第3章 43話 「記憶石」
自分の肩まで伸びた髪を仕切りに触っていた。それは柔らかくてふわふわしていて、触る度に気持ちが落ち着くものだった。だが匂いはあの粉のニオイが着いており、それは甘い匂いだが、ずっと香ってくるのは正直あまり良いものではない。
髪を伸ばしてもらったあの店を出たあと、私は一人、人気のない広場でもらった本を読むのに夢中になって私は昼食を食べるのも忘れていた。
周りを見れば暖かい太陽の光で、雪は少し溶けていた。
それにすでに日が傾き始めている。
イーライが魔法語の本だと言っていたように、そのほとんどの内容が魔法語の読み方、書き方、そしてその意味が連なるものだった。
魔法語の紹介はもちろんアテナ語で書かれてある。
―――アテナ語というのは、私が普段、話したり読んだりする世界の公用語だ。
なぜか私はアテナ語の読み書きは子どもの頃から難なく出来ていた。
―――それもたったの7才で。
「うーん。まだまだ読みたいけど、そろそろ宿に戻らなくちゃ。商人のゼファのおじさんが来るんだから……」
誰もいない寂しい広場で一人言を呟いた。栞など挟めそうな物がないため、読んでいたページを確認し覚える。そうして本を閉じようとする。
「まだ42ページか。4分の1ぐらいしか進んでないや。42、42……。あっ…。そういえば、ゼファおじさんは魔法石を扱っているって言ってたっけ?魔法石ってなんだろう?」
最後に魔法石だけ見ようと閉じかけた本を再び開いた。
魔法石のことが載っているかも分からないが、パラパラとダメもとでめくっていく。
「魔法石、魔法石…………あった!魔法石!……魔法語で、ノ・ロティスと呼ぶ……。ノ・ロティスか。それで内容は……」
「……魔法石は魔力を持つ不思議な石である。魔法とは本来、魔力を持って産まれた者にしか扱うことができない。しかしこの魔力を持つ石を使えば、魔法への触媒となり、魔力を持たざる者にも魔法の使用を許すのである。産地は北の国、ギラシヤスのみで採れる……」
「うーん。つまり魔法が使えない人にでも使えるようになる石ってことかな??」
一人で自問自答をしながら、本を閉じ立ち上がる。
「さ、そろそろ歩き出さないと。ゼファが来ちゃう。あとバラバイとサイガもね」
私はコートのポケットに本を無理やり押込み、それをなんとか入れ、歩き出した。
「バラバイさん、だから言っているでしょう。あの商人は……」
部屋の中から何やら話し声が聞こえる。これはルーフェンの声だ。しかし私はそれを遮るようにして、勢いよくドアを開けた。――こういうのは勢いが肝心だから…
「遅くなってごめんなさい!」
そう言いながら、部屋の扉を開けるのと同時に目に飛び込んできたのは、呆れた顔のルーフェンだった。
部屋にはサイガとゼファの姿は無く、バラバイとルーフェンしかいなかった。二人は椅子に向かい合って座っている。
私の方を向く前の二人の表情は、ルーフェンは神妙な面持ちで、一方のバラバイはいつも通りのんびりした表情だった。
そうして二人は同時に勢いよく開かれた扉を見る。するとルーフェンは自分の目を疑うように眉をひそめた。
「ん?おい、お前ホープか??その髪はどうしたんだ?」
「えっと、あはは…。髪伸びました。変……ですか?」
私はおずおずと二人に尋ねる。
「おや、……それはもしかしなくても魔法ですかな??ホープさんはそちらの方がかわいらしいですな」
バラバイが二カッと笑って私を肯定する。それを見て私は安心する。
「ありがとうございます。……サイガとゼファさんは?」
「あの商人はもう帰った。サイガは体調が悪いらしくてな。宿で待っている」
サイガが……?バカは風邪引かないって……。心配だ……
「わっはっは。ルーフェンさんもホープさんも、二人ともそんな心配そうな顔をせんで下さいな。あいつはただ腹を壊しただけですよ」
お腹を壊した…。それは納得だ。
「さて、そろそろ私も帰りましょうかな。ルーフェンさんはあの商人のことを気にしすぎなのですよ。……ではホープさん、また今度」
「はい。サイガによろしく言っといて下さい。さよならバラバイさん」
「………」
ルーフェンは何も言わずに納得していないような顔をしていた。
そうして会ったばかりのバラバイは、大股で出口に向かい部屋を後にした。
ルーフェンと私だけになった部屋は急に静かになった。
「えっと、結局お金使っちゃいました。500タウサを。ごめんなさい……」
謝りながらお金の入った袋を返す。
「いや、別にかまわんさ。………そうだ、護衛のことお前にも話しておかないとな。……俺は護衛の話を承諾したよ。出発は12日後で商人はゼファの他にもいる。ゼファを含め全部で3人の護衛だ」
「3人……。あの、私は護衛で何をすればいいんですか?」
「別に何もしなくていい。護衛を頼まれたのはバラバイと俺だ。お前とサイガはただ着いてくるだけでいい……。」
「そうですか……。分かりました」
正直言うと護衛で何の役にも立たないと思われているのだろう。でも実際そうだ。何も出来ない自分に歯がゆい。
「そうか、護衛まで12日間もあるのか。まぁ特にする事もないから、その間、今日みたいにお前は好きに街を見て周れば良いさ……」
そうだ12日間もあるんだ。その間に魔法の練習をすればいい。自分にも役に立てることがあるかもしれない。
そう思うと私は今すぐあの魔法の本を読みたくなった。ポケットに手を伸ばそうとすると……
「あぁ、そうだ、ホープ。忘れてないと思うが、明日あの司教に呼ばれているんだろう?無礼のないようにな」
「えっ?司教……?……あっ!忘れてた!!司教様だ!!明日でしたっけ??えっと、屋敷に……?」
すっかり忘れていた!司教様と呼ばれるあのおじいさんに約束されたんだった!
