記憶
ミサキが手早くシャワーを済ませると、外で待っていたマフユとテントに戻り、携帯食料を食べて、明日のためにいつもより早く床に就いた。
月が空に昇り、降って、太陽がちらりと見えた始めたときにミサキは起きた。
テントのシートで遮られた光に目を細めながら寝袋のチャックを開け、隣で眠るマフユを起こさないように這い出ると、テントから出た。
外は夏日の朝のように涼しかった。
空には雲一つなく、光を遮られない太陽は遠慮なく夜の世界を自分色に染め上げていっていた。
そんな風景を眺めながらミサキは欠伸をすると日課の体操を始めた。屈伸から始まり深呼吸で終わる。全身の筋肉をほぐし終え、軽く汗をかいた彼は、相方が起きるまで廃れた町を見つめていた。
少ししてテントからマフユが出てきた。
中でしっかりと目を覚ましてきたのか寝ぼけているいる様子はない。
「おはようマフユ」
「ん、おはよー」
それぞれ挨拶を交わし、マフユが訓練前の準備運動を始めると、雑談がてら終わるのを待った。
「やっぱりミサキは強いね」
近接戦の訓練を終えてそのまま外で食事をしていた時にマフユはそう言った。二人はテントの外でお互い向かい合うようにして座っている。
マンションの屋上なだけあって景色が素晴らしいため、話の話題で出てくるならそこらへんだろうと考えていたミサキは、ん? と思わず訊き返した。
「強いよね、ミサキって」
何日目かもわからないくらい連続で食べている携帯食料を開封しながらマフユは先ほどと同じようなことを言った。
「うん? ああ、さっきの接近戦のことね」
ミサキは少し前までやっていたことを思い出した。
マフユがゾンビに襲われて以降、ミサキが毎日朝晩体術の訓練をマフユに仕込んでいる。
今日の朝も例外なく、ハンデとしてナイフを渡した状態で手合わせをした。負けず嫌いなマフユは、ナイフは要らないと、拒否したがミサキの、相手からナイフを奪ったというシチュエーションでしている、それと実物の重さに慣れていたほうがいい、という理由から断るのを断られた。
それでも結果はミサキの圧勝。
マフユが顔面にカウンターの肘鉄を受けたの後の投げ飛ばしで決着がついた。
「あれは何というか……勘だよ、勘」
「勘? 大雑把だね。そんなんで私は戦える気がしないよ」
「マフユも回数さえこなせば出来るようになるよ。それに、持ってると思うけどなあ、体だけが覚えてる『勘』ってやつを」
「……例えば?」
「狙撃をするときは何となくな感覚で撃ってる節がない? マフユってさ」
「そうだね、ここら辺って感じだね」
「そんな感じだよ、俺も」
ミサキはそう締めくくると手を合わせて食事を終わらせた。ごみを処理し、テントからショットガンやらバックやら今日使う道具を持ってくると点検を始めた。
「ところでさ、改めて作戦を聞いておきたいんだけど」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「懇切丁寧に教えてもらったけど一応ね。なにか不備があったら嫌だから」
「なるほど」
ミサキは納得した風にうなずくと、一度立ち上がり、バックパックから紙と鉛筆を持ってくるとミサキとマフユの間に紙を置いて解説を始めた。
「まずここが俺たちの場所。んで、ここがショッピングモールの駐車場。距離は大体五百メ―トル」
紙を正面から見たとして右側、つまりはミサキの方に長方形を書いて中にマンションと書き込み、左には六角形にショッピングモールと書く。その間に一本線を引いて真ん中に五百と書いた。
「作戦としては、ショッピングモール内の敵を爆弾の爆音でおびき寄せて迎撃、出てきた分を殲滅したらまた同じようにして中が空になるまで繰り返す。俺は囮になりつつ普通のゾンビを攻撃。マフユは特殊な敵を見つけ次第すぐに狙撃、もしくは俺が囲まれた時の援護をする」
六角形の中にミサキ、長方形にはマフユの簡単な絵を追加した。
「援護ってミサキを囲んでるゾンビを撃つだけでいいの?」
「一番突破しやすそうなところを撃ってもらえれば、あとは俺がどうにかするよ」
「わかった。……まさかとは思うけど、ミサキ朝から晩まで休みなしで走り回る気?」
