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精霊の湖  作者: 桜木ゆず
第1章 世界の色
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第1章 10話 「初めての会話」

あなたに会えたら、話したい事たくさんあるの。

あなたもきっとそうでしょう……?

だから手を伸ばして。

きっと届くから…。

 悲しみの雨がボロボロと落ちるにつれて、いっぱいいっぱいだった心はだんだんと静まっていく…。そうしてその雨は止みだしていった。


 悲しみの雨が雫になった頃、ようやく男の胸から離れる。男もそれに気がついたのか、ゆっくりと様子を伺いながら私を離した。

 ガビガビになった鼻をすすりながら、目の周りに未だまとわりつく悲しみを腕で拭きあげる。

ふぅ…と長く息を吐いた後、もう大丈夫だと確信し私は口を開いた。


「ごめんなさい…。迷惑かけてしまって…」

 その第一声は枯れて老人のようなしわがれた声だった。うつむきながら床に向かって小さく放った声はすぐに消えていった。


「気にするな。それよりどうだ、少しは落ち着いたか?」

 その低くて優しい声色に私は顔をあげる。男は同情しているのだろうか、哀れんだ目をしているように感じた。


「はい…。もう落ち着きました」

 もちろん悲しみは深くて広い。そして受け入れれた訳ではない。だがもう涙はすっかり止まっていた。


「あの老人はお前の大切な人だったんだな。助けられなくて悪かったな」

 男は下を向いて申し訳なさそうに言った。


「………いいえ」

 私も下を向いて応える。そう、とても大切な人だった…。断言できる。辛い中でも生きてこれたのはおじいがいてくれたからだと。

でもだからといってこの人が責任を感じる必要なんて少しもない。


「……そういえば、聞いてなかったな」

 気分を変えようと思ったのだろう、男は少し明るい声でそう言う。


「えっと、何をでしょうか?」

 何のことか分からなくて、下を向いていた顔を上げて聞き返した。


「名前だ。……俺はルーフェン。ルーフェン・ディン」

 男はまっすぐこちらを見ていた。そうやって自分の名前を一言名乗ると男は口を閉じた。


「ルーフェンさん……」

 男が名乗った『ルーフェン』という名を私は小さく呼ぶ。男はそれを聞いてうなずいた。


「それで?坊主の名前は?」

 男は私の顔色をうかがいながら言う。


「えっ…?」

 それを聞いて目が点になる。ショックだった……。


(坊主って……)

 もしかしなくても男だと思われているのだろうか?確かに髪は短く声も低い。そ、それに…それに胸も全然ないけれど…。


「ええっと……私は…その…」

 思わず口ごもる。どう答えればいいのか…。


「どうした?もしかして、お前には……、奴隷には名前が…ないのか?」

 その言葉にびっくりして彼の顔をまじまじと見た。なぜならまだ一言も奴隷の事を話していないのに、私がそうだと言い当てたからだ。ルーフェンという男は困ったような、険しいような顔をしていた。


 なぜだろうか………。この服?そうか…服装から分かったのだろう。こんなぼろ切れのような服はきっと奴隷しか着ない、きっと。きっとそうだ、と納得する。

 奴隷だと言い当てられたことで心を決める。背筋をスッと伸ばし低い声で言った。


「…いいえ、名前はあります。ホープと言います」


「そうか……ホープか」


『いいか、ホープ。世の中には女ってだけで、下に見るやつがいる…』

 これは昔おじいが言っていたことだ。私は女であり子どもであり、そして奴隷……。下にみられるということは危険が多いということでもある。

 ―――この人は悪い人には見えないが、女だということは言わないでおこう―――


「あの、聞いてもいいですか?ルーフェンさんはどうしてあんな森に?」

 小さく咳払いをし、話題を変えた。


「ん?あぁ、俺は川下にあるこの村から、川上にある村に行こうと思ってたんだ。お前のいた森……、というか、あの川づたいに行くのが近道だと聞いてな。その途中で乗り手のいない馬を見つけたんだ……。その馬の足跡を辿ってきたら、お前が倒れていたんだ。乗り捨てられた馬を拝借して……いや、まぁなんだ、盗んでお前を運んだ」


「そ、そうだったんですか。……はっ!あの、オオカミは?近くにオオカミがいなかったですか?おっきくて灰色の……」


「オオカミ?いや、見なかったが…。確かに馬以外の動物の足跡があったな……。オオカミがどうかしたのか?」


「あ、いえ……。少し気にかかっただけなので。なんでもありません」


「ん?そうか?……それで、ここに来てからお前はまだ2、3時間しか眠っていない」


「そうですか…」

 下を向いて目を閉じあのオオカミを思い出す。その体は大きく、美しい紫の瞳……


(あのオオカミは幻じゃなかったんだ。足跡があったんだから……。なんだか現実じゃないみたいで幻かと…。幻といえば、魔法を見た。おじいが魔法が使えるなんて知らなかった。あんな力があればもっとうまく……)

