第3章 45話 「ノの森」
もう思い出せないの…。あなたの顔も声も。
でも約束だけはまだ覚えてる。
全て忘れてしまう前に早く来て。あなたとの約束を忘れてしまう前に……
目を開けると美しい月夜だった。そしてそこには月を水面に写す湖があった。
その周りには鬱蒼と生い茂る暗い森が広がっている。しかしそこには気味の悪さはなく、むしろ懐かしい感じがし、安心するくらいだ。
ここは夢の中。
(またこの夢。だったらきっと…)
「ハーレン!また会えたね!」
やはりと言うべきか、それとも私が会いたいと思って出てきたのか、振り向くと、大きな銀の鱗を持つ竜がいた。
私が喜んでいたのとは対照的に、竜は真剣な眼差しで私を見つめていた。
「どうしたのハーレン?大丈夫?お腹でも痛いの?」
「えっ…?あははっ。大丈夫だよ。……今日は君に忠告しに来たんだ。……あ、そうだ。前に会ったときはごめんね、意味の分からないこと言って」
「意味の分からないこと?…あぁ、思い出せる、とか、許して、とかその事?ハーレンあれはなんだったの?」
自分の夢の中の住人に聞くのもおかしいと思う。所詮はただの夢なのだから。
「混乱させるようなこと言ってごめんね。あれはもう忘れて」
竜は首をかしげてニコリと笑う。
「余計気になるよ…。それで忠告ってなあに?」
私も同じく首をかしげる。
「うん。"彼"の事をね忠告しようと思って」
「彼?……もしかしてルーフェンさんの事?確かにルーフェンさんに嫌なことを言われたけど……」
「えっ!?いや、違う、違うよ。あのゼファの事だよ」
ハーレンは全力で否定する。
「なーんだ。違うの?……ゼファさんの忠告?どうして?」
「君がゼファの事を覚えていないのは当たり前だからね。……ホープ用心して。彼を信じてはダメだよ、決して。旅の間、ルーフェンと離れてはダメだ」
ゆっくりと語りかける。
そんなハーレンの様子に、誰かの面影を感じた。
(誰かに似てる……。誰だろう…?)
「私はゼファを覚えていない??前に彼と会ったことがあるってこと?」
「うん。……これは僕のお願いだよ。彼には気を許してはいけない」
そう断言するハーレンに驚く。
「え?う、うん…。でもどうして?彼は悪い人ではないわ」
「理由は言えないんだ。それを君に思い出して欲しくないから。すごく一方的だけど、守って」
(夢の中だけど……。そもそもこれは護衛の旅。気を抜いちゃダメだったのよね。だからハーレンが夢に現れたのかな)
「分かったわ、気をつける」
竜は私の答えにただ黙ってうなずいた。そして遠くを見るような目をしていた。
青い瞳を……。そうか、青い瞳だ…
「ハーレン。あなたリーヤさんに似てる……。竜と人間を比べるのもおかしな話だけど」
「僕と彼がかい?……まぁそうだろうね。君は鋭いね」
(あれ?否定しないんだ…。なんだかハーレンって変な人……。じゃなかった、変な竜)
「でもそんな君もね、あの人に似てるんだよ…。ウジウジする所とか、本当にそっくり。だからこそ僕は君を選んだんだ。君こそが運命の子の方だと僕は信じてる……」
(ウジウジ……。いまの悪口だよね、その通りだけど……)
「ハーレンっておかしな事ばかり言うのね。でも冗談を言うようには見えないから、ますます困るの。運命の子って?誰に似てるの?」
皮肉を言って、少し捲し立てるように私は言った。
リーヤさんやハーレンのように、全てを知っている、みたいなのは、もううんざりだ。
(全て教えてくれればいいじゃない。どうして言ってくれないの?)
「あ、怒らせたかな…?ご、ごめんね、そんなつもりはなかったんだ」
困ったようにハーレンは笑う。
「もう話は終わりにしよう。僕のお願い、守ってね?さあ、朝だよ。ホープ起きて……」
夢に促され目を開けると、覗き込む顔がすぐ目の前に…!
