第4章5話「癒えぬ傷は誰のものか」
もう目を閉じたくないの
もう夢を見たくないの
私はこの目を開いて、あなたを見ていたいの……
「モグモグ……。あ、ごめんなさい。えっと、それで何でしたっけ?」
私は飢えた獣のように料理をむさぼっていた。夕食のために訪れた、美味しい匂いの漂うここは、城の食堂だ。何十人も座れそうな長いテーブルが、いくつも並んでいる。
しかし、広さとは不釣り合いなほど静かな食堂であった。というのも、窓の外はまだ日の残る夕焼け空だからだ。夕食にしてはまだかなり早い。
周りでは徐々に込み合う時間に向けて、給士たちがせっせと出来上がった料理を運んでいた。
そして次々とテーブルの上に、大皿料理が均等な感覚で並んでいく。
「腹空いてたんだな……」
ルーフェンが私に向かってまるで独り言のように言う。
奴隷だったため、ある程度空腹感には慣れているが、三日間も何も食べずに眠っていたのだ。料理を前にした今は、水を飲むのも忘れて次々と口に詰め込んでいた。
一方ルーフェンは、あまりお腹が空いていないのか、水ばかり飲んでいる。
「だから、お前が森で倒れた原因のことだ。サイガから聞いたんだが、魔法でオオカミに変身したんだって?」
彼は信じられないといった様子で訊ねる。
「ゴホゴホ……。ええ、そうなんです。自分でもびっくりしたんですけど」
喉に鶏肉を詰まらせたので、食べる手を止め、胸を叩きながら言った。
「おい、他人事じゃないんだぞ、大丈夫か……?俺は魔法使いではないから詳しくないが、動物に変身する魔法なんて聞いたことがない。それにその変身魔法がしばらく解けなかったんだろう?……ほら水だ」
彼は私のコップに水を入れながら言った。
「ごくごく……。ぷふぁ~、ありがとうございます。……はい、なんとか人間に戻れたのは夢で竜に助けてもらったからです」
「ん?夢で竜に?……まぁとにかく、魔法のコントロールについて、城の魔導師に一度相談してみたほうがいいだろう」
「うーんと……、えっと…」
私は返答に迷った。なんとなく、この力は他人に教えてはいけない気がしたからだ。なぜだかは自分でもわからないが……
「あの……、どうしても行かなきゃいけませんか?」
「また同じことが起きないとも限らない。明日だ。明日診てもらえ」
強い口調で命令するように言った。
「……わ、分かりました。あ、そうだルーフェンさん、さっきのバラバイさんが言ってた『マショウ』ってなんですか?」
「なんだ、ホープは魔障を知らなかったのか」
ルーフェンは純粋に驚いた表情をしている。世間では一般的な言葉なのだろうか。私には知らないことが多すぎる。
「簡単に言えば魔法使いだけがなる特殊な病だ。魔力の持たない俺のような人々とは違って、魔法使いの中には、自らに宿る魔力をコントロールできない者がいる。魔障は魔力が暴走することで起こる。人によって症状は様々だが、死に至ることもある」
ああそれでか、と、この城で感じていた騎士と魔法使いの間の不穏な空気に納得した。
竜骨の広場の乱闘の際、騎士は魔導師が王を救えないとか責めていた。
あの事件はきっと、魔導師たちが王の魔障を治療できないがための苛立ちで起きたのだろう。
「なるほど……。魔障って恐ろしいものですね」
話が一段落したところで、私は大皿から自分の皿へ料理を取り分けようと手を伸ばす。……がしかし、次の瞬間私は凍り付いてその手を止める。
「なんでなんスか?なんで竜骨の広場の修復、オレらもなんスか?おかしいッスよね??」
若い騎士だ……。彼は納得いかないといった感じでぶつぶつ文句をいいながら、食堂へ我が物顔で入ってきた。
自分の顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。同時に鳥肌も立っていた。
大勢の騎士達だ。文句を言った若い騎士を先頭に、広く開け放たれた扉から、ぞろぞろと食堂へ入ってくる。
そんな騎士たちから目が離せない。私は全ての神経を尖らせ、騎士たちの言葉や仕草に注意を向ける。
「ホープ?」
ルーフェンが名を呼んだが、それはほとんど耳に入ってこなかった。
「そりゃあまあ仕方ないだろう。連帯責任だな。ああ、この調子だと2、3日は修復作業だなぁ……。全く、いい迷惑だ」
中年くらいの騎士が、若い騎士へそう応えた。その中年の騎士も苛立っているように見える。
そして若い騎士は続けて不満を漏らす。
「くっそ~。魔導師だけですればいいじゃないッスか。壊したのは魔導師なんだから……。それにオレらは魔法なんて使えないから手作業ッスよ?レプリカとはいえ、骨がどんだけ重いかあいつらは知らないんスよ!」
どうやらかなり機嫌が悪そうだ。彼らの視界に入れば、うさ晴らしに殴られるかもしれない……。早くここから離れなければ……
私は音を立てないように気を付けながら、そろりと椅子から立ちあがる。
(ッ……!?)
