輪切り
遅くなってすみませんでした
「これで大体、ばらせたかな」
降りしきる雨の音と一人の静かな寝息の音が聞こえる部屋のなか、電池式ランプの人工的な光を受けながらミサキは拳銃の部品を固い床の上に並べていた。
スライド、バレル、トリガー、グリップなど、どれも無くしてはならないものであり、それを一つ一つ吟味しては点検をしていく。
少し時間が経ち、全てのパーツを点検し終えると組み立てて、埃一つない拳銃を完成させた。
「.......」
手の中でしばらく弄び、感覚を慣らすと右足のホルスターにしまいこむ。そしておもむろにナイフを引き抜くと濡れたタオルで刃の部分とグリップをグイグイと拭き、鞘に入れるとそれだけでナイフの点検を終わらせた。
(マフユは大丈夫かな)
ゾンビ噛まれて骨が見える大怪我を負った相棒の元に四つん這いで近づいた。
(呼吸と脈、どちらも安定、ゾンビ化の傾向はなし、......さっき打った血清が効いてきてる)
小一時間前の事を思い出す。手首と腕の治療をし、あとは血清を打つだけというところで殴り飛ばされ、落ち着かせようと話しると、どこから持ってきたのか予告無しに手榴弾を投げつけられ、ギリギリ回避に成功したと安堵すれば目と鼻の先で罵倒されたり、と踏んだり蹴ったりだった。
(良かった、顔色も良くなってるし、ぐっすり眠ってる)
すやすやと、大怪我をしているとは思えない寝付きで眠っているマフユをミサキは小さくため息をつきながら見守っていた。もちろん、安心からのため息である。
軽い身体調査も終わり、これ以上ジロジロ見るのは失礼だ、と考えたミサキは立ち上がろうと目線を上げると、ふと、マフユのバックパックが目に入った。いや、もっというとバックパックに狭まっている長方形の布製ケースが目についた。
(ああ、そういえばマフユの武器まだ点検してないな、どうしよう)
道具は点検したほうが断然良いだろうが、道具をかなり大切に使っている人間なら他人からの施しは迷惑でしかないだろう。
ミサキは悩んだ。いざというときに故障したら元の子もないいやいやこんな状況だし些細なことでもストレスになるかもしれないだし、とだいぶ悩んだ。
考えに考えて行き着いた結果は、バレないように点検をすればいいという、こそ泥っぽい発案だった。
(大丈夫なはず......!)
こそこそとマフユのバックパックからケースを取りだし、一度抱え直すと音を発てないように振り向いてマフユから離れようとした。
が、最初の一歩を踏み出してからそこから先にいけない。踏み出した足とは逆の足が何かに阻まれて動かすことができない。
(あれ?あれぇー?うそ、えっ?冗談でしょ?)
ミサキの足を現在進行形で止めているもの、それを見た瞬間ミサキの心臓がいつもとは一.五倍跳ね上がった。
なぜなら
寝ているはずのマフユが痛めている右手でミサキの足を掴んでいたからである。
(......寝てるよな?)
ちょっと掴むどころの話ではない。もうガッチリと力を入れて、「置いてけ、それ」と耳にではなく足首に訴えかけて来ている。
おもわず本当に寝ているのか試したくなってしまったミサキは頬をつついてみる事にする。
一回二回三回ときて、四回目は軽く頬を叩いたが起きなかった。
(どうしたら離してくれるんだろう?)
気のせいか握る力が強くなってきてる気がするし、このままの格好でいるわけにはいかないだろう。
ミサキはマフユの意地らしさにある意味感心すると、離してもらうために『供物』を捧げることにする。
じりじりとマフユのそばに、にじりより腰をおとすと、
(持ってってすみませんでした!悪気はなかったんです!)
スナイパーライフルをゆっくりと、衝撃が加わらないように置いて握られていた足をひいた。
すると、さっきの握力がするりと抜けて、力無くマフユの腕が床についた。ピクリとも動かず動いてるのは相変わらず呼吸を繰り返す上半身だけ。
(なんとか離してもらえた.....はぁ)
足首を撫でながら本日二度目のため息をついて、「マフユの武器は触らずべし」と頭の中にメモをした。
そして、
(あれ?)
ランプの薄い光に照らされた、マフユの雪のように白い髪の何本かが暗闇のような黒になっていることに気付いた。ここ数日の付き合いだがマフユの髪は全体で白だった気がする。
(......?)
目を擦ってもう一度見てみる。が、マフユの髪はいつも通りの白に戻っていた。
何だったのかと首を捻り、考えたが「影のせいだ」と心の中で割りきると、その場から離れる。元の位置に戻り自分のバックパックから本を取り出すと、さらに強くなってきた雨音を背景に読み始めた。
どのくらい読んだだろうか。不意にミサキは本から顔をあげた。
方向は正面の扉。
一定のリズムを刻みながら、迷わない足どりでこちらへ近づいてきている。
暗闇の中たたずむ扉を睨みながらミサキは普通に話すような音量で足音に話しかけた。
「すみません。ここの部屋には『怪我人』がいます。『俺と怪我人』だけですけど、二階の部屋をどうぞ。一階の部屋はもう使えないですよ。死体置き場になってるので」
わざとミサキは一部強調して声を出した。理由は、扉の向こうにいる人間が物盗りなどの悪人かどうか判断するためのものだったが、全く意に介さずこちらに近づいてきている。
そして止まった。
だが、扉を開けるような雰囲気はない。雨が壁を叩く音だけ部屋に響き、ランプの光が一瞬だけ弱まった。
ミサキは目を伏せて、閉じ、右腰にさげたナイフに手をかける。意識を集中させ、突っ立ったままの人物が何か仕掛けてこないかを気配だけで探る。
お互い何もしない時間が続き、その間中も探知していたミサキだったが結局のところ何も収穫はなかった。
気配はあるくせに話しかけても襲ったりもしない。
(何がしたいんだ?)