「まさか。勘弁してくれ、死んじゃう」
「死んじゃうねえ」
「だから休憩を何回か挿むよ。フラッシュバンを投げるのが合図だから、サプレッサーをつけてから援護射撃をしてくれ、全力疾走で撒くから。それと、フラッシュバンが効かないのがいたりするからそれの処理も頼む」
「むぐむぐ、…………任せて。―――ご馳走様」
説明が終わるのと同時にマフユは最後の一口を食べ終わった。
それからは二人は黙々と道具の準備を始めた。銃の点検、投擲物の確認、弾薬の確認など。
やれるだけの準備を終えると、最後にミサキがマフユにリボルバーが借りたいとお願いしてきた。
マフユは悩むことなくもなく、
「いいよー」
と、父親の形見である大口径リボルバーをホルスターごとミサキに渡した。
「……いいの?」
「いいの? って、ミサキ、頼み事と言ってることが矛盾してるよ」
「いや、やけにあっさり貸しくれたなって。だってそれ親御さんの形見だろ? もう少し出し渋る思ったんだけど」
「そこまで私は女々しくはないよ。それに、使うのはミサキでしょ? なら、何の問題もないよ」
マフユは再びミサキにホルスターを差し出した。
「…………」
ミサキはマフユの信頼されているともとれる言葉に内心照れながらもそれを受け取った。
ベルトにホルスターを通し、提げると、使用感を試すために足を動かしたり跳ねたりリボルバーを実際に抜いたりした。
「あ、弾忘れてるよ」
マフユはそう言って十四発分の弾薬が入った箱をミサキのポーチに押し込んだ。
サンキュー、とミサキはされるがままに弾を詰め込まれると忘れ物がないかを確認して、屋上から出て行った。
歩くこと約十分、何事もなく駐車場につくことができた。
大型ショッピングモールの駐車場というだけあってかなり広い。小石のような石が混じった液体が敷かれて固まったアスファルトは、表面は綺麗に均され、ざっと見ても車を二百台止めても余裕そうな規模だった。一台分のスペースを区切る白線は年月の経過によりほとんど見えなくなってしまっている。
ミサキは一台も車もない駐車場を一直線に横切ると、ショッピングモールの入り口前で立ち止まった。
無残に叩き割られたガラス扉の奥には暗闇だけが見える。
ミサキは腰に巻いたヒップバッグから手榴弾を一つ取り出すと、振り返ってマフユに向かって手を振った。合図の代わりの行動だったが、マフユもそれがわかったのかスコープの反射光で返してきた。
「よし」
ミサキは独り言ちにそう言うと、手榴弾のピンを抜いて足元に置いた。
レバーから手を放し、走り出すと、起爆までの制限時間である五秒を頭の中でカウントした。
ほどなくして爆発した。
火薬の破裂した音は、ショッピングモールの中を駆け巡り、眠っていた死体を目覚めさせた。
あるものは食堂で、あるものは服屋で、あるものはゲームセンターで。
大小の場所を駆け抜けた音は動く死体の鼓膜に触れ、揺らし、入り口に誰かいるという情報を伝えた。聞いた誰もが立ち上がる。
その数、三百超。
無音だったショッピングモールが無意味な呻き声で埋め尽くされる。
徐々に聞こえてくるそれは、律儀に入り口から出てきた。
大人から子供まで老若男女構わず、腐っている者からただの死体のような者まで。
あふれ出るその様は地獄の門が開いたようだった。
ミサキはショットガンを抱えた状態で走っていた。
背に大量のゾンビを引き連れながら。
「はぁっ……はぁ……はぁっ……!」
ゾンビには個体それぞれの個性が存在する。足が速かったり力が強かったりと、性能の
上がり幅は生前の能力に依存する。元が走る系の陸上選手ならば走る速度が異常に速くなり、元が軍人ならばやはり戦闘能力の高い個体に変化する。
つまるところ、同じ性能の感染生物は存在しない、ということである。
この場合においては、ほとんどのゾンビが歩いているのに対して、四体のゾンビがそれぞれのスピードでミサキを追いかけまわしていた。
最も近い者で四メートル、ミサキの後ろを据わっていない首を振り回しながら追って来ている。
ミサキはショットガンの空薬莢をはじき出すと、受け身をとるようにして前かがみに――――飛んだ。
