血痕
結局釣れた匹数は二匹だった。一匹は背中がとげとげとした魚でもう一匹はマフユの望んでいたニジマスだった。
日が暮れ始め、釣り場から撤収するとミサキの提案で湖の砂浜でテントを張ることになった。
焼き魚を食べつつ色んな話をしてテントで就寝し、太陽の出始める頃には起きると、旅支度を終わらせてキャンプ場から出ようとしていた。
「マフユ、キャンプ場を見下ろせる崖に先に行ってて」
天気は晴天。夕日に見間違えるほどに輝いている空には雲一つなく大地を暖め、空気は凛と澄みきっていた。
「?、どうして?」
背中にはスナイパーライフルの入った布製のケースを無理矢理横からつっこんだバックパックを背負い、右腰にはリボルバー逆側にはスナイパーライフルのマガジンと弾丸の入ったポーチをさげたマフユが聞き返した。
「やらないといけないことがあるんだよ」
「.....?.....わかった。じゃあ先に行っとくね」
パートナーが何をやりたいのかはいまいち分からなかったが、とりあえず言われた通りにマフユはキャンプ場を見下ろせる崖に行く事にした。
(外の世界かぁ....)
キャンプ場の出口を通りながらながら考え事をし始める。
知らない世界に飛び込んで行くのには楽しみな気持ち半分、やはり不安だったり寂しさもあったりする。もしかしたら三日後、いや、明日には死んでしまってるかも知れない。もしかしたら明日を生きたくないと思うことがあるかもしれない。
だが、
(わたしは止まらない。歩み続ける。何があっても)
マフユは急になった坂道を踏みつけると目的地に向かった。
落下防止の柵に手をつくと、緩やかな風を感じながらマフユは景色を見下ろした。
小さな一本道を辿っていけば平屋の密集した住宅地がありさらに進めば道に沿って大きな湖がある。そして最後には人型の形をした的のある射撃場が道の終着点になっていた。
「やっぱり、綺麗だなぁ」
目を細めながらマフユは呟く。
野球場の面積を三つ合わせても足りないぐらい大きな湖は光があることにより巨大な鏡となり、木や空を映し、日光を乱反射させていた。
「___朝だとこんな景色になるんだね」
おそらくこれから見ることがないであろう風景に浸っていると、後ろの方から感嘆と驚きの混じったミサキの声が聴こえてきた。
「あ、ミサキ」
景色から一度視線を外し、振り向くと
「.....どうしたの、その格好」
土で汚れたミサキの格好を見て悪い意味で目を細めた。
実はこの男、昨日の朝も似たような格好でマフユを驚かせたのだが、さすがに二回目となると驚きを通り越してなぜそんな格好になったのか?という疑問の方が強くなってしまう。
(でもまた、はぐらかされるかも)
マフユはそう思いながら答えを待ったが
「この格好?....ああ、これはほら、あそこ」
意外とすんなり教えてもらえた。ミサキはこのキャンプ場の住民29人全員が眠っているであろう土の山を指差している。
「.....?」
そこには約2メートルの木の板が『コ』の字の形でささり、その間には何か丸い鉄のようなものが紐で吊るされていた。
「......??」
なにあれ?という思考を解決すべくマフユはバックパックからサンプレッサー付きのスナイパーライフルを取り出すとセーフティがかかってるのを確認してスコープを覗いた。
一瞬ぼやけた視界がすぐに整い、板と板の間に挟まれた物体を映し出す。そこにあったものは、フライパンだった。
「......なんでフライパン?」
思いついた言葉をそのまま口に出すと、景色を見ながらミサキが答えた。
「弔鐘の代わり。キャンプ場のどこを探しても鐘が見つからなかったから」
「なるほど。ていうか弔鐘ってなに?」
「読んで字のごとく弔いの鐘で弔鐘。あれがあれば、他の漂流者が来たときにここで人が住んでたんだっていう証明になるでしょ?だから造ったんだけど、鐘じゃなくてフライパンだからなぁ。ちゃんと気付いてもらえるかなー」
「大丈夫だよ」
マフユはそう言うと、スナイパーライフルのセーフティーを外した。
「.....え?」
ミサキはマフユがスナイパーライフルのセーフティーを外すのを見て明らかに戸惑っている。
「あの、マフユさん?なぜセーフティーを....?」
「なにって、あのフライパンを撃つんだよ」
いたって普通な感じでマフユは答えながら、コッキング(レバーをあげて、手前に引っ張って、押して元の場所にレバーを倒す)をする。
「えっ、いやいやいや、さすがにあれは無理だと思うよ?高低差もあるし直線距離だけでいったら一.五キロはある。おまけに風も強くなってき___」
「出来るよ」
バイポッド(三脚のようなもの)も立てずにスナイパーライフルを構える。
人差し指に引き金の感覚を感じながら、スコープを覗いている方の目だけを開けておく。片目を『わざと』閉じて。最後に一呼吸、空気を吸い込むと息を止める。
揺れる標準が一瞬だけ固定され狙うべき半径十二センチの的に定まると、引き金を、引き絞った。
ガンッという激しい音ではなく、炭酸飲料を開けた時のような間抜けな音がマフユとミサキだけに聴こえた。飛んでいく弾丸をみながら、
「だってここで生まれて、ここで育って、ここで撃ち続けてきたんだから」
当たらないわけないよ、とマフユは確信を込めて言い切った。
その瞬間、
カアアアアアァァァァァンンンン
と、鉄と鉄のぶつかる音が空気の波となって、山に、射撃場に、湖に、思い出の家に、響き渡った。
「....えっ?」
驚き過ぎて声の出なかったミサキを横目にスナイパーライフルを仕舞うと、くるっと振り向き、
「それじゃ、行ってきます!」
笑顔で言うと、歩き始めた。
マフユ モミジ15歳の早すぎる旅立ちだった。
時刻は夕方、朝まで快晴だったはずの空にはどんよりとした雲が広がり、周りはすでに薄暗くなっていた。
木々に囲まれたアスファルトの道をミサキは浮かれない顔で、マフユは少し疲れたような顔で歩いていた。
(朝の事だったけど、すごかったなぁマフユのスナイピング。なにをどうすればあんなことが出来るようになるんだろ?)