一瞬何が起きたか分からなかった。だがすぐに状況を把握する。
どうやらルーフェンに腕を掴まれたようだ。私は現実に戻っていた。
「おい」
ルーフェンが怖い顔で私をまっすぐ見ている。
自分がいかに馬鹿なのかを心底理解する。
「ル、ルーフェンさん……。な、なんですか?」
声が上ずらないように注意しながら言った。恐怖に怯えたこの心中を、彼に悟られないよう、なんでもないよう取り繕うためだ。
するとルーフェンはそこでパッと手を離した。
「ホープはまだ食べるのか?」
「い、いえ、もう大丈夫です」
「……そうか、なら行こう」
実に馬鹿げている。私はもう奴隷じゃない。だから殴られることもないし、怯える必要もない。
そうやって何度も何度も頭の中で繰り返し唱える。
もちろん頭では十分理解している。
……だがきっと、これはもう一生治らないトラウマなのだろう。
「はぁ…………」
そう思うとため息が出た。なんだか今日はとても疲れた。色々なことがありすぎて頭も混乱している。早くゆっくり休みたい……。
「あの……。それでどこへ向かってるんですか?」
私は隣のルーフェンに訊ねる。
頭がぐるぐるしていたせいで、自分が今どこへ足を運んでいるのかも気にならなかった。
「部屋へ向かってる。呪いに苦しむトレイユ王には悪いが、今日はもう休ませてもらおう」
ルーフェンが真面目な顔で言う。
「王様の呪い、なんとかなりますかね……」
「ふっ…」
ルーフェンが突然立ち止まり、可笑しそうに小さく笑った。
「ル、ルーフェンさん……?どうかしましたか?」
何か私はおかしなことを言っただろうか?直前の会話をはんすうする。
「罪人……か。全く、一体どうしてこうなったんだろうな……」
声色からただならぬ気配を感じ、ぎょっとしてルーフェンを見た。
彼は口の端を少し上げ、小さな笑みを浮かべていた。
しかし明らかに、心はそうでなかった。
数秒後、彼は再び歩み始めた。私も後に続く。
どうしてこうなったのか……。
それは彼が過去に罪を犯してしまったことを指しているのか、それともこの国で罪人として王を救うと言われたことを指しているのか……
どちらを指しているのか私には分からなかった。
もしかしたら両方の意味かもしれないし、どちらも違うかもしれない……
「…………」
私は返す言葉が見つからず、ルーフェンの言葉を最後に沈黙が続く。
「あぁ、そうだ、部屋は別々だからな。俺と四六時中一緒にいるっていうのも、疲れるだろう?」
沈黙を破ったのはルーフェンだった。彼はもう、いつもの穏やかな声と表情になっていた。その様子を見て、私は心底安心する。
「いえ、私は大丈夫ですよ」
奴隷だった頃は、みな同じ部屋にいたから特に何も感じないが……。
逆にルーフェンにとって、四六時中私の面倒を見ることが、の方かもしれない。
「さあ着いたぞ。ここがお前の部屋だ。まぁ俺は向かいの部屋だから、何か用があれば呼んでくれ」
「はい。……おやすみなさい」
ルーフェンはそれに対して静かにうなずくと、自分の部屋へ入っていった。
ドアにはプレートが掛けられており、そこには『来客用』と書かれていた。
ひとり部屋というのは初めてかもしれない…。
部屋に入ると、きちんと掃除され、きれいにされているのが一目で分かった。
私は窓の近くにある、ふかふかで大きなのベットに寝転ぶ。
なんて肌触りの良い枕だろう。城では温かいご飯や、きちんとした部屋が提供され、まるで天国のように感じる。
枕へ顔を埋めてみる。そこからは甘い花の香りがした。やはりなんて贅沢なのだろう。
ベッドの脇では、灯りとして使用されている光虫が、ガラスでできた箱の中を絶えず飛び回っているのが目に留まる。
光虫は太陽光をエサとして生きる虫で、名前の通り、外が暗くなると自らを発光させる。寿命は数年で、一匹いれば部屋の灯りは十分だ。
光虫はパタパタとガラスの中をせわしなく動き回る。
この光る虫にはいつも同情する。どんなに足掻いても箱からは出られない、死ぬまで外に出られないのだ……。
私はそっとガラスに黒くて厚い布を被せ、光を遮断する。いつの間にか日が落ちており、部屋には月明かりが影を伸ばす。
同情……。同情といえば、あの優しそうな王には同情するが、正直、王族とは関わりたくないと思う。
そもそも神のお告げなんてものは、信用できるものなんかじゃない。
ルーフェンは大丈夫だろうか?不確かなお告げの通り、王の命を狙う首謀者を見つけられるだろうか?
