第1章 39話 「赤い月」
私の観たいもの…。それは―――
その瞬間椅子から立ちあがり、私は走り出した。
扉を開けた先には多くの人が立ち止まり、皆一様に空を見上げていた。そうして私も同じように所々雲のかかる空を見上げる。
それは幻想的で、不思議と心が温まるものだった。
「赤月だ…」
「きれいだなぁ…。心が洗われるようだよ」
誰かが言った。その通りだと思う。
赤月は観たことがないと思っていたが、勘違いだったようだ。
すごく懐かしい気がする…。そして心が締め付けられる…
その懐かしい所に帰りたい…。
「帰りたいよ…」
「どこにー?」
後ろから声をかけられドキリとした。
「えっ?サイガ?」
「ホープ、空見すぎ。まぁ確かにキレイだけどなー」
サイガは地面の石ころを踏んだり転がして遊んでいる。
「なに、もう飽きたの?」
「んー。別にー」
気のない返事をする。
「サイガはやっぱりバカだね」
「なんだと!?なんでそうなるんだよ?」
少年は口を尖らせる。彼はすぐに顔に出るので、手に取るように感情が分かる。
(サイガは怒りっぽくて飽きやすくて、コロコロと表情が変わっていって…、見てて面白いな)
自然と笑みがこぼれる。
「………」
すると彼はボサッとした顔をし、首を傾げる。
「どうかした?」
私も首を傾げる。
「変な意味じゃないぞ……。ホープってさ、かわいいよなー、ホントに女みたいだぜ。おれもお前見たいに可愛い顔してたら……モテたかなー?」
少し恥ずかしそうに、頬をポリポリと掻くサイガ。
それを聞いて心がまさにバラ色になる。
「ほ、ほんと!?すごく嬉しいっ!そんなこと言われたの初めてだよ!」
「サイガ実はね…。私は女なの!」
「そうだよな、男だよな。……えっ、女?えーー!!!」
口をあんぐりと開け、目が点になっている。そんな姿を見て私は…
「そんなに驚かないでよ。傷つくじゃん…」
「ご、ごめん。お前女だったのか…??びっくりしたぜ。…いや、だってホープの服装そんなんだし、それに…」
そこで言葉を止め、モジモジするサイガ。
彼が遠慮するなんて珍しい。
「確かに格好は男の子みたいだけど…。それになによ?言って。今後の参考にしたいから」
すると私の顔を見ていた彼の目線が少し下がる。
あ、もしかしてこれは…
「だってお前の胸………まな板じゃん」
「っ!!」
その瞬間、ふつふつと怒りが沸き上がる。あまりの怒りに、彼に殴りかかりそうになった。
しかしなんとかそれを押し留め、すべての怒りを拳で握り潰す。
「最っ低!もうサイガなんて知らないっ!」
そう吐き捨て、困った顔をした少年を置いて食堂に戻った。
途中でルーフェンとバラバイとすれ違ったが、無視してテーブルまで一直線に戻る。
「ご、ごめんって…!なぁホープ!」
食堂まで追いかけてきたようだ。
しかし私に近づいてくるのは躊躇しているようで、遠くの方で叫んでいる。
私はわざと聴こえないふりをして夕食の残りを食べる。
「だってお前が言っていいって言うから…」
ボソッと言ったのが耳にスゥーと入ってきた。まさに地獄耳だな私は。嫌な言葉ほどよく聴こえる。
確かに言ってもいいとは言ったが…。やはりサイガはバカだ。
「なぁー!ごめんっ!ほんとに悪かった!」
「ホープごめん!!」
煩いくらい何度も謝る少年。しかし勇気がないのだろう、まだ遠くから謝っている。
(はぁ…。もう仕方ないな、私に近づいて謝ったら許してあげようか…)
「サイガ」
少年を呼ぶ声があった。その低くて落ち着いた声はルーフェンだ。
(ん?ルーフェンさんがサイガに話かけるなんて珍しいな…)
「なんだよルーフェン。今忙しいんだよ」
年上の彼を平気で呼び捨てにするサイガに驚いたが、それにより、やはり彼がバカであるということが揺るぎない確信に変わる。
しかしルーフェンは、年下の少年に呼び捨てにされても特に何も言わず話を続ける。
「ホープはお前と会ってからよく笑うようになった」
「えっ?そう…なの?」
(なに、私の話?)
全ての神経をその会話に集中させる。
「ああ。だからホープはお前と一緒にいる方がいいのだろう。」
(なんで?どうしてそんなこと…)
「それに俺の旅にずっとは連れていけない。それで、もしできたらでいいからサイガ。お前の城にホープを………」
そこで言葉を止め、間が空く。
「ホープをなに?」
たまらずにサイガが言葉の続きを尋ねる。
「………いや、お前に言うことじゃないな。悪い、なんでもない」
しかしルーフェンはそれに答えなかった。
「んー?なんだよ…」
彼は口を閉ざしたけれど、続けようとした言葉は何となく分かる。足元の地面が崩れ落ちるような感覚になる。
(私をサイガの城へ置いていくつもりなの?)