コンクリートの摩擦は、ミサキにやすりで削ったような痛みを右肩に与えたが、ミサキは何も感じていないかのような素振りで後ろ向きに姿勢を変え、仰向けの状態でショットガンを構えた。
そして撃った。
構えてからほとんど間を開けずに撃った散弾は見事に、追いかけてきていたゾンビの上半身に穴をあけ、頭を打ち付けながらミサキの足元に勢いよく倒れこんだ。
見る人によっては目を背ける光景を目の当たりにしながら、ミサキはショットガンに弾を詰みこみ始める。
四発目の弾を入れ込んだところで靴の底が擦れる音が微かに聞こえた。
ミサキは音との距離を瞬間的に把握し、弾を込めていた左手で拳銃を引き抜く。
足音を頼りにまずは一発。
片手で撃った弾は、正面から走って来ていたゾンビの脇を通った。
二発目は足。
四、五歩ほどの距離で倒れ、後ろから走ってきていたゾンビは倒れたゾンビに足を引っかけてこけた。
最後尾のゾンビは、飛んでいた。
生前は高跳び選手だったのだろうか、少なくとも五メートルは跳んでいる。
背中をそるようにして飛んだそれは、転がった獲物が反撃できない角度で、速度で、落ちていく。
普通の人間がこの状況を見たのなら諦めただろう。下からは這いずったゾンビ、上からはゾンビが降ってきている。
このままでは上からの体当たりを受けたのちに、押さえつけられ、這いずったゾンビが加わって『食事』が始まってしまう
だがミサキは気にもしない様子で、匍匐前進をしている足元のゾンビにショットガンを向けている。
ずだん、ずどん、という拳銃にはない発砲音を響かせながら、ショットシェルから飛び出した無数の弾は二つの頭を砕いた。
と、それと同時にミサキは仰向けの状態から右に左半身だけを起こした。
これで体当たり(ボディプレス)の直撃は、このまま行けば避けることは出来るだろうが、落下中のゾンビは方向を微調整をしようとしている。
――だが、ゾンビはそれをすることが出来なかった。
受け身をすることも出来ずに頭から落ちた死体には大きな外傷はなかった。
ただ一か所を除けば。
ゾンビの後頭部と前頭部の額。
この二か所の間には、先ほどはなかった弾丸の通った跡があった。
拳銃の弾丸にはない貫通性、スラグ弾ではないショットガンには出来ない一撃性。
まさに一撃必殺と呼べるこの芸当をやってのけたのは、屋上でバックパックを土台にバイポットを広げている、傷だらけの狙撃手だった。
無風、晴れ、距離は五百。銃には消音器具付き。
この結果はコンディションが良かったというだけで済まされる事ではない。
まず消音器具が付くことで弾速が遅くなる、なのでいつもと撃っている感覚が違ってくる。しかも消音器具を付けた状態の弾速を把握したとしても、今回狙って撃ったものは直径三十センチもない人の頭、落ちる距離もわずか五メートルという長距離の位置にいる人間にとってはほんの一瞬の間。
競技でもゲームでも、これを行き当たりばったりで出来る人間は早々にはいないだろう。
だが、マフユはやってのけた。
鼻歌を歌いながら、実に楽しそうな顔をしながら。
マフユがボルトを後ろに下げ、新しいマガジンを入れ替えている間、ミサキは拳銃をホルスターにしまい、上限までショットガンの弾を入れなおして立ち上がった。
いつもの彼なら、ここでマフユに「ナイスショットオオオオオオッ!」という旨のジェスチャーをしていた所だろうが、今の彼は振り向くことなく、陽炎の向こうに蠢く異物に目を向けていた。
睨むわけでもなく、獰猛な顔をするわけでもなく。
ただただ、無機質な、興味のなさそうな、濁った様な、死者よりも死んだ眼で、見ていた。
そして歩き始める。
陽炎に向かって、ゾンビの群れに向かって。
彼はありえないことに、一人でゾンビの群れに正面から突っ込んで行った。
「ミサキ、今から広い場所での近接戦をします」
「……? なんで? お姉ちゃん。広い場所で戦うんだよね?」
「そうですね」
「ならなんで近づいて戦うの? 広い場所なら銃を使えばいいのに」
「ええ、普通ならそうします」
「でしょ?」
「それに、あなたなら危険な状況になる前にうまく立ち回るでしょう」