ミサキはそんな事を考えていたが、一.五キロ先のフライパンに一発で命中させた当の本人は
「あーこんなに動いたの久しぶりだー。.....流石に疲れた.....」
両手をぐたっとしながら歩いていた。ここ一年ずっと歩き続けてきたミサキさえも少し体がだるくなり、怠惰な精神がもうやめようぜ?な?と訴えかけてきていた。
(今日は道の端で野営かなー)
ミサキは延々と続く木の行列をぼんやりと、ただし歩きながら眺めていると一件のログハウスが見えてきた。その建物は二百七十度、つまり道側の方向以外は木々に囲まれ、薄暗いせいか少し不気味に見えた。さながら「わけあり」のような建物だった。
「マフユ。今日はあそこに泊まろうか」
「あそこ?あのお化け屋敷みたいな所に?」
「建てた人が聞いたら怒るぞ?そんな事言ったら。それはともかくあの建物の説明をするよ?」
「はーい。それじゃあお願いします」
「はい。あのボロい建物、ー応名前がちゃんとあってセーフティハウスって言うんだ。俺ら漂流者にとっては結構重要で、無料で休憩できたり要らない道具の整理や交換が出来たりするよ」
「すごい便利だね」
「でも当然デメリット、ていうか欠点はあるよ」
「?、どんな?」
「例えば、泊まるための部屋」
「うんうん。.....もしかして入った瞬間撃たれるとか?」
マフユは茶化した感じで言ったがミサキはげんなりした顔になると
「そんな事もあったね」
「あーやっぱりー!....へ?」
「大分昔の事なんだけど。俺の知ってる女の人で『あなたのためなんだから』って優雅に笑いながら言って、ドアを開けた瞬間ショットガンで撃ってくる。想像できる?ドカンって。流石にゴム弾だったけど」
話がずれたと思ったミサキはどこまで話したか思い出すと説明を再開した。
「泊まる部屋は一階二階に分けて二つずつあって家具はなし。そもそもセーフティハウス自体に掃除用具と要らないものを入れるためのタンスが四つだけしかない」
「.....はっ!さっきの話が衝撃的すぎてなんかぼーっとしてた」
「えぇ....どこから聴いてなかったの?」
「あ、大丈夫大丈夫。話は聴いてたから。たしか家具は掃除用具とかタンスとかしかないんでしょ?」
ちゃんと覚えてるよー、と胸を張っているマフユを見てミサキは苦笑いをした。セーフティハウスとの距離は残り三百メートル弱。
「もう少しで着きそうだけどもう一つ捕捉」
「捕捉?」
「セーフティハウスの部屋にはセキュリティっていうものは存在しない。ドアノブを捻れば全てのドアが鍵無しで開けることが出来る。つまりは誰でも中に入ってこれる状況になるわけだけど、漂流者達の暗黙の了解で、殺されても文句は言えないっていうのがある」
「.....つまり?」
「自分の身は自分で守れって事だね。ここは『外』である以上それぐらいはしないといけない」
「.....つまり油断するなってこと?」
「まあ大体そんな感じかな」
残り五メートルぐらいで話は終わり、すぐに扉の前に着いた。
だが、
「.......っ!」
「なに、これ?」
二人ともドアを開けようとしない。
なぜなら
その扉には血と思われる赤い手形と、水風船を壁に投げた後のような血痕が大きく大きく新しく。あったからだった。
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