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精霊の湖  作者: 桜木ゆず
第3章 魔法の世界

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第3章 48話 「もう1つの魂」

 


「う…不味(まず)…」

 私は噛み千切った肉の塊を吐き出した。口には血の味が広がっている。

 いくら憎い相手とはいえ、人の肉を噛み千切ったのだ。さすがに気分が悪くて胃がムカムカする。


 私はゼファからゆっくりと離れた。彼は絶叫をあげるとすぐに気絶していた。肩からは血が流れ、年齢よりも少し年老いた顔に、生々しい爪で引き裂かれた跡が……。


 最低でも、これぐらいは苦しんでくれなくては……。良い気味だ……


 憎い男から視線を変える。あまりにも不意を突いた変身で、ミダ、ディナン、そしてサイガたちの思考は完全に止まっているようだった。


 私以外の時間が止まっている……


 ゼファへの怒りはまだ(くす)ぶっていたが、驚くほど私は冷静だった。

 自分の置かれている今の状況が良く理解できていた。一番優先すべきなのは復讐ではなく、生きることである。

 そう、生きることだ……。このまま残りの二人を仕留めれるか?



 しかし、止まっていたはずの時間が動き出した。ミダは相変わらず目を見開き、口をあんぐりと開けていたがディナンは違った。


「うぉぉぉっっっ!」

 ディナンは地面にも響くほどの、低い雄叫びをあげながら突進してきた。


「このッッ!悪魔めぇぇぇっっ!」

 雄叫びを上げた男の目の奥には、獣が写っていた。


 悪魔……?この私が?……本当の悪魔は奴隷商人である彼らではないのか…………??


「危ねぇっ!!ホープっっ!!!」

 サイガの声で我に返った私は、男の動きを見極める。

 私を悪魔と呼んだ彼は、既に抜いていた剣を振り下ろす。その動きは早かった。


「っ!!」

 地面を思いっ切り蹴って、それをギリギリのところで避ける。するとズシャッ……、っと剣は私が今まさに蹴った地面に、正確に振り落とされた。

 その様子を見た私はあの人を思い出した。私を護って死んでしまったあの人を……


 心に強い炎が一気に燃え上がるのを感じた。なんとしても生きるっ!……今度は二人一緒にだ!!……自分が護って死ぬのも、護られて死なれるのも絶対に嫌だっっ!


 そのためには…。どうするホープ??考えろ…


 ……考えろ!最善の道を!今どんな状況なのか見極めろ……!


 私は恐れおののくサイガをチラリと見た後、次にミダを見た。ミダはいつの間にか、倒れて動かないゼファの肩を押さえており、肩の血を止めようと必死なようだった。そして最後に臨戦態勢のディナンを睨み付ける。


 状況、状況を見極めろ………。そうだ、魔法に長けていたゼファを不意を突いて、最初に仕留められたのはラッキーだった。

 仕留める――まるで狩りをしている獣。いや、まさに獣か――

 仕留めるという表現を使ったが、ゼファを殺してはいないし、殺すつもりはない。そしてミダとディナンも同様にだ。

 人を殺す苦しみはもう二度と……。


 だとすればどうする……?早く考えろ!!


 ディナンのあの素早い剣を避けながら、ゼファの時と同じように彼を仕留めれるとは思えない。


 それにいつ、この狼の姿が解けるか分からなかった。前にもこうやって狼の姿をしていた事は覚えている。しかしどうやって変身したのか分からない。そしてヒトの姿への戻り方も分からない…………


 だとすれば道はただひとつ……か。


「サイガ!!私に乗って!早く!!」

 私は今にも、再び切りかかりそうに剣を構える男を睨みつけながら言った。


「えっ?!お前しゃべれ……」


「いいからっっ!!」


 私に怒鳴られたサイガは黙って、馬に乗る時と同じように私にサッと乗った。それは数秒もかからなかった。

 自分でも驚いたが、乗ったサイガの足は地面につかない。それほど自分の狼の姿が大きいのだ。


「しっかり掴まって!走るよ!」


「お、おうっ!」


「なっ?!待てっっ!おいっ!!」

 ディナンが叫ぶ。彼は私たちの方に走り出す。しかし私も同じように、サイガを背に乗せて走り出した………






「これからどうするんだよ!?」


「ハァハァハァ…!とにかく逃げないと!!」

 夜の前が見えない暗い森を全力で駆け抜けながら、追っ手の気配を確認する。しかし幸いなことに気配はない。

 ……私は知っている。おそらく私達は彼らに勝てない。もし仮に運良く勝てたとしても、無傷では済まないだろう。


「はあっ?!お前強いんだから、さっきみたいに噛み殺せばいいじゃん!それにオレも戦えるっ!一緒に……!!」


「ハァハァ……っ!さっき上手くいったのは不意を突いたからよ!!ゼファは一撃で私達の馬を殺したくらい強い…。普通は相手の方が格上だとああはいかない…。たまたまなの」