彼はそんな私を見て呆れ顔をする。
「……とにかく、ちゃんと行けよ」
翌日は雪が降って凍えるような寒さだった。
「じゃあ行ってきますね」
「あぁ。……ホープ、相手はあんなのでも、一応司教だからな。あまり変なことは言うなよ?」
一応って……。ルーフェンは神職をあまり良く思っていないのか、はたまたあの司教だからそう言ったのか……。
「えっと……。はい、気をつけます……」
宿の主人に司教様の屋敷を聞いておいた。屋敷は私たちが泊まっているこの宿から近いらしい。
「ここだよね??スミリの鍛冶屋の前にあるって言ってたけど……。これは屋敷というより…」
宿の主人に言われた通り、すぐに着いた。
しかしそれは屋敷というよりも、少し広めのただの家だった。
コンコンっ!と、ドアをノックし、少し待つが返事ない。
「すみませーん!どなたかいらっしゃいませんか??」
するとガチャリとドアが開かれる。
「なんじゃ、こんな朝から。誰じゃ?」
出てきたのはあの司教様だった。彼のモジャモジャの髭は朝だからか、それとも前に会ったときはまだマシだったのか、さらに荒れ狂っている。
しかし、てっきりお手伝いさんか誰かが出てくると思ったが、本人が出てきたなら話が早い。早く済ませよう。
「おはようございます」
「あ、お主は……。ありゃ?ふぅーむ。この前会った時は主を男の子と思ったんじゃが。女の子だったんじゃのお。なぜじゃろうな…?そんなことよりも、わしゃ眠いんじゃ。さてさっそく本題に入ろうかのぉ」
ここで??こんな玄関先で?雪が強くなっていてすごく寒いのに。
……まぁ仕方ない。早く説教を受けて終わらせよう。
笑ったことに対してあまり反省もしていない自分に、我ながら最低だと思う。しかし私はあの本の続きを読みたかった。
「あの…、本当にごめんなさい!!」
「んあ?ふむ…。なぜ謝るんじゃあ?」
司教様は髭をさわって首をかしげている。
「えっ??」
その姿を見て私は目が点になる。
司教様は寝ぼけているのか、それともボケているのか……。
「だってあの日私、司教様の話し方が可笑しくて笑ってしまったから…。えっと、今日呼ばれたのは説教するためではないのですか?」
「なんじゃ。お主あんなことを気にしておったのか??ふぉふぉふぉ…、そう言えばそんなこともあったのぉ。でも違うんじゃ。わしゃお主に渡すものがあるんじゃぁ。……やけんども、言ってなかったわしも悪いんじゃ。すまんかったのぉ」
「渡すもの??」
「ああ、そうじゃあ。わしゃ頼まれたんじゃ。お主に渡してほしいとなぁ。ちょっと待っておれ」
そう言うと司教様は玄関先の台の引き出しから、ごそごそと掌に収まるくらいの小さな革の袋を取り出した。
「ほれ。確かに渡したからのぉ。なくすんではないぞよ?あー、これで一件落着じゃ。良かった良かった…。さてもう一眠りしようかのぉ」
袋を開けてみるとそこには……
小さな紫の石の付いた指輪だった。
「これって指輪……?あの、頼まれたって一体誰に……?」
「んあ?うーん。名前は聞いてないんじゃがの。青い目をした男じゃ」
青い目……!!それはきっと…!!――――リーヤだ!
……いや、待てよ。それはおかしい。
「……それってまさか黒髪の背の高い青年じゃないですよね?」
否定されることを願って尋ねる。
「そうじゃそうじゃ。黒髪の若い男じゃ。……あやつはわしがお主と会う何日も前に訪ねてきたんじゃよぉ」
「……それで不思議なんじゃがのぉ。その男は、"赤月の日に紫の瞳をした子どもが、あなたの前に現れるから、その指輪の入った袋を渡して欲しい"と言われたんじゃ。それがあまりにも必死だったんでのぉ、わしゃそれに負けて引き受けてしまったわい…」
まさか、そんなことあり得ない。だってリーヤに初めて会ったのは赤月の日の"夜"。
しかし司教様に会って約束したのは赤月の日の"朝"……。
となれば、リーヤは私と会う前に、司教様に私に指輪を渡すよう頼んだということ??前から私を知っていた?
それにどうして私に指輪を?リーヤと私には接点はないはず……
ますます深まる青年の謎に私は困惑する。
「あ、そうじゃ。それと伝言を頼まれていたんじゃ。その指輪は肌身離さず大切に身につけていてほしいんじゃとなぁ。決して無くさないようにのぉ。そしてそれは出来るだけ他人には見せんようにとなぁ。だからお主に一人で来るように言ったんじゃぞぉ」
「肌身離さず?……他には?彼は何か言っていませんでしたか?」
「いやぁ、特にはないかのぉ。………正直あの男の話は信じてなかったんじゃが、あの日お主がわしの目の前に現れたときは本当に驚いたわい。……さぁ、これが全てじゃ。わしゃ約束は果たしたんでのぉ。眠いんじゃ。ではのぉ」
「えっ、ちょ、待って!」
ガチャリ……。無情にも扉は閉められる。
謎を残したまま、指輪を持った私は扉の前で一人立ち尽くした。