意図を掴めないミサキは、この不気味な雰囲気を打破するために思考を巡らせた。
だが、
「ミサキ」
二度と聴けないと思っていた声が、鼓膜を震わせ、脳へ届き、染み込んだところで反射的に思考を捨て、伏せていた顔をあげた。
その声は死んだと思っていた人間の声だった。
その声は最も尊敬し、最も信頼し、最も畏怖した人間の声。
「姉.....さん.....?」
無意識に、ミサキは呼んでいた。
対してミサキの『姉』は
「あら、寂しいものね。姉さんなんて」
落ち着いた、しっとりとした声で懐かしむように
「昔みたいに姉ちゃんでいいのよ?私はそう呼ばれても全然構わない。姉ちゃん姉ちゃーん、ってね」
本当に寂しそうに
「懐かしいわ」
そう言った。
「......別に、呼び方なんて何でもいいでしょ。そんなことより、生きてたんだね。死んだのかと思った」
頭を垂れ、ミサキはあくまで辛辣に答える。
クスクスと笑う声がした。相手は少しも堪えていないらしい。ひとしきり笑い、
「随分なもの言いね?確かに危ないとは思ったけど、死んではいない。残念だったわね」
落ち着くと何でもないように返してきた。そして、「それより」と前置くと
「それは何?」
別人と思うほど低い、冷たい声を発した。
ミサキは一呼吸空気を吸って、吐くと、出来るだけ惚けた声で、「何が?」と返した。だが大体の検討はついている。
(俺の勘が当たっているのなら___)
「そこの寝てる子の事よ」
(マフユのことを問いただしてくるだろうな)
ミサキの勘は確証に変わった。
顔をあげないようにしながら、落ち着かせた声で話す。
「ああ、マフユのこと?この子は___」
「違う。そこじゃない」
ピシャリと、ミサキの姉は遮った。さも当然そうな口調で、いい放つ。
「なぜ、殺してないのかと訊いてるの」
「........」
「噛まれてるんでしょう?じゃあ今のうちに頭を撃つなりして処分しなさい」
「........っ」
「まさか、やらないとは言わないわよね?怪我人でウイルス持ちなんてただのお荷物でしかない。解ったなら、ほら、撃ちなさい」
「.......ウイルス感染のことなら血清を打った......それにこれは俺の旅だ、どんな行動をとろうと俺の勝手だ。だから」
ミサキは奥歯を噛みしめ、決意すると言った。
「放っておいてくれよ。俺は姉さんになんの未練もない。俺は俺の道を進んでいく。姉さんは昔みたいに一人で暮らせばいい、とにかくどこでもいいからどっかに行ってくれ」
本当は、扉を開けて会いたかった。顔を見て生きていたことを喜びたかった。だが、ここで部屋に入れてしまえミサキの有無も言わさずにマフユを殺してしまうだろう。ミサキが挑んだとしても軽くあしらわれて敗北する。
ならばどうするべきか。
彼は相手の心を傷つけて退いてもらうことを選んだ。
こちらから拒否すれば相手は諦めてくれるはず。
そんな期待を込めての言葉はずだったが返ってきたのは、嘲笑だった。
人をまるっきり馬鹿にしたような反応。
「未練がない、ねぇ」
「じゃあ、何で私の書いた本なんか持ってるのかしら?」
ミサキの影がほんの一瞬だけ揺れた。
「確か、内容は世界中を旅する物語だったはずだけど、そんなに面白かったかしら?」
「別に好きで読んでいるんじゃ__」
「なら他の本を読めばいいじゃない。その本も焼くなり破るなりして捨てればいい。私になんの未練も無いんでしょう?なんでそうしないのかしらねぇ」
「......それは」
口を開けて反論しようと模索するが肝心の言葉が見つからない。嫌な汗が頬を伝い、床に落ちた。
身を焦がすような時間が流れ、何も言い返せずいると突然、手のひらを叩く音が聞こえ、
「はい、時間切れ」
そんな言葉が聴こえてきた。
「時間切れって.....姉さん何言ってんだよ」
「そのまま意味よ。あなたはもたもたし過ぎた。よって、『輪切りの刑』に処します」
「意味がわからないな」
「でしょうね。だって、輪切りにされるのは貴方じゃなくて___その子なんだから」
瞬間、ミサキの視界の端で血しぶきが上がった。誰の血なのかは説明するまでもない。
だが、ミサキは現実を逃避するように、ぎこちなく首を動かしマフユのいる方向に目を向ける。
そこにあったのは綺麗に細かく輪切りにされた、
マフユだった。
閲覧していただき有難うございました。