 そう、さっきのはたまたまだ。運が良かったのだ。


「それにゼファが魔法を使えた以上、ミダとディナンも魔法使いだと考えるのが妥当……。もしそうなら勝てっこない。……それに私はゼファを殺していないわ。…いい?人を殺せば永遠に苦しむ事になる……。もうあんな思いは嫌なの。騎士見習いのあなたに言ってもまだ分からないと思うけど」

 狼の姿で走るのにも少し慣れて、息が安定してくる。


「なっ!?オレはそんな覚悟とっくに出来てる!あいつはお前を奴隷にした奴だろっっ!!だったら許せねぇよ……!」

 声を荒げて叫ぶ。


「覚悟?……いったいなんの?もしかして死ぬ覚悟?それとも殺す覚悟?……だったらダメよ。聞き分けなさい」

 年下の子どもに言い聞かせるように静かに低い声で言った。

 でも実際そうだ。おそらくサイガは1、2才私より年下なのだから。


「…………」

 私に諭され、サイガは黙り混む。そしてしばらく経った後、彼は口を開いた。


「……分かったよ……。ホープに従う。……なんかお前、急に雰囲気変わったか?大丈夫か……?」

 私の心からの言葉が届いたらしい。先程とは変わって、サイガは冷静な声色だった。


「分からない…、大丈夫じゃないかもしれない。変身したとき何か、何か思い出したんだけど、でもまたすぐに忘れて……」

 どうしてだろう。どうして分からないのだろう。そんな自分に腹が立つ。


 するとサイガは何か勘づいたのか話題をサッと変えてくれた。

「……それでどうするんだよ?森を抜けるつもりなのか?」


「いいえ、まさかっ!ルーフェンさんとバラバイさんを置いては行けないよ。だから探すの!」


「…でもあいつらはどうするんだよ?追っ手達は?」


「彼らは来てないみたい……。追いかけてくるとすれば、当然馬に乗って来るだろうけど、足音はしない…」

 そう言って少し走るペースを落とす。疲れたのではなく、追っ手の音とにおいをさらによく確認するためだ。

 ……やはり追いかけてくる気配はない。


「そうか、良かったぜ。たぶんゼファの傷を見てるんだろ。肩の骨見えてたからな…」

 そう言うとサイガはブルッと震えたのが背中を通して伝わってきた。


 骨…、確かに見えていた…。血の流れ出る肩から…

 未だに口に残る血の味が、それを鮮明に思い出させた。


(う、気持ちわる……)


「……もうだいぶ離れたわ…。これだけ離れれば、あの人達は私みたいに鼻が利かないから、きっと見つけられないと思う。……あ、それに霧が出てきたみたい」


「そうか。ならまずは安心だな。なぁ…、こんなときに聞くのはあれだけど…。ホープって奴隷だったのか…。お前ってホントは一体なんなんだ?狼には変身するし、その姿でしゃべるし、まだ何か隠してるんじゃ…」


「もう何も。私はそう、奴隷だった…。それだけだよ。どうして狼になれたのかは分からない。他の事は私も知りたいよ…」

 サイガの言葉を遮るように、きっぱりと言った。


「そか、なんかごめん…」

 サイガが私の上で静かに謝った。なんだか雰囲気が暗くなってしまった。暗い森の中で、さらに雰囲気まで暗くなるのはごめんだ。


「さぁ、ルーフェンさん達を探そ。きっとどこかで私達を探してる…」

 少し明るい声で言った。


「おう…。そだな!……それにしても狼の毛って以外と柔らかいんだなー。毛の色ってお前の髪の色と同じだー。あ、そりゃ当たり前か」

 彼は背中の毛を引っ張ったり、ガシガシ触っている。


「もー、サイガやめてよ。振り落とすよ?あ、…霧がすごく濃くなってきたみたい。そろそろ歩きたいから降りて」

 私はさらにゆっくりとペースを落とし、ついに4本になった足を止めた。


「えーっ!もうちょい乗らせてくれよ。すげぇ楽だし、馬と違って新鮮!」


「ほら、降りてったら」

 強めに言うと、彼は分かったよ…、としぶしぶ降りる。


「じゃあ歩いてこ」

 ゆっくり歩いてる方が、においがよく分かる。きっとヒトのにおいならすぐに分かる。獣達のにおいとは全く違うから。


 ゼファ達のにおいはもう覚えた。サイガのもだ。だから他のヒトのにおいを探せばいい。簡単だ。


 しかし奇妙なことに、動物の糞尿ばかりに気が向く。どうやら狼になると他の動物の縄張りが気になるようだ。理性で押さえようとするが、無理なようで本能的にそのニオイを嗅いでしまう…


(なんか…嫌だなぁ…。獣ってそんなことに注意するんだね)


 そして顔が地面に近いためだろう、サクサクサクサク…と草花を踏み進めるサイガの足音がうるさく聞こえる。もちろん自分の足音も。


 このままずっと狼の姿から戻れなかったら、そんな音とニオイに一生敏感でいるのだろうか?そんなの気が変になりそうだ…。


 サラサラ…


(ん?何の音だろう…)


「ちょっと、止まって。静かにして。……水の音がする…っ!川かも!」


「ほんとか?なら飲めるときに飲んでおこうぜ。ホープもあんなに走ったんだ、喉乾いてるだろ」


「うん。こっちから聞こえる。あ、あの場所拓けてるみたい…」


 森を抜けるとそこは……


「これは…湖?」

「湖じゃねぇか!」


 湖は息を飲むほど美かった…。

 周りには、まるで湖を隠しているかのように、うっそうとした森が広がっている。


「ここは…。あの場所だ」

 すぐに分かった。ここは夢でハーレンが出てくる湖だ…。


「私…。ここ夢で見た…。これは正夢(まさゆめ)?それとも…」


「夢で?」

 サイガが聞き返す。しかし私はそれに応える余裕はなかった。


 正夢?ということは…、まさかハーレンが出てくるっ……!?

