっかり見たかったが、背負われており、よく見えない。そのため、彼の声色や姿勢、身体の固さなど、感覚的なものに集中し、気持ちを汲み取ろうと意識する。
「最初はただ、どこにも行く宛の無いお前を可哀想に思って、一緒にいただけだった。だが、だんだんとそれだけじゃなくなったんだ。お前が心を開いて、俺に笑顔を見せてくれる度に、俺も何かが変わっていった。しかし俺にはそれにちゃんと応えられる自信がなかった。」
「父親になれる自信は、正直ない。だが一緒にいることは俺にも出来る……。俺はお前くらいの歳の頃、父を亡くしたんだ。すごく辛かった。寂しかった。そして過去の事を思い出したんだ。父が死に、生活は苦しくなった。だが願うことは、なに不自由なく安心して暮らすことじゃなかった。大事な人ともっと一緒にいたかった。その想いだけだった。」
「その当時の俺にとって、大事な人は母だったが、お前にとって、それは俺なんじゃないかと思ったんだ。ふっ、自惚れかもしれないがな。まぁ、もしそうなら俺のするべきことは、お前を安全な里親の元へ引き渡すことじゃなく、つまりその……、お前の側にいてやることじゃないかと思ったんだ」
ルーフェンの体温が、わずかに上がったのを感じた。いや、もしかするとそれは私自身の体温かもしれない。
「ルーフェンさん、感謝します。ここまで悩んでくれたこと、考えてくれたこと、思いを汲んでくれたこと。叶うなら、一緒に居てもいいですか?」
温かいルーフェンの背中にピッタリとくっつく。
頬を涙が伝う。今のこの顔がルーフェンに見られなくて良かった。
「もう一度聞くが、本当にいいのか?旅は危険で命の保証なんてない。それに不自由させてしまうかもしれん」
「はい。何度聞かれても答えは同じです」
「分かった。ならホープ、俺と一緒に旅をしよう」
「はい。よろしくお願いします」
この言葉、そしてこの気持ちを一生忘れない。忘れたくない。大事に、いつまでも持っておこう。私の魂が天に昇るその日まで。
「そういえば。だれかが昔、遠い昔に言っていました。"二人の間で、迷い足掻き、想い悩むほど、それらの全てが紡がれて、その二人との間には決して切れない糸が結ばれる"……と。」
口にした瞬間、懐かしさが込み上げる。
誰の言葉だっただろうか?
この言葉を掛けてくれた人との糸は、もう切れてしまったのだろうか……?
「未来で何が起こるかは分かりませんが、これから、私達の糸を紡いで強く結んでいきませんか?」
「……時々、お前が本当に子どもなのか疑うよ。なんだか妙に大人っぽい時があるよな」
「私はもうすぐ15歳になります。ほとんど大人ですよ?」
「15か。まだまだ子供だよ。思えば、俺達はちょうど親子ほど歳が離れてるのか」
「あっ!あのっ……。そういえば話しは変わるんですけど、大事な話が!影の主導者のことなんです!ルーフェンさんはイルマさんって人、知ってますか?」
「イルマ?……イルマ・ラダ・レスタのことか?確かアルシア王子の恋人だったな」
「王子の恋人?ルーフェンさん聞いて下さい、私さっき……」
「っ!?」
一瞬視界が歪み、強烈な耳鳴りが頭に響く。そして全身の毛が逆立ち、恐怖に身がすくむ。
が、次の瞬間には何事も無かったかのように、体の変化は止み、元の世界に戻っていた。
「な、なに今の。ルーフェンさん、今何か感じませんでしたか?」
「……ホープ、降りてくれ……」
ルーフェンの余裕のない声色に、サッと背中から地面に降りる。
「どうしたんですか?」
『バタっ!』
声を掛けたのと同時に、ルーフェンは一瞬よろめいた後、膝から崩れ落ち、冷たい床にうつぶせで倒れた。
「ルーフェンさんっ?!ルーフェンさん!しっかりして下さい!」
彼を抱き起こすと、顔は真っ青で、そして……
王の呪いと同じ、血のような嫌な臭いがした。
「誰かっ!誰か来て!」