それが怒りなのか、悲しみなのか分からない。
そしてそれをどこにぶつけたらいいのかも分からない。頭がくらくらする…
やはり………。やはり彼にとって私は―――邪魔なのだろうか
それからしばらくしてサイガは静かに私の目の前の席についた。彼は私の顔色をうかがいながら、ソワソワしている。
私はというと、もうサイガに対しての怒りはなかった。今の私はルーフェンが話していた内容で頭がいっぱいだった。
相談もなしに城へなんて…
しかし私はいつも通りの顔をする。なぜだかは自分でも分からない。
もしかしたら分からなかったからもしれない。この想いをどうすればいいのかが。
「さっきはごめんな。まだ怒ってる?」
「ううん。もう怒ってないよ……」
私は正直に言った。というよりも、もうサイガと争う気力がなくなってしまったからだ。
するとサイガの顔がパッと晴れやかになった。
「そっか!なら良かった。」
「そうだ、さっき師匠とルーフェンが話してたの聞いてたんだけど、お前の師匠、ゼファの護衛する方に傾いてるみたいだぜ」
「そう護衛引き受けるんだ……。あぁ、サイガ言ってなかったけど、ルーフェンさんは私の師匠じゃないんだよ…?」
「えっ?そうなの?」
「うん…」
キョトンとした少年に、私は力なく微笑んだ。
「じゃあお前らどういう関係なの?」
純粋にただ真っ直ぐな瞳で尋ねられる。
「……なんだと思う?」
再び私は力なく微笑んで質問を質問で返した。
「うーん、親子……じゃないよなぁ。似てないし、そもそも人種も違うし。ルーフェンはたぶん北国の人間だろ?でもお前は全然違うもんな」
少年は困った顔をしながら一生懸命悩んでいる。
(ルーフェンさんって北国なんだ。そういえば前に故郷は寒いって言ってたな…)
「えーっと、お前の髪は薄いグレーで、目は紫、肌は真っ白だからお前の出身は……。どう見てもこの辺の東の地域じゃないな。それに俺のいる中央の地域でもないし」
「んー、でもでも西の地域はもっとはっきりした顔立ちだし……。南の地域はもっと濃い目と髪の色だもんな。うーん?あれ?当てはまらないなー?」
(え……。そうなんだ。私ってどこの地域にも当てはまらないんだね…)
「んーと、北、南、西、東でもなければあとは……あれ?じゃあお前どこから来たんだ?」
私はそれに絶望した。そんなことルーフェンもそれにおじいも一言も言っていなかった。
そして考えたこともなかった。地域によって人種が変わるのは知っていたが、私のような人間はどの地域にもいない?そんなはずない。
だったら私は一体どこから来たっていうの…?
「………もう分からねぇから降参!答え教えてー」
彼は投げやりに言った。
「……らない…」
「えっ?」
「分からないんだよっ!!」
「ホ、ホープ?」
「私は……、私っ…!」
その次の言葉が喉まで出かかる。――がそれをなんとか呑みこんで、ぎゅうっと胸に仕舞う。
仕舞った胸には違和感が残っている。それはまるで胸焼けのようにムカムカして気分が悪い。
ふと我に返ると、目の前の少年は不安そうな顔をして、そして同時に心配そうに私を見つめていた。
「ご、ごめんっ!……なんでもない。ごめんねサイガ」
「大丈夫か…?なんかおれ、悪いこと聞いた…?」
彼は私をじっと見つめていた。
「ううん。私が悪いの。気にしないで」
私は無理やりに作り笑いを浮かべる。
さっき飲み込んだ言葉は、私の胸にずっとずっと突っかかっている、ある"想い"だ。
そしてこの想いは誰にも話したことがない。
ああ、胸がつっかえて苦しい…
するとさっきのルーフェンとサイガの会話を思い出した。嫌な気分の時には嫌な事を思い出すものだ。
「なぁ、もしかしてなんか悩みがあるのか…?おれ聞くぞ」
(さっきのルーフェンさんとサイガの会話のこと話してみようか…)
「ねぇサイガ…。恩を返すにはどうしたらいいと思う?」
「恩を?もしかしてルーフェンのことか?」
私はそれに静かに頷いた。
「私ね、ルーフェンさんに恩をたくさんもらったんだ。でも私には返せるものが何もないの」
サイガはただ黙って聞いていてくれる。
「そんな私が出来ることと言えば……。やっぱりルーフェンさんが私に対して、一番望むことをするべきだと思うの」
「私ね、さっきのルーフェンさんとサイガの会話、聴こえてたの」
「聴こえてたのか?」
「うん。それで…、だから…。」
言おうか少し迷う。でも心を決め口を開いた。
「ルーフェンさんの旅に私は邪魔なんだと思うんだ。だから私は彼と別れるべきだと思うの…。それが私の出来る恩返しで……」
「………私、それでいいんだよね?そうすればいいよね?きっと…」
ただ頷いてほしかった。いや、きっと頷いてくれるだろう。―――そうすれば、私は心を決められる…。
「なんだ、お前おれよりバカだったんだなー」
サイガすごく不機嫌そうな顔で言った。