「うげっ!!ホープっ!」
「きゃっ!サイガっ?!」
驚いた私はサイガをおもいっきり突き飛ばす。突き飛ばされたサイガはベッドの側に尻餅をついた。
「痛っ…!何すんだよ!」
「もう!びっくりしたじゃない!あんたこそ何なのよ?」
「べ、別になにもっ!!オレはただホープを起こしてやろうと思っただけで……」
サイガはお尻をさすりながら、困ったような怒ったような顔をしていた。
「え?そうだったの?突き飛ばしてごめん。……サイガの顔が近かったから驚いちゃったの」
「なんだよ、そんなにオレの顔が嫌かよ…」
「えっ?なにサイガ?」
「別になんでもねぇよ。ほら、もうみんな朝ごはん食べてるから。オレらも食べに行こうぜ。お前が起きるの最後だったから急げよ」
「そうだったの?!ごめん!」
私は飛び起きた。
「もぐもぐ…。うめぇぞ!これ!」
「うん!美味しいね」
口いっぱいに入れたまま話すサイガの隣で、私は少し遅い朝食を食べていた。
柔らかいパンとチーズと干し肉だ。素朴だが味は良い。
「それにしても全身すごく痛いや…。サイガは平気なの?」
「おー!全然大丈夫だぜ!普段から馬に乗るからな!」
「いいよね~。みんな馬に軽々と乗れて。昨日も一昨日も、一日中馬に乗って、私は全身筋肉痛だよ…。乗馬って難しいんだね」
私たちが街を出発してもう3日目だ。そろそろノの森に着く頃だと思うのだが…。
「あ、それでね、今日変な夢見てね…」
「ホープ、サイガ。ゆっくり食べてるとこ悪いが、そろそろこの宿を出るぞ」
ルーフェンはいつの間にか後ろに立っていたようだ。
「あ、はい。分かりました。あの……ノの森までどのくらいかかりますか?」
「ん?そうだな、おそらく今日の夕方までには着くと思う……」
ルーフェンが少し嫌そうな顔をしたのを、私は見逃さなかった。
やはり彼はノの森の迷信を……
カタカタカタカタ…
ゼファ達の乗る馬車の音が少しうるさく鳴り響く。
宿を出た後、私はサイガと一緒に馬に乗り、今は筋肉痛に堪えている。
(痛たた……。筋肉痛がひどいなぁ)
「なぁホープ、あのさぁ…」
「どうしたのサイガ?……あ、そうだ。後で聞いてほしい話があるんだけど……」
「え?ホープからでいいぜ。なんだ?」
「うん、あのね、変な夢を見てね……。その夢で竜が出てきて、ゼファさんには注意するように、って言われたの。サイガはゼファさんのこと、どう思ってるの?」
「ふーん、確かに変な夢だな。…そうだな、オレは別になんとも思ってないかな。でもゼファの連れの二人は、なんかおかしくねぇか?」
「えっ?連れの二人?」
「ああ。だってあいつらずっと馬車の中にいるじゃん。休憩の時も全然出てこないし、ほとんどオレらとも話さないしさ。なんかコソコソしてねぇ?」
「ちょっ、声大きいよ!商人たちに聞こえちゃう」
「おっと。師匠に聞こえたらまずい……」
サイガはチラリとバラバイを見た。彼は私たちから少し離れており、盗賊や獣を警戒していた。おそらく聞こえていないだろう。
(それにしても、聞こえたら困るのバラバイさんの方なんだ…。サイガって、人から悪く思われたりするの気にしないのかな?)