 目を閉じていることで、よりいっそう森での出来事が鮮明に視える。鮮やかで美しい魔法を。


 と、そこで自分が魔法を使った事を思い出す。ハッとしてまぶたを思わず開いた。


 魔法が使えた。……知らなかった。自分が魔法を使えるなんて。

 昔、魔法が使えるのは何十人かに1人だと聞いたことがある……。そしてそれはおじい自身が言っていた。それにどうして彼は魔法使いだと隠していたんだろうか……?彼は明らかに魔法を扱う心得を持っていたように思う。私は再び目を閉じる。


(あんな力があればもっとうまく…。もっとうまく……?どううまく出来たっていうの?そもそも気づかれずに逃げ出すのが目的だったんだから…。それで運の悪いことに追いかけられて……。それで私は……。私、魔法を使って……)

 閉じたまぶたに死んだ騎士が浮ぶ。そして耳には首が折れた時の鈍い音が鮮明によみがえった。


 それを消そうとして目を開ける。すると木の板の床が見えた。でも耳にはまだ聴こえている。あの時の音が。


 そう、殺してしまった。殺したのだ。人を1人殺した……。胸いっぱいに嫌なものが広がってゆく。それを表すならば黒くてぐちゃりとした重い塊だ。

 いくら相手が自分を殺そうとしたから、私の大切な人を殺そうとしたから……、あんなやつ死んで当然だ…。なんて色々理屈をつけたとしても、この罪悪感は消えないだろう。



 決して消せない罪を背負ってしまったのだ…。



「どうかしたのか?」

 ルーフェンが私の顔を覗き込む。


「……騎士が…。私は騎士を……」

 とそこであることを思い出し目を見開く。騎士が二人いたことを。


(あれ?年配の騎士は確か気絶していただけだったんじゃ?まさか追ってくる……?)

 急にそう思い出し緊張する。


「騎士はっ?? 騎士はどうなっていましたか?」


「……騎士の一人は死んでいた。もう一人は、気絶していた。頭から血を流していたから、まだ動けないんじゃないか?……だからしばらくは大丈夫だ。心配するな」

 ルーフェンはなんだか小さな子どもに言い聞かせるように言った。


 本当に大丈夫だろうか…?私はいろいろと考え込む。


 これから私、一体どうすればいいんだろう?スウナさんたちを今からでも探すべきだろうか……?

 いいや、みんなも逃げているんだから、身を隠してるに決まってる。そう簡単に見つかりっこない……。それにもうみんなこの国から出てるかもしれない。国から出れば貴族も諦めるとおじいが言っていたから……。そうなればますます探すのは絶望的だ。



 だとすれば私はどうするべきなんだろうか?こんなところで見知らぬ他人に世話になっていても良いのだろうか?今すぐにでもここから走ってスウナさんたちを……

「話はこんなもんでいいか?」

 私が黙っていると、ふいにルーフェンがそう言った。そこで現実にもどる。

 私が何か言おうとしたとき、ルーフェンは人差し指を立てて、それを口に当てる。


「とりあえず服を買いにいってくる。今のじゃあ嫌だろう?……適当なものでいいな?ああ、あと靴もか」

 と私を見ながら、目で大きさを測っているのだろうか。眉をひそませて言う。

 確かに、私は奴隷用のボロボロの服を着ていた。血のついたボロボロの布のような服を……。履いている靴も大きさがあってなくてブカブカだ。


「まぁ質問は俺が買いに出ている時に考えておいてくれ。後で聞くよ。……そうだ腹は?空いてるか?宿の店主に何か用意させようか?」

 ルーフェンは出る準備をパパッと手早く済ませ、重そうな鞄を肩にかけながら言った。


 実はかなりお腹がすいている。何から何までしてもらい、申し訳ないと思いつつも、

「お願いします…」

 と上目遣いで答えた。


「ああ、任せておけ。……ホープ、ここにいろよ」

 初めてルーフェンが私の名を呼んだ。そうして彼は部屋を出ようとドアに手をかける。


「ルーフェンさん!あ、あのっ…!」


「ん?なんだ?」

 ルーフェンはドアに手をかけたまま、不思議そうに顔だけこちらを向ける。


「あの……助けてくれて、ありがとうございます」

 すると彼ははじめて微笑んだ。何も言わなかったが、それが彼の答えだった。そうして彼は部屋を出ていった。



 私は静かな部屋に1人残された。



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