第4章10話「竜ノ瞳」
私はどこへも行けないの
だから、そう、迎えに来てほしいの
もうここで眠りにつきたくないの
暗く冷たく凍える青い底で、この身も心も凍りつく。
温かいあなたの笑顔だけが、私の唯一の……
「そうそう、上手ね。じゃあ次はここに指を添えてみて?」
イルマは私の対面に座り、手本を見せる。
「は、はいっ……」
少し声が上ずる。額にはじんわりと汗も滲んでいた。
私は鏡のようにイルマのそれを真似る。
「もう~、おねーちゃんが美人だからって、ホープ固すぎ!緊張しすぎ!」
デイエラがクスクスと口を押さえて笑う。
「えっ?あはは……。」
冷や汗が背中を伝う。笑顔をデイエラに返すが、顔がひきつって上手く笑えない。
「フルート上手だよね。私ももっとチェロを上達させたいなぁ」
高い椅子に座ったデイエラはイルマを見ながらうっとりと言った。彼女は足をパタパタさせ、机には肘をついていた。
(ええっと、王様と同じ臭いがすることからして、この人が呪いをかけている可能性が高いわね。でもとにかく今は、この人に勘づかれないようにしなきゃ……)
そのようにして、頭を働かせながらフルートを吹く。驚くほど息を使う。
私は酸欠状態のようになり、頭がクラクラしている。
「ホープちゃん、大丈夫?」
彼女の青い瞳が、私を捉えて離さない。
真っ直ぐ見つめる網膜には私の姿が映っている。
あぁ、なんて綺麗な瞳なのだろうか。
ハーレンやリーヤと同じ、よく澄んだ空のような青色の目。それはまるで魔力がこもった石のように、恐ろしいほど眩く輝いて美しい。気を許すとこの空の中へ吸い込まれてしまいそうだ。
「ホープちゃん?どうしたの?」
「ふぅ…。ちょっと息が苦しくって」
「あぁ、そうだったのね。気がつかなくてごめんなさい。少し休憩にしましょう?ええっと、紅茶を切らしてて、ココアだったらあるのだけど、二人ともそれで良いかしら?」
「賛成~!ココア飲みたいな!」
「ココアってなんですか?」
「あら?ココアって知らない?甘くてね、飲むと一息つけるの。もしかしてホープちゃんは田舎の方の出身かしら?」
「あはは、そうなんです」
田舎というか、自分の出身すら分からない。気がついたら奴隷だった……、など口が裂けても言えないので、それ以上追及されないように、頷いた。
「実は私も子供の頃は知らなかったの。だから大丈夫よ、私も田舎育ち!仲間ね」
イルマが目の奥までしっかりと微笑んだのが分かった。
私は彼女のその様子に少し困惑する。
「そうだ、おねーちゃん!良い機会だから、ホープに魔法で飲み物温めるのを見せてあげてよ!ほら、前にあたしに見せてくれたでしょ?」
デイエラは無邪気に彼女にお願いする。
イルマがデイエラの方を向く。私を捉えて放さなかった瞳が、別の者を捉え、ホッと胸を撫で下ろした。
余裕が出来た私は、イルマを少し観察する。
「残念ね!あそこの鍋の中には熱いミルクが入ってるから、それで十分よ。じゃ、お菓子とココアを用意するわ。ホープちゃんは食べられない物とか苦手な物、何かある?」
再びイルマの瞳が私を捉える。
「いえ。なんでも食べれます。……お気遣いありがとうございます。」
「どういたしまして。可愛いお客様なんだから、もてなすのは当然よ。じゃあ待っててちょうだい」
先程と同じように、イルマは瞳の奥まで優しく微笑んだ。
数秒間その目としっかり合ったが、嫌なものは何も感じなかった。
「あーあ。私も魔法が使えたらなぁ。お父様はピューランなのにぃ。そうだ、ホープは魔法使いなの?」
デイエラが静かに何か不満を言った。
ただ、それは私の耳には意味のあるものとしては届かなかった。
こうしてデイエラや私に接している姿を見ると、温かく柔らかい人だと感じる。
なのにイルマからは、呪われた王と同じニオイが絶えず香ってくる。
独特で嫌な血のようなニオイが。
(もしかして、イルマさんも呪われている……?)
「ホープ?どうしたの?あたしの話聞いてた?」
デイエラに肩を軽くツンツンとつつかれ、我に返る。
「えっ?ごめん、なあに?」
「ホープって魔法使い?」
「……うん。魔法使いではあるよ。ただ、練習してこなかったから、使える魔法はほんの少ししかないの」
「そうかぁ、羨ましいなぁ。あーあ、どうしてあたしには魔法の力がないんだろう」
サイガが魔法を使えないことを悔しがっていた事を思い出す。確かに、魔法が使えない者からすると、魅力的だろう。
「落ち込まないでデイエラ。その代わりあなたは沢山の良いものを持っているわ。あなたが気づいていないだけでね。」
いつの間にかイルマが、お菓子と湯気の立つコップを乗せたお盆を手に持ち、戻ってきていた。
「良いもの?」
「そうよ。例えば優しさ、素直さ、勇気……。そういった目に見えないものよ。」
「そ、そうかなぁ」
とデイエラは少し頬を赤らめる。
イルマは本心で言っているようだ。
この人のことを見極めなきゃいけない。
そう強く思う。
「どう?ココアは?」
「とても美味しいですね。なんだかまん丸で滑らかな布みたいな飲み心地です」
「ふふっ!ホープの感想ってなんだか面白いね」
「そ、そうかなぁ…」
温かい飲み物と甘いお菓子を食べていると、急に眠気が襲ってくる。
「ふわぁ。疲れたぁ」
「ふふっ。じゃあフルートの練習は終わりにしましょうか。私もそろそろ魔導師の仕事に戻らないといけないし」
「分かった~。おねーちゃん、ごめんね。お仕事中なのに邪魔しちゃって」
「いいえ、デイエラが来てくれて嬉しかったわ。それにホープちゃんにも会えたしね。二人とも、また来てちょうだい。今度はお菓子をもっとたくさん用意しておくから」
「わぁ!ほんと!?たくさん用意しててね!約束ね!」
「ふふっ。ええ。はいはい。」
「イルマさん、ありがとうございました。失礼します」
「あ、ホープちゃん、待って?」
「はい?」
「肩にゴミがついてるわよ?あら、髪の毛ね。ほら」
イルマの細くて長い指が、肩の辺りを優しく撫でた。
「どうもありがとうございます」
「あら?短い茶色の髪ね。ホープちゃんは銀髪だから……、一体誰のかしら。ふふっ、もしかして恋人?」
数時間前、ルーフェンの部屋の机で突っ伏して寝ていたことを思い出す。きっとその時にでも付いたのだろう。
「え、ああ、たぶんルーフェンさんの……、あ、いや、えっと、何でもないです」
口をついて言ってしまう。
「そう、ルーフェンさん、ね……」
彼女が私の一番大事な人の名前を呼んだその瞬間、何かとんでもないことをしたのではないかと急に不安になる。
「あのっ!私……もう失礼します。」
「どうしたの?ホープ?私も一緒に行くわ。それじゃあね!」
「ええ。またね、デイエラ、ホープちゃん……」




