対話の三日目(3)
「ところで、物は相談なんだが。お前らまた明日も来る気はねえか?」
「明日も?」
俺が聞き返すと、町方はこれまでにないほど真剣な表情を見せた。
「そうだ。また明日ここに来れるならちょっと大きな戦いをしようと思うんだが、どうだ……?」
「大きな戦い?この状況で?」
「いや、この状況だからだ。お前らがここに来た今だからこそやろうと思ったんだ」
町方がここまで言うのだ。よほど大きな戦いなのだろう。
ここで乗るのか乗らないのかで、この先をどうするのか変わるかもしれない。少なくとも安易に乗るのが危険なのは変わりない。
悩む俺に町方は不敵に笑った。
「まあ、決めるのは話を聞いてからでも遅くはねえだろ。戻ろうぜ」
町方はそういって俺達に背を向けた。
…0…0…0…0…0…
「はあ!?倉庫の奪還作戦?」
「おう。実はな、このホームセンターの裏に大きな倉庫があんだ。在庫管理用のやつらしいんだが、あっちにも何人か人がいたんだ。仲間になったらどうかって言ったんだが、あっちは仲間内だけでつるんでたみたいでな。断られたんだよ」
ここまではいいか?と聞く町方に頷き、先を促す。
「んでだ。昨日の夜、やたらでけえ悲鳴が聞こえてきてだ、静かになったのは明け方。散々騒いでやがったからな。なんかの拍子にゾンビが流れ込んだんだろうな。
今朝見てみたらあそこはゾンビの巣窟になってやがった」
「なるほどな。そこを奪還しようって腹か」
「ああ。あそこにはここ以上に大量の物資があるらしい。ここの店員が言ってた話だから間違いねえ。バカ学生どもがはしゃいだにしてもそんなに減ってるとも思えねえし、奪還さえできりゃあここの備蓄は何倍にもなんだろ」
……確かにそれだけの物資があるなら、いい話だ。だが同時にそんな大量のゾンビがいるならかなり難しい話でもある。
「問題は、あれだけの数をどうやって相手にするかだ。ここにある武器だけじゃあ、あの人数は相手にはできない」
「そこを考えて用意するのが俺らの役目ってことか……」
まあ、実の事を言えば数十体程度ならなんとかできるとは思う。もちろんしっかりと準備をしたうえで、だが。
まず必要なのは面の殺傷力。ある程度数を削れたらあとは俺達で各個殲滅すればいい。だから使うならアレだ。
「まあ、大切なところだから最初にはっきりさせとこう。報酬は?」
「お、乗り気か?報酬はそうだな……、物資の三分の一でどうだ?」
「三分の一とは弾んできたな。……皆、どうする?」
皆は様々といった風情だ。永道はなるべく危険はない方がいいと訴え、鷹ちゃんは俺に任せると言った。のりさんは俺の考えを聞いて勝算があると思ったら賛成する。姫は端的にやりましょ、とだけ答えた。
俺としては準備さえできるなら問題ないと思う。偵察を行い、準備を整えればやってやれないことは無いだろう。
「今日、この後準備を完ぺきに整えられたなら、明日また来る。明日がだめなら次はもうないと思ってくれ」
「まだ電話は通じてる。連絡すればいいじゃねえか?」
「もしかしたら明日には死んでるかもしれない。そうだろ?」
余計な期待は残すべきじゃない。それだけ言い残し、俺はソファから立ち上がった。
「今日は偵察を終えたらそのまま帰る。んじゃ、また明日」
…0…0…0…0…0…
明日のためには今日を生き残らなければならない。さらにその先を生き残るにはほんのわずかな摩耗すら許してはならない。
昨日のごとく自分の精神はもちろん、他人との関係も。もし俺たちが明日の作戦を止めることを決めた時、あいつらとの関係もなるべくうまく収まるようにしなければならない。
だから俺はああいった。簡単な話、町方の話にあった倉庫の物資よりも多くの物資が手に入る算段さえ手に入れてしまえばあそこに戻る必要はない。
はてさて、確かに倉庫は一本道路を挟んですぐのところにあった。ドアは開けっぱなしで、ゾンビのうめき声とともにJPOPが漏れ聞こえてきている。
ああ、ここにいたのはよほどの馬鹿だったに違いない。あの状況下で逃げ切ったはいいものの、ゾンビが何に反応するのか調べもしなかったのだろう。その結果がこれだ。
「このままだともう何体か集まってきてもおかしくはないな。扉を閉めるか何体か間引いた方がいいか」
「どうするつもりだ?」
どうするってこうするのだ。皆に戦闘準備を整えるように言い、そのひもを引き抜いた。
PiPiPiPiPiPiPiPiPiPi!!!!
