第4章6話「ピューラン」
突然の声に驚いて、床に本を落とす。本の重みで少し積もった床のホコリが舞う。
私はそうして落とした本も拾わずに、慌てて後ろを振り向く。すると扉の前に立つ男とバチっと目が合う。
私に声をかけたのは、まん丸い眼鏡を掛けた、色白で痩せた中年男性だった。
「はてはて?うーん…?キミは誰だね?」
目が合うやいなや、男性は唸りだし、腕を組んで考えこむ。
怪しい者ではないと名乗らなければ…!
「あ、あの!私はホー…」
「あぁっ!」
何か閃いたように、叫びと共にその男は指をパチンと鳴らす。そのせいで私は名乗りそこねる。
「ど、どうしました!?」
「そういえば今日だったか!!……あぁ、すっかり忘れておったわい。いやぁ~、本当に申し訳ないんだが、まだ薬は完成しておらんのだよ。エリ草がなかなか手に入らんくてなぁ…」
「薬?一体なんのことですか?」
「なにって…、キミはラカン伯爵の遣いだろう?背が伸び~る薬を受け取りに来たんじゃないのかね」
「背が伸びる薬?ち、違います…」
とても興味がそそられるが、この男性は人違いをしているようだ。とりあえずきっぱりと否定する。
「ありゃ違うんかね。う~ん、あぁっ!」
また何か閃いたように鋭く指を鳴らしながら叫ぶ。
「な、なんですか?」
「ほんでもったら、大農場主メルスの所の子か!」
「大農場主?」
「あちゃ~。あいにくだが、素早く育~つ土はまだできとらんのだよ。研究が進んでおらんくてな。国民のためにも、集中してとりかかりたいのだが、今はそれどころではない事態でな」
「素早く育つ土?いえ…それでもなくって」
「そうじゃない?……はあぁっっ!分かった!」
「こ、今度はなんですか?」
「なら国王御用達、創業300年、ミスーヌのパン屋かね?一度口にしたらやみつきになる、絶品隠し味ソ~ス、だろう?」
「絶品隠し味ソース……。いや、それも違います」
「ありゃりゃ、これも違うんかい。うん?もう何もなかったような…。ほんなら誰かね、キミは?」
「私、ホープと言います」
「ふむホープか。それで?この部屋でキミは一体何をしているんだね?」
「魔法のことで相談がありまして。その、一応お聞きしますが、あなたは魔導師さん……ですよね?」
失礼だとは思うが、かなり癖のある人だったので本当に魔導師か疑わしく思い、尋ねる。
「……驚いたな。キミは私の事を知らんのかね」
しかし男性は気を悪くした様子もなく、言葉通り、とても驚いた顔をしていた。
「えっ?」
「まあ良い良い。……ゴホン、では自己紹介をしてやろう。私はこのトレイユ国の偉大なる魔導師、サイドル・ヌーシャル!」
何度も練習された決めゼリフのように、鋭い声で名乗った。
「魔導師のサイドルさん、ですね」
今までの会話から、この人の名前以外に、普段この人がどんな用事を頼まれているのかと、ネーミングセンスが無いのが良く分かった。
「ゴホン。キミ、私のことはヌーシャルさんと呼びたまえ。……んん?その本は人魚の本かね?」
サイドル・ヌーシャルと名乗った男性は、床に落ちた本を指差す。
「あ、ごめんなさい。すぐに戻しますね」
急いで本を拾い上げ、それに付いたホコリを手で払い、元の位置へ戻す。
「いや、興味があるなら別に構わんが。……あぁ、人魚とは実に悲しい種族だ……。あ~…、話が逸れたな、それで相談とは?私は忙しい身でな、用事をしながらで良いなら話を聞いてやろう」
ヌーシャルはそう言うと、私から少し離れた古い大きな机の前に座り、その机の上に置いてあった豪華に装飾された本を広げる。
そうして目当てのページがあるのだろう、ペラペラとめくってゆく。
私はそれを見て、ヌーシャルの側に近づく。
「ヌーシャルさん、ありがとうございます。その、相談というのは、……私は」
オオカミに変身し、そしてしばらく元に戻れませんでした、という言葉を続けるつもりだった。
しかしそう言わずにそこで言葉をとめる。
他人に知られるのはダメだ、と直感が警告している。いや、なんとなくずっとそう感じている。
「うん?どうしたんかね?」
私の言葉が続かなかったため、ヌーシャルは本をめくるのを止め、こちらを向く。
真ん丸い眼鏡の中の、真ん丸な目は、私を不思議そうに見つめていた。
『相談してこい』と、おそらく私の事を心配して言ってくれたルーフェンには悪いが、やはり言わないでおこう……。
息を大きく吸って、大きく吐いた。そして途切れた言葉を続ける。
伝えられる範囲で伝えよう。
「……いえ。えっと、相談というのはこの前、ある魔法を使ったんですが、その魔法をうまく解くことができなかったんです」
それを聞き、彼は再び本をめくり始める。
「それで、ずっとその魔法を使い続けることになってしまい、一応は解けたんですが、とても気分が悪くなってしまって」
「はあっ!あったぞ。このページだ」
私の言葉を遮って、大きな独り言を言う。
しかしヌーシャルに悪気はなさそうだ。ただ純粋に彼はこういう人なのだろう。
「なるほど、スズナリの花と月夜の雫が必要なのか……。スズナリの花はすぐに用意できるな。だが…」
そう呟くと、ヌーシャルは机に頬杖をついて考えこむ。
「…………」
私は静かに彼の出方を待つ。
しばらく経ってヌーシャルは口を開いた。
「……う~ん、やはり月夜の雫を用意するのは難しいか……。おっと、すまない。それでキミ、その魔法というのは、具体的には何を使ったんかね?」
彼は本に視線を落としながら言う。
