第1章 12話 「逃亡」
(追っ手が来た……?)
私は飛び起きる。
「ホープ、今すぐ宿を出るぞ」
緊張した声でルーフェンは言う。彼は立ったまま荷物をまとめていた。
「そんなっ…!なんで……っ」
恐怖でだんだん体が冷たくなっていくのを感じる。
「さっきこの宿に村人が来てな…。騎士がすぐそこまで来ていると教えてくれたんだ」
「そんな…!でも…でもっ」
「もう村の入り口に来ているそうだ。さぁ、早く宿を出よう」
私の言葉を遮って、彼は必要な情報だけを正確に伝えていく。
「でも追っ手はしばらくは来ないだろうって!」
しかし私はかまわずに、先ほど遮られた言葉を強引に続けた。
「あぁ、そうだったな。あれはお前をできるだけ眠らせてやるための嘘だ。…悪かった」
荷物をまとめていた手を途中で止め、顔だけ私の方を向いてそう素直に謝る。
自分の顔の血の気がさっと引くのを感じた。
確かに少し考えればすぐ分かることだ。逃げ出した奴隷がいれば血眼になって探すに決まっている。
なぜなら奴隷は高価な商品だからだ。一人買うのに金貨大枚をはたくという。
さらにそのうえ逃がしたなんて広まれば、体裁を気にする貴族にとっては恥だ。
飢えと疲れと悲しみで、そんなことも気がつかなかった自分に腹が立った。
「…だがな、実際本当にもう少し時間はあると思っていたんだ。 この辺は村が多いから。 捜し出すのに時間がかかると考えていたんだが…。どうやら勘が外れたらしい」
ルーフェンはもう荷物の方に向き直っていた。そして最後の荷物を鞄に詰め込み大きな鞄を持ち上げる。
鞄を持ち上げたときその下に隠れていたものに戦慄する。
(あ、あれは……)
その鞄の下には剣が隠れていた。それは所々金属が剥げて、少し古びているように見える。
(どうして剣なんか…?)
なんとなくこの人は、暴力とは無縁な世界にいると勝手に思い込んでいた。もしかすると、ひとり旅だから護身用に?
ルーフェンはその古びた剣を手に取り、慣れたように腰のベルトに提げる。
「さぁ、ほら行くぞ。馬に乗るからな」
そう言いながら、壁に掛けてあった黒いコートを私にグイッと押し付ける。見た目よりコートはずっしりと重かった。
私は何も言わずにそれを羽織る。すると何か固いものがコートのポケットに入っていることに気がついた。
(なんだろう…?)
ポケットに手を突っ込むと、それは冷たく無機質で、すぐに何が入っているのか理解した。
取り出してみると、やはり小さな短剣だった。
「いざとなったら迷わず使えよ」
ルーフェンは低い声ではっきり言った。
短剣はほとんど使われたことがないようで美しく輝いていた。もしかしたらついさっき買ってきたものかもしれない。
私は手に持ったその輝く短剣をじっと見つめる。……そういえば屋敷にいた騎士達もこのような美しい白銀に輝く剣を提げていた。肉や血なんて斬ったことがないような美しい剣を……
そうして次に昨夜を思い出す。昨夜の惨劇を。
白銀に輝く剣を持った年若い騎士。
その騎士は私の魔法で簡単に吹き飛ばされ木にぶつかった。そしてまるで折られた枝のように首がおかしな方向に曲がって……
その瞬間、ぶわっと鳥肌が全身に広がるのを感じた。同時に手足が冷たくなり、あまりの恐ろしさに口は渇き果てる。
あっけなく、本当にあっけなく人は死ぬ。
だが、いかなる理由があろうとも、人が人の命を奪うのは大罪だ。この心の奥底にこびりついた罪悪感がその証拠である。
人の命を奪うは罪。彼の死は決して許されぬ罪。きっと私は死ぬまで永遠にこの罪を背負うことになるのだろう。
例え自分を殺そうとする追っ手だとしても、もう誰かを殺すのは嫌だった。もう誰かが死ぬのを見るのは嫌だった。
短剣をポケットの奥深くへ滑り込ませる。私はもう二度と……
「この鞄を持っていてくれ」
ふいにそう言われて現実に戻る。ルーフェンは先ほど詰め込んでいた大きな鞄を私に掛けた。なんだか鞄は見た目よりもずいぶん軽いように感じる。
そして彼は大きく深呼吸して言った。
「行くぞ」
私たちは部屋を出て、バタバタと廊下を走る。どうやら部屋は二階だったようで、廊下の先にあった階段を下りていく。
下りるとそこは広い食堂だった。食堂には、白髪の混じった初老の女性が立っていた。
「あんたら大丈夫かい?気を付けなよ。馬はすぐ外に待たしてあるからね」
この柔らかな声は聞き覚えがある。ご飯を持ってきてくれた人だ。
「そうだ、村の裏口から出るんだよ。入り口の方には騎士がいるからね」
ルーフェンは頷くと、ポケットからお金を取り出し彼女に渡す。
「ありがとう、騒がせて悪かったな。飯うまかった」
そう言うとルーフェンは駆け足で外に出た。私もその後に続く。
私は一瞬振り返り、心配そうに立っている彼女に、
「ありがとう…」
とひと言お礼を言い外に出た。
外には乗り手のいない1頭の馬がいた。
馬は誰も手綱を持っていないのに、そこにじっと待っていた。
「よしよし、いい子だ」
馬の鼻筋を撫でたあと、ルーフェンは背の高い馬にさっと乗る。どうやら彼は馬の扱いに慣れているようだ。
「ホープ、手を貸せ」
ルーフェンは黒い皮の手袋をした手を私に差し出す。
手を出すとグッと引っ張られ、私はルーフェンの前にちょこんと座る。
たぶん生まれて初めて馬に乗った…。視界は高くなり、遠くまで見渡せる。
(すごい!た、高いっ!)
そんな場合ではないというのに、素直に心が躍る。
「走らせる、落ちるなよ。……ハァッっっ!」
掛け声と共に馬は走り出した。
「村の裏出口はこっちか…」
後ろで小さくそう聴こえた。
馬は私が思っていたよりもずっと早かった。走らせた馬の上はバランスを取るのが難く、落ちないように手綱を一生懸命掴む。
私たちはすぐに村の外に出た。村の外はひたすら雪の道が続いている。
「どこに向かってるんですか?」
「国を越えようと思っている。ここから国境は近いんだ。安心しろ、すぐに着く」
「国を越える……」
私はその言葉を繰り返した。
国を出たら、きっとスウナ達には、もう二度と会えないだろう。それに自由になったら見たかった、あの鐘も見れない。
そして、私の大切な人が……。
きっと冷たい雪の上で、まだ眠ってるんだ。
(きちんと弔ってあげたい……。)
胸が苦しくなり、息が出来ない。
(……でも私には決定権も選択肢もない。この人についていくしか、今私が生きる道はないんだから…。……生きなきゃ。私、生きなきゃ……。せっかくおじいがくれた命なんだからっ……)
自分にそう言い聞かせる。
(…………さようなら…)
涙をこらえながら、私は心の中で大切な人に別れを告げる。
すると大切な人は私の名を呼んでくれたような気がした。




