治療
「マフユ。今から出来るだけの治療をするから、多少痛くても我慢して」
時刻は夕方。まだ手元が見える範囲の明るさの中、ミサキは二人分のバックパックをセーフティハウスに運ぶと治療のための準備をしていた。
ログハウスのような内装の壁にもたれかかっているマフユは小さく呼吸をしながら一部欠けている二の腕を力の入っていない右手で抑えていた。
(左の二の腕をかなり深くもってかれてる。右手は、ていうかこれの場合は手首か?リボルバーを片手で撃ったことによる捻挫......。不味いな)
ミサキの足下には、テーピングのための包帯や濡らしたタオル、血を止めるためのバンダナ、液体の入った注射器が置いてあった。
(とにかく止血、止血をしないと)
ミサキはマフユの手をどけるとあまり怪我口を見ないようにバンダナで怪我より少し上をぐっと縛り、傷が乾燥しないように傷口を濡れタオルでおさえる。
マフユがビクッと体を動かしたが構ってはいられない。
次は手首をテーピングしていく。伸ばした包帯に重量を感じながら、手首、掌にかけて手際よく巻いていく。
これで固定をできたうえ、手を使うぶんには不自由なく使えるようになった。
(よし。これでとりあえず出来るだけのことはした。あとはウイルス感染の方だけだ。最後に血清さえ打てれば.......)
ミサキは緑色の液体の入った注射器を取り出すとマフユの右腕にある血管を探した。
髪だけではなく肌も色白いマフユの腕を関節の位置で支えつつ、
(どこだ?どこにある?クソ、一回布で縛って血管を浮かせるべきか?)
ミサキが悩んでいると、マフユがポソリとなにかを呟いたような気がした。
「.....?」
聞き耳をたてて何と言ってるのかを聞き取ろうとする。
「___いで」
「えっ?」
「触らないで!」
ガンッとミサキの視界がいきなり流れた。車両に乗っているときの景色のようだ。
体が左に倒れる。
床に頭をぶつけた痛みが脳に突き刺さり、遅れてやってきた新たな刺激が『頭を殴られた』という事実を誇示していた。
(殴られた.....?マフユに?どうして.....?)
考えなくてもいくつかの理由は思いつく。だがどれも当てはまりすぎて明確な理由が分からない。
(急に怒りだした理由は分からないけど、早く血清をうたないと)
まだ少し残っている痛みを頭を振って追い出すと、あまり刺激しないようにゆっくりとマフユに近づいていった。
「マフユ、大丈夫だよ、落ち着いて」
マフユとの距離は約五メートル。僅かな距離を少しずつ少しずつ縮めていく。
「うるさいッ、近寄らないで!」
マフユは相変わらずうつむいたままヒステリックに叫んだ。表情は見えない。
「わかった。マフユの気が済むまで近づかないし、話しかけたりもしない。だから、せめて血清を打たせてくれないかな」
残り約四メートル。
「マフユもゾンビになりたくないでしょ?....もしかして嫌がる理由は注射器が怖いからだったりして。あはは、やだなぁマフユ、昔ならともかく今はそこまで痛くないよ」
出来るだけ落ち着いた声で話しかける。
残り三メートル。走れば直ぐ、歩けば五秒とかからない距離になったところで、マフユがミサキに何かを投げつけた。
「わっと」
ミサキの体に当たって落ちてきたそれを受け止めて何かを確認する。
そしてミサキの顔が真っ青になった。
すぐさまマフユの手元を注視し、鈍く銀色に光るピンを見つけると外に出るための扉に走り出した。
マフユがミサキに投げつけたのは手榴弾と呼ばれる爆発物だった。
ミサキは扉を蹴破り、蹴った足をそのまま地面に踏み出すと
「おおおあぁぁぁッ!」
手榴弾を雄叫びと共に曇り気味の空に投げ飛ばした。
手から離れた約一.五秒後、ミサキを爆撃するために投げられた手榴弾は空中で爆発し、どこまでも広る針葉樹林の空間に爆音と閃光をもたらした。
「あ、あっぶねぇ.....」
爆風に煽りを受けて揺れている木の葉を見ながらミサキはフラググレードではなかったことに安堵していた。もしそうだったのならば飛んできたのは風圧ではなく金属片で、今ごろミサキはズタズタに切り裂かれて確実に傷の一つや二つついていただろう。
(抵抗されるとは思っていたけど、まさか手榴弾をなげるだなんて)
予想外だ、と思っていたミサキの背後から床を軋ませて近づいてくる足音が聴こえてきた。
ただ、足音のリズムは不確かで、大した距離の差はないはずなのに一向に間隔が縮まる気がしない。
ミサキの近くでこの条件が満たせるのはあの少女しかいない。
「......マフユ!」
振り返ると案の定、包帯を巻いた右手で削れた左腕を抑える真っ白な少女がふらふらと、歩いていた。
ミサキは早足でマフユのところに行き、細い華奢な肩を掴む。
「マフユ、自分の負った怪我の大きさは判るでしょ?こんな所でこんな事に体力を使ったらダメだよ」
ミサキが話しかけてもマフユは顔をあげようとはしない。これ以上体を動かすことは命に関わると予測したミサキは、内心焦りながら、表情にそれを出すことなく話しかけた。
「マフユ、明日にはここを出て、出来るだけ速く国に着けるようにする。あと二日三日くらいの辛抱だから。すぐには傷口は腐ることもないし、どこの国も医療は発達してる。だから心配しないで、今はとにかく休んでいてくれ。頼む!」
ほとんど懇願するように、自分でも驚くぐらいにマフユを説得できるように訴えかけた。
「.......」
それに対してのマフユの返答は___
ミサキの首を両手で絞めるという実に物理的なものだった
「マフユ......ッ!」
だが、その手には力が入っていない。格好だけが首を絞めているようにみえる。
「.....そんな勝手なこと」
さっきとはうって変わって静かなマフユの声が、この異様な風景を支配する。
マフユの頭がじわじわと持ち上がり、ミサキの目には鋭く睨む少女が映り出された。
「言わないでよ。あなたは何?私なの?違うでしょ?私の今の気持ちが判らないだろうし、わかってほしくもない」
その一つ一つの言葉を突き放すように言いながら、睨む目つきは徐々に涙目になってくる。
体がぐらぐらと揺れ、崩壊しそうな体のバランスをミサキの身体で支えながら、鼻と鼻がくっつくくらいに近さで、紡ぐように声を発する。
「私だって......こんな思いはしたくないないのに......思いたくはないのに......なんで.....な、ん......で.......」
そしてついに両手から力が抜けて、首からほどけ落ちると、マフユは無抵抗に倒れた。
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