第1章 14話 「無知」
雪が再び降り始める。目の前にあるあまりの惨劇に、寒いという感覚ももはや麻痺していた。
「終わったの……?」
私がそう呟くとルーフェンは馬から降り、こちらに向かって歩いてくる。彼はただ真っ直ぐに私を見ていた。
その剣は血で汚れ、彼の顔も血で汚れている。
一寸先は闇、とはよく言ったものだ。昨日までの日々とはあまりに遠くかけ離れていて、現実味がない。
私はただただ恐ろしく、手に持っていた短剣をぎゅっと握りしめる。手が震えて短剣を落としてしまいそうだ。
「ル…ルーフェンさん…」
「お前が言いたいことは分かっている。俺を軽蔑しているんだろう?」
ルーフェンは無表情で言った。
――軽蔑……なのだろうか?……いや、ちがう。軽蔑というより本能的に身の危険を感じている、ということだろう。
とにかく確かに言えるのは、私はルーフェンの事を否定的に捉えているということだ。
私はどう反応すべきなのだろうか…?
「どう思われようとこれが俺だ。別に取り繕おうとも思わないさ」
私が否定しなかったので、肯定だととられたようだ。彼はそのまま続けて話していく。
「だが安心しろ。お前を傷つけたりしない。約束する」
私の目を見てはっきり言いきる。心の底からそう言っているように思うが、本当に信じて良いのだろうか?
この人のことを何も知らないのに…
返事を待っているのか、ルーフェンはそれから黙ったままじっとしていた。血のついた彼の顔を、私はじっと見つめる…。
分からない。本当にこの人を信じて良いのか、分からない…。少し考える。そして息を吸う。
「私はあなたの事を何も知りません。だから信じるかどうかは、あなたの事を知ってからにします。」
ただ正直に思った事を伝えた。
「……そうか……。それでいいさ……。」
ルーフェンの顔が曇ったように見えた。少し悲しそうな顔をしたように感じたのは、私の思い違いだろうか…?
ルーフェンは血のついた剣をチラッと見る。
すると、剣を雪の上に静かに置く。
「鞄を貸してくれ。」
私は短剣をポケットの中にしまい、言われた通り、肩に掛けていた鞄を渡す。
ルーフェンは頷いて鞄を受けとった。次に、血塗られた手袋を雪で簡単に払う。そして彼はガサゴソと中身をひっくり返した。何か探し物をしているようだ。
鞄から取り出したのは、真っ白な布だった。そのきれいな布で、彼は血のついた顔を拭く。
その後で、またこれも、ベッタリと血のついた、皮の手袋を丁寧に拭う。
しかし手袋は中まで血が染み、あまり拭えなかったようだ。
最後に剣を上から簡単に、血で染まった布で押さえて、剣を鞘に収めた。
世界は静まり返っている。
周囲を見渡すと、私たちの乗っていた馬は、遠くの方で地面の雪をかじっていた。
騎士の乗ってきた馬のうち、二頭は戦いの際、驚いてどこかに駆けて行ってしまったようだ。
残りの二頭は、同じように雪をかじっていたり、鼻に雪を擦り付けていた。
主のいなくなってしまった馬達を可哀想に思った。そしてその主を見る。
血を見たくないので、すぐに目をそらす。
「騎士たちは?このままですか…?」
「いいや、悪いが手伝ってくれ。」
ルーフェンは遠くを見るような目で私を見ていた。
私たちは騎士の遺体を仰向けにして、四人ともきれいに並べていく。
そしてルーフェンは、それぞれが使っていた剣を、胸の上に優しく置いていく。理由は分からない。でも丁寧に弔っているのは分かった。
私に背を向けているので、ルーフェンの顔は見えない。
(どんな顔をしているんだろうか…。)
「騎士として戦い、立派に死んだということを、認めているんだ…。」
背を向けたまま、まるで心を見透かしたように、私の疑問に答えた。
「さぁ、そろそろ行こう。」
私たちは再び馬に乗った。
こうして、奴隷としてずっと生きてきた、このナガルの国を後にした。
一度だけ後ろを振り返る。
しかし、私の後ろに乗っているルーフェンが大きくて、後ろの景色が見えなかった。
仕方なく前を向く。
前には雪の降り積もった道が、ただただ続いている。
私の運命の道は、一体どこに繋がっていくのだろうか…