「その、詳しくは言えないんです。ごめんなさい。……でも、とにかく、魔法を解除するコツを教えてほしいんです。自分を傷つけてしまわないためにも、誰かの役に立てるようになるためにも、魔法を上手く扱えるようになりたいんです」
「詳しくは言えないとな?まあ良い良い。……コツを教えるというよりも、原因が明確じゃないか。それを正せば良いだけだ」
「えっと、原因が分かるんですか?それは一体?」
「キミはその時、魔法に意志を込めたのだろう」
彼はそう言いながら、ポケットから手帳を取り出し、本を見ながら魔法語でスラスラと何か書いてゆく。
「意志?……あ、魔法には意志ではなく、『意味』を込めなければならない、でしたっけ?」
かつて訪れた魔法店で、髪を伸ばしてくれた店主のイーライがそう言っていたのを思い出す。
「その通りだ。良く知っておるじゃないか。……古来から言われて来た。『意志』を込めた魔法は災いを招くと」
「災いを招く?」
「ああ、そうだ。『意志』を込めた魔法は力が強くなり長く続くが、制御がとたんに難しくなる。……そして強いエネルギーと魔力が必要なのだ。それは時に術者の命を奪うほどにな。キミが気分を悪くしたのも、魔法を解くことができなかったのも、おそらくそのせいだろう」
「命を奪う……」
その言葉にぶわっと鳥肌が立つ。
「『意志』を込めると強力な魔法にはなるが、これは諸刃の剣。術者も周りも傷つくことが多く、魔法に振り回されることになる」
「……だから魔法語があり、正しい『意味』を込めるのだ。そうして魔法で何を成し、何を成さないのかを明確にする。術者が制御できる範囲を越えないためにもな」
「キミの問題の結論は単純だな。魔法を使う時の呪文、つまり魔法語の意味をきちんと知りながら、魔法を使うことだ。呪文とはただ言葉を言うのではなく、意味を読む。そうすることで、魔法は正しい意味をもって発動する」
「言葉には元々、言霊という力が宿っているのだ。この言霊を使う術者が、その意味を知らなければ、力が半減したり間違った意味、つまりは意志を込めることに繋がる」
「なるほど、意味を良く知っていないと危ないんですね。……でも呪文を使う前に勝手に魔法が発動してしまったら?そういう時はどうすれば?」
「ありゃりゃ?キミはそっち側の人間なのか!?はてさて、う~ん、それは難しいな……。確かにそれはコツが必要だな。だがキミがそっち側なら私では答えられんし…」
ヌーシャルは書いていた手を止め、困った感じで眉をひそめて言った。
「そっち側?そっち側って?」
「あぁ……キミのように極めて稀に、呪文を唱えんでも魔法を使える者がおる。そういう者は『ピューラン』と呼ばれ、ピューランの魔法の制御は厄介だ」
「ピュー…、なんですか?」
「ピューランだ。『優れし者』という意味でな。……そもそも魔法というものはとても難しく、儚く、繊細なもの。普通は呪文という言霊を込めて魔法を成立させる」
「ピューランが無詠唱で魔法を扱えるのは、持っている魔力の質が通常とは異なるからだ。これははっきり言って遺伝で決まる。……ゴホン、一説によれば、ピューラン達は詠唱するより無詠唱の方が魔法を扱いやすいらしい……。だがそれはとても危険だ。『意志』しか込めていない魔法を使っているということだからな」
「ピューラン……。あの、質っていうのは、具体的にどういう違いが?」
「あ~、ピューランの魔力の質の違いは、まだ良く解明されておらん。……ちなみに私が推している、質の違いを説明する有力説は『空気中に漂っている魔力を、実はピューランは使えているんじゃないか説』だ」
少し誇らしげにこうヌーシャルは言った。
ネーミングセンスとか、説を名付けるセンスが全く無いのを突っ込みたいが、止めておこう……。
「あ~ゴホン。ちなみにピューランはこの城に2人しかおらんのだが、悲しいことに、それは魔導師ではないのだ。全く、天にまします我らがシダ様は、一体どういうお考えでピューランを選んでおるのか……。リーシャ様は良いが、よりによって奴がピューランだなんて。宝の持ち腐れだ…… 」
「リーシャさんって人と、そのもう一人の人に直接話を聞きたいんですが、教えてくれませんか?」
「教えても良いが、話は聞けないだろうな」
「どうしてですか?」
「あぁ、私だけでなくリーシャ様の事まで知らんとは。やはりキミはこの国の人間ではないのだな、まぁキミの髪や瞳の色から予想はできるが。……ありゃ?ならなぜキミのような者がこの城に出入りしておるんかね?」
「あの、それでリーシャ様って?」
私はヌーシャルの問いには答えず、問いで返す。
「ゴホン、リーシャ様はこの国の第1王子。キミのようなよそ者が、気軽に話をすることはできないお方だ。まぁそもそもあの方は病弱で、魔法の練習はあまりされておらんから、ピューランとしての参考にはならんだろう」
「だ、第1王子様…」
それは確かに気軽に話を聞ける相手ではない。
そういえばタルガに、アルシアという『第2王子』については何か聞いたような……。アルシアは優しい王子だとかなんとか……
「あ、じゃあもう一人のピューランは?遺伝で決まるということは、もしかして第2王子のアルシアさんですか?」
「いいや、違う。アルシア様は残念ながら、魔法の力は遺伝されておらん。……もう一人のピューランとは、私の憎きライバル。そ奴の事は幼い頃からよ~く知っている」
「に、憎きライバル!?それは一体誰なんですか…??」
「私の永遠のライバル、騎士長のバラバイだ」