高らかに音を響かせるそれは、児童の強い味方。防犯ブザーである。
すぐに嵌めなおしたものの、それに反応したゾンビはおおい。出てきたそれらに向かってのりさんと鷹ちゃんが飛び出していく。五体のゾンビは二人に押し止められる。
その隙に俺は足音を消しながら扉に向かって走る。
開け放されていたドアをしっかりと締めると、バンバンと中から扉を叩く音が聞こえて来る。その音で出てきたゾンビも俺に気付いた。だが、もう遅い。
その時にはもう、俺はそれを振りかぶっていた。
顔を上げて走りこんで来るゾンビに、それを振り下ろすのは容易いことだった。
全力で振り下ろしたそれ、柄まで金属でできたハンマーは俺の腕に確かに頭蓋を陥没させた手応えを残す。即死したものの勢いのまま倒れ込んで来るゾンビを蹴り飛ばし、もう一体のゾンビにはマチェットをくれてやる。
利き手でない左手で振るったそれにはさほどの威力はない。それでも伸ばしていた腕を払ってバランスを崩すことくらいはできる。
バランスを崩した結果、三半規管がまともに動いていないゾンビは盛大にずっこける。
「くたばれ!」
横倒しになったそいつの頭を思いっきり蹴り抜く。トドメをしっかりさす必要はない。他のやつを倒す間の邪魔にならなければいい。
そう思って横を見るが、すでに鷹ちゃんとのりさんが他のゾンビを仕留め終えるところだった。
肩をすくめ、倒れたままのゾンビにハンマーでトドメを刺した。目につく敵は倒し終え、人心地ついた俺はゆっくりと息を吐いた。
そう、そのゾンビは気の緩みを見逃しはしなかった。
それに気がついたのは、何かが足に当たったのを感じたのと同時だった。
そのゾンビは、僅か四、五歳にも満たないであろう幼児の姿をしていた。それが、俺の足に張り付き、今にも噛み付かんと大口を開けている。
考えるよりも先に体が動いた。噛みつきよりも早く、倉庫の壁の角に向けて足を振り抜く。
ゾンビは外れたものの、凄まじい痛み。視界が潤み、立っていられず尻餅をついた。だが、そんなことに構ってなんかいられない。
ーーー殺さなくちゃ
震える手で取り落としたハンマーを掴み、地面に転がる子供のゾンビに向けて振り下ろす。何度も、何度も……。
無我夢中だった。
何も考えずに無心でハンマーを振り下ろしていた。頭をすり潰し、四肢を砕く。マチェットでズタズタに引き裂き、見えてきた骨をさらに砕く。
正気に返ったのは、肩に手が置かれた時だった。
荒い息を吐きながらその手を視線がたどる。
「……永道」
「部長、それ以上は必要ないよ。その子に罪はないんだ」
「殺さなきゃ殺される!」
「もう、とっくに死んでるよ」
永道は首を振ってゾンビを指差す。
そこには、血袋となった肉の塊が散らばっていた。
もう、動くことはない。
それを認識すると、少しずつ荒い息が収まっていく。それとともに足の痛みが思い出したかのようにぶり返してくる。
「っ!」
「ちょっと触るわよ……」
姫は俺の右足のプロテクターを外し、裾を捲り上げる。思い切り角を蹴りつけたそこは青痣になって腫れていた。
姫は慎重にそこへ触れる。少し押したり、なぞったり。熱を持った場所に姫の冷たい指は気持ちよかった。
「大丈夫、折れてはないわ。でもヒビまでは分からないから、安静にしておきなさい。戦闘も荷運びもダメよ」
「……すまん」
「謝らなくていいわ。アレは動転しても仕方ないし、誰も責めないわよ」
姫はそれだけ言うと、懐から湿布と包帯を取り出した。もともと姫の家にあったもので、緊急用に持ち歩くように指示しておいたものだ。
「アンタは前に出すぎなのよ。盾もないし、なにか格闘術習ってた訳でもないのに……」
ぶつくさと言いながら、姫は手早く処置を進めていく。不満たらたらといった風情だが、その目元に涙が浮かんでいるのに気がついた。
「前に出すぎ、か。そんなつもりはなかったんだけどな……」
「あれで自覚ないならアンタ、大分いかれてるわ。少し落ち着きなさい」
「落ち着いてられないだろ?こんな状況で」
こんな状況だから、よ。
姫はそれだけ言って応急処置を終える。そのあと俺の背中を一度叩き、周囲の警戒にまわった。去り際に残した言葉だけが、俺の中に強く残った。
…0…0…0…0…0…
結局そのあとは俺は車の中で過ごし、他の皆が仕事をしてくれた。
他に開いてる扉はないか、ゾンビがうろついていないかを確認し、物資を車に詰め込む。男手一つが無くなるのは痛いだろうに文句ひとつ言わずやってくれた。
皆に感謝をするしかない。同時に自分の不甲斐なさが歯がゆくて仕方なかった。
俺は間違っていたのだろうか?間違えていたならどこから?
言われてみれば確かに俺は前に出まくっていたと思う。でも、それは皆を指揮する上で必要なことだった。やらなくてはならないことを自分の行動で示して、皆をついて来させる。
こう言った緊急時では有言実行の姿勢が何よりも大切だと今でも思う。言葉に信頼性を持たせるためには必要なことだ。俺の理想とする上司像でもある。
だが、現状はどうだ?それを実行しようとするあまりに失敗し、皆に迷惑をかけている。
もしもっと皆に任せていたら?
もっと皆を信頼してもよかったのかもしれない。皆、俺の指示に誰一人として文句を言わなかった。自分の意見を言うことはあっても、俺の最終的な判断に異議を立てることはない。
鷹ちゃんは小学校に入る前からの付き合いだし、姫とは高校以来の仲だ。大学からの仲間であるのりさんと永道だって、旧来の親友のように仲がいいと言う自負だってある。
だが、それでもどうしたら良かったのか分からない。
そんな思考の堂々巡りはいつまでも続き、気付いた時には俺は泥のように眠っていた。