色々な考えが頭をめぐる。
仰向けになって石でできた天井を眺める。
ああ、そういえばこの城の天井や壁は、奴隷の時にいた貴族の屋敷によく似ている。左手にある火傷跡を無意識に擦る。
「……明日はずっと手袋しておこう……。やっぱり騎士を見ると……」
独り言をぶつぶつ呟く。騎士が正装して腰に剣を差している姿は、やはり苦手だ。奴隷だった時、難癖をつけられて何度殴られたことか。
それにおじいは騎士に……。
おそらくこれから一生、私の中にある、この騎士に対する恐怖感と、貴族や王族に向ける疑念の心は消えないのだろう。
疲れているのに、頭と体が緊張していて、なかなか寝付けない。
ああ、そういえば、ノの森で倒れる前……。女の人の声が聴こえた…。すごく懐かしい声だった。ずっと聞いていたいと思うような懐かしい声。
あれは一体誰の声だったのだろうか……?
「あの、魔導師さん達の部屋はどちらですか?」
「それならあっちの角を曲がった所に。赤い扉が目印ですから、きっとすぐに分かりますよ」
両手に青い花を持った侍女らしき年配の女性は、顎で場所を指し示す。
「ありがとうございます」
軽くお辞儀をしてその場から立ち去る。
角を曲がると存在感のある赤い扉が待ち構えていた。
「ここ……だよね。よぉし、入ってみよう」
『コンコンコンッ!コンコンコンッ!』
ノックしても返事はない。意を決して扉を開ける。
「あの、失礼します。えっと、どなたかいませんか?…………あの、すみませーん!」
大きな声で叫んでも、返事はない。人の気配もない。
なんて広い部屋なのだろう。壁には高い天井まで届く本棚が、いくつも並べられている。
また、机もいくつかあり、その上には、かつて髪を伸ばしてもらった魔法店で見たような、不可思議な物が煩雑に置かれている。そして匂いも同じく不可思議な匂いがした。
「勝手にここで待たせてもらっていいかな……」
私は部屋をぐるりと見回す。ここにあるもの全てが物珍しい。
私は手始めに近くの本棚を眺める。どうやら魔法に関する本だけでなく、生物や自然に関する本などもあるようだ。
「ん?あれは……」
その内の1冊に目を引かれる。背表紙の題名は『人魚に関する考察』。
「人魚って……何だろう……。タルガに飲まされた薬、確か人魚の鱗って……」
吸い寄せられるようにその本を手にとった。最初のページを開く。
「なになに……。『人魚は謎の多い種族である。彼らがどのようにしてこの世界に生まれ落ちたのか、誰も知らない。彼らは数千年前、突如ある時期から世界に現れたのである。人魚の特徴ははっきりしている。人間より頑丈な身体と海のような青い瞳、そして全身にある紺色の鱗である。まさしくその魚のような鱗を持つ見た目から、多くの地域では野蛮な種族であると考えられ、奴隷として扱われることが多い。さて本書では、この種族について筆者独自の目線から……」
私はそこで本を静かに閉じた。
「青い瞳と紺の鱗を持つ、奴隷として扱われる種族……」
彼らは一体、どのような種族なのだろうか……?
「おや、君は一体誰かね?」