「えっと、……コソコソしてるのは魔法石を守るためじゃない?目立たないように、とか?」
「え??うーん……。お前がそう思うならそうじゃね?……まぁ、オレは師匠についていくしかねぇから、オレがどう思おうが関係ねぇけどな。お前もそうだろ?」
「……そうだね」
それからはサイガと無駄話はしなかった。どんどんノの森に近づいていく。そんな感じだった。
ボーッと自分達の乗る馬のたてがみを眺めている時だった。狭い一本道のその先に、雪を被った森が見えてきた。
鬱蒼としたその森は広くただ静かに拡がっていた。
言われなくても分かる。ここがノの森だ。
そして、いつかサイガが言った湖の巨大魚の話を思い出した。子どもに化けた巨大魚に、旅の男が食べられる話…
ゾクゾクと背中に悪寒が走った。
(あんな話、聞かなきゃ良かったよ…)
「さぁ、護衛の皆さん森に入ります。よろしくお願いいたします」
ゼファが馬車の速度を落として、はっきりと言った。
ノの森は人を寄せ付けないような、ピリピリした感じがした。
奴隷の時に逃げ込んだ森とは大違いだ。―――ただあの時はそこまで余裕がなかったからかもしれないが……
そしてノの森に怯えていたからか、奇妙な事に気がついた。
森はまるで線が引かれたかのように、ある部分から急に木が生えていた。
まるで神が決めた聖域のようだと思った。神なんて信じていないが。
そんな私にはお構い無しに、まずは先頭にいるゼファ達の馬車が入った。次にバラバイ、ルーフェンと続いていく……
「じゃあ入るぜ、ホープ…」
サイガが少し緊張した声で言った。
「う、うん」
そしてその線を越えた……。
(あれ?暖かい……。どうして??……そうか、この森ほとんど地面に雪が積もってないんだ。不思議……)
森に入ると急に気温が高くなったような、そんな感じだ。そして森の外で感じた人を寄せ付けないようなピリピリした感じもなかった。
(まるで夢の中のハーレンと会った湖みたいだ。懐かしくて安心する…。どうしてだろう?)
チラリとルーフェンを見ると、彼の顔はひきつっていた…。
「ふふっ。ねぇサイガ、ルーフェンさん見てみてよ。あれ絶対恐がってるよね?ノの森ってすごく暗いね。木が光を遮ってるんだね」
まだ日が出てるのに、薄暗い。そして馬の足音だけが森に響きわたる。
「サイガ?聞いてる?」
「お、おう…」
「あれ、もしかしてサイガも怖いの?……ふふっ。そういえば巨大魚に食べられるのは男だけだったわよね」
「っ!!……べ、別に!怖くねぇし!」
そんなこんなで森に入ってしばらく進むと、ゼファが突然大きな声で言った。
「皆さん、少し止まって下さい。相談があります。馬から降りてわたくしの近くに集まって下さい」
「どうしたんだろう…」
「オレ達も近くに行ってみよう」
二人で少し話していただけなのに、見るとルーフェンとバラバイはもう既に馬から降りて、ゼファの方に向かっていた。
「うん。私たちも馬から降りよっか」
パキパキ…
どこからか枝の踏みつけるような音がした。
「……ん?……ねぇちょっと待ってサイガ、何か聴こえない?」
「えっ??おい、脅かすなよ…。何も聞こえねぇぞ?そんなことより、オレらも早く馬から降りようぜ」
パキパキッパキパキ…。カサカサカサッ
「ほら!聴こえるよ…。左の方から……。何かが近づいてくる…」
「左?あの藪の中か?別に何も聴こえ……。ん?」
音の方角には、光も通さないような藪だ。馬に乗った私たちでさえ隠してしまうような…
ガサガサッッ!!!バサッ!!
「く、熊だっっ!!ルーフェンさん!!」
「熊だっっ!師匠っ!!」
私とサイガはそうやって同時に叫んだ。
それは迷信に出てくるような怪物ではなかった。でもものすごく危険な獣だった…。
「グルルルル……」
巨大な体をした熊は、低いうなり声をあげながら、私たちにものすごい速さで突進してくる!
「バラバイ!馬に乗れっ!!早くっ!!」
ルーフェンが叫んだ。
「きゃあっっ!!」
「うわぁ!止まれぇ!」
私たちの馬が熊に怯えて暴れだし、走り出す。私は馬から振り落とされないよう、必死にしがみつく。
「ホープっ!!!」
「サイガ!!!サイガっ!!!」
ルーフェンは私の名を呼んだが、彼も自分の馬をなだめるのに追われていた。
同じようにバラバイもサイガを呼ぶが、馬が暴れて乗れないようで、手綱を握るのに精一杯のようだ。
馬も生きるのに必死なのだろう、制御の利かなくなった私たちの馬は、熊とルーフェン達から離れていく……。
「止まって!!お願いっっ!ルーフェンさん!!」
「師匠っ!師匠っっっ!!!」
「ホープっっ!!」
「サイガ!!!」
そして熊もルーフェンたちもすぐに見えなくなり、森の奥へと続く獣道を、私たちの馬は走り抜けていった……