「お姉ちゃんがそう教えてくれたからね」
「ええ、教えましたね、一か月間、みっちり。あの時私はあなたにいくつかの約束事を言いましたね? 思い出してみてください」
「ええと……、確か四つくらいだったような……」
「あっていますよ」
「……そうだ、あれだ、『観察はしっかりと』『手入れは怠らない』『退くことを覚える』――」
「――『他人を信じない』」
「そうです。その四つです」
「……お姉ちゃん。他の四つは意味が分かるけど、最後の一つだけがよく分かんない。だって、知らない人だよ? もしかしたら良い人かもしれない」
「いいえミサキ。そんな人はいませんよ」
「……」
「いいですかミサキ。これだけは絶対です。善良な人間なんて、世界中を探したとしてもいません。絶対に、です」
「……お姉ちゃんも?」
「ええ、私もです」
「……それでも、僕は……」
「なんです?」
「……ううん、なんにも」
「そうですか。……話がずれてしまいましたね。私が教えた通り、この四つは実行するかしないかで結果がかなり変わってきます。出来ることができれば、簡単に追い詰められることは無いでしょう」
「じゃあ、なんで……?」
「もしもに備えておくためですよ」
「もしも?」
「経験がありませんか? 拳銃で的を撃とうとしたら弾詰まり(ジャム)が起こった、なんてこと」
「あるね」
「そうでしょう? 戦闘ではそれは命取りになります。遠距離なら、頼りにしていた銃が壊れてしまったとしても退くなり直すなりすればいいですが、近距離ではそうもいけません。ましてや、恐れを知らないゾンビが相手だっとしたら、死を覚悟するしかないでしょう。人間なら、弾が切れたとしても気づかれない限りは、撃たれるかもという恐怖から下手に突っ込んでくることは無いはずなんですがね」
「なるほど」
「理解していただけましたか。それでは今からあなたにはゾンビの群れに突っ込んでもらおうと思います。作戦概要と装備条件は――――
いつだって、邪魔をしてきたのは姉との記憶だった。
なにか善をなそうとした時
人を信じて頼ろうとした時
旅先で友人が出来そうな時
命を奪おうとした時
相手を裏切る時
元は人だった者をただの肉にした時
前者なら否定、後者ならば賞賛を。
だから、変わることが出来ない。
変わろうとするたびに、それに合わせるように形を変えて潰しにかかってくる。
……実際、全て阻止されている。
軽い警告から始まり、大人しく止めるようだったら軽い恐怖だけで済む。もし抵抗をするようなら、それなりの『罰』が待っている。
これはもはや呪いだった。
もしくは戒めか。
あの時、姉を見捨てた時から、ミサキは過去の時間から抜け出せないでいる。血生臭い、常に死と隣り合わせの記憶から。
抜け出そうとするたびに、逆に沈んでいく。
そんな状態が一年経ち、諦めかけていた時だった。
彼女に会った。
彼女は笑顔の多い人だった。女の子なのに狙撃銃が大好きで、世間を知らない。
だから正直最初は戸惑った。
ここまで純粋な人間は見たことがなかったし、対応の仕方を知らなかったから。
例えるなら、巨大なダイヤモンドを渡されたような感じだった。
ある程度価値があるということは分かる。けれども、どの程度のものなのかは検討がつかない。しっかりと存在しているのに、あやふやで分からない。
だが、ただ一つだけ分かる。
絶対に『堕として』はいけないということ。堕としてしまえば、穢れ、壊れしまう。
それだけは絶対に避けなければならい。
そして何より、自分が後悔をするだろう。
一生ものの苦悩を背負って生きていくことに、なるだろう。
だからミサキは経験がないなりに大切にした。少しだけだが、知識も教えた。
だから、ミサキは意識を取り戻したときに、体が固まった。
ミサキは血だまりの中、なぜかマフユの上に馬乗りになっていた。
右手にはマフユから借りたリボルバーが握られ、人差し指のかかったトリガーはいつもの拳銃なら引き金を引ききっている程度には力がかかっている。銃口は、マフユの額へ。
一言で状況を表すと、ミサキはマフユを殺そうとしていた。
閲覧ありがとうございました。
(手羽先おいしい)