 一瞬だけ胸が躍ったが、すぐにそれは消し飛ぶ。常識で考えれば分かることだ。

 …いや、それはないな。竜が出てくるのは、夢かおとぎ話の中だけだから。

 でもどうして夢に……?


「おい、この湖って……」

 怖がっているのか、彼はびくびくしている。

 そういえばいつだったか、彼は怪物を退治してやる!とかなんとか言っていなかったか……?


「ちょっと。サイガそんなにくっつかないでよ。歩きにくい」

 彼はぴったりと私にくっついていた。そして片手を私の首辺りを軽く握っていた。ノの森に入ってからというもの、彼はすごく怪物を怖がっているようだった。案外子どもなのだと思う。


「だって…!お、おい…っ!ホープ近づくなよ、湖の怪物が出てくるぞ…」


 私も七不思議を聞いたときは怖かったが、この森はなぜだか落ち着くので、今は全く怖くなかった。


「湖の怪物ねぇ……。こんなにキレイな所に?……ん?」

 何か違和感を感じた。何かおかしい……。


 あぁ、そうか。こんなに大きな湖なのに、生き物の気配が全くしないのだ…。水中を泳ぐ魚も。そして世界七不思議の湖の怪物すら、いる気配はない。

 これはおそらく獣にならないと分からない感覚だろう。何もいないなんて、不思議だ。


(ふふっ。サイガすごく怖がってるみたい…。ちょっと面白いから、このことは黙っておこう)


「そういえば湖の怪物って確か、人間の男しか食べないんでしょ?だったら私、女だし狼だし、関係ないね…」

 ちょっと意地悪に言って、ずかずかと湖に近づいていく。


「や、やめてくれよ…」

 恐怖で顔が引きっていた。彼は子犬のようにぶるぶると震えている。


「でもサイガは男の子だから、食べられちゃうかもねぇ?」

 私はにんまりと笑う。狼の姿でちゃんと笑えてるかは分からないが……


「っ!!!」

 彼は半泣きだ。……なんだか気の毒に思えてきた……。


「あはははっ!大丈夫!怪物なんていないわ。ここ、生き物の気配がまるでないから…!」


「えっ?ほんと……か?」


「うん、ほんとほんと。嘘じゃないから安心してよ。早く飲も!」

 安心したのか、彼が握っていた私の首から手を放した。

 そうして二人で湖の湖畔(こはん)に腰を下ろす。私は水を飲む前に、湖とその周りをぐるーっと見回す。


「キレイな湖。それにすごく大きいし、これなら怪物が出るって話も信じちゃうね。……あーあ、霧が出てるのが残念だなぁ…。晴れてたらすーっごくキレイなんだろうなぁ。きっと星と月が水面に映って……」


「んー?なんだこれ?」

 話を遮って、彼は首をかしげていた。


「サイガ、どうしたの?」


「飲めない…!水が(すく)えないんだ…。水中に手が入らない…。なんか、こう…魔法が張られてるみたいに……」


「えっ?まさかぁ」

 耳を疑い、水面を舐めようとする。しかし本当に何かに突っぱねられ、水面に舌が付かない。まるで見えない地面があるみたいだ。


「なに……これ?魔法だよね?どうしてこんな森の湖に……。これ、もしかしなくても、水面に立てるんじゃない?」

 そろりと前足を付けると…。案の定、水面に立てるようだ。


 意を決し、一気に跳んで水面に着地する。水面は全く動じない。


「わぁ!すごい!楽しいっ~!!」

 水面を走り回るが、湖の魔法が解けることはない。さすが魔法の森だ。


「おい!やめろって!落ちたらどうするんだよっ!」

 心配そうな顔であたふたしている。


「大丈夫、大丈夫!はぁ~!楽しいなぁ……。…………私、外の世界に出れて良かった……」

 ぴょんぴょんと跳び跳ねる。嫌な事も、今ある問題も全て忘れて……。


 すると、ふとおじいの顔が頭をよぎった。

 あぁ、この景色をおじいと観れたなら良かったのに…。きっとそんな世界もあっただろう…。


 私は走り回るのを止めた。


「……ここの水は飲めないんだから、もう行こっか?……知らない世界を知るのは楽しくて……。でも今はそんな状況じゃなかったよね。ごめんね、さぁ、行こ。ルーフェンさんとバラバイさんを探しに……」


「ホープ……。ああ!もちろんだぜ!」



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