蠢動の一日目(2)
日文研の部室に辿り付き、扉をノックして鍵を開けてもらう。視界の端ではまた誰かが倒れたのが見えた。はやる鼓動を抑えつつ、ようやく中へと滑り込んだ。
「あー、死ぬかと思った」
「ああ、同感だ」
俺がぼやくと鷹ちゃんが同意した。俺は性癖が味方している状況だが、鷹ちゃんにとっては人殺しと同じだけの精神的なショックがあるのだろう。その顔はいつになく憔悴していた。
「鷹ちゃん、少し仮眠とっといたほうがいいぞ。次に動くまで少しかかるし、出番はもうちょい先だ」
鷹ちゃんはじっくりとした動きで頷き、備え付けのソファに座って目を瞑った。
「さて、他のみんなは作戦会議だ。さっき行ったのはもう終わっただろ?」
「ああ、こっちは終わったぜい。そっちは怪我ねえか?」
「二体戦ったけど、上から突き落として殺してきた。まともに触ってもないし、怪我はないよ」
のりさんは静かにそうか……とだけ呟いた。他のみんなも殺してきたと言う言葉に反応したのか黙ってしまっている。
だが、このままでいるわけにはいくまい。
「とりあえず、あいつらについてわかったことを報告するか。
一つ、あいつらは視覚より音に反応する。
二つ、頭を潰したり首を折れば死ぬ。
三つ、スピードも力もそれほどじゃあなかった。割と見た目通りだった」
この三つは大事だ。積極的に戦うような愚を犯すつもりはさらさらないが、それでも戦わなければならない状況は多いはず。
本当はあのゾンビが細菌型なのか寄生型なのか知りたいところだが、さすがにあの状況で死体を切り開くところまでは出来なかった。
「ふーん、まあセオリー通りね。部長はこの後どうするつもりなのよ?」
「まずはコンビニだな。ATMで金を下ろして、缶詰と、あとは塩と砂糖か。そいつらをかっぱらってくる」
人間、塩がなければ死んでしまう。砂糖は簡単なカロリー摂取に便利だ。どちらもコンビニにあり、まとまった量を確保できる。
「その後はどうするんだい?」
「装備を整えるためにまずは姫の部屋に行こう。大学のすぐ近くだし、あの辺りならそれほど人は多くない」
うんうんと永道は頷く。二人に言葉をもらって頭を回していた俺も、ようやく回転がスムーズになり始めた。
「そうだな、そこで一晩を過ごしてそっからミリタリーショップに行こう。出来るなら今日のうちに行きたいけど、無理はダメだしな」
後は陣形か。
「俺と鷹ちゃんで前に出る。永道は荷物背負って真ん中。後ろはのりさんと姫で警戒してくれ」
「あいさー」
「了解だあ。ま、姫はともかく俺に前衛は無理だわな」
出発は30分後。ここからコンビニまでは歩いて五分。キャンパスが広いのはこう言う時に面倒だ。その分、敵の発見も撃退もしやすいだろうが。
囲まれないように注意が要るな……。
…0…0…0…0…0…
目を覚ました鷹ちゃんに出発を告げる。顔色はそれほど良くないが、気力はありそうだ。
「いいか皆、戦闘はなるべく避ける方向で。あと荷物は持ちすぎんなよ。動きが鈍る」
「優先は缶詰、水、塩、砂糖、小麦粉で良かったのよね?」
「そうだ。生活用品はそのうちどっかの家に忍び込めば取れる様になる」
「うっわ、本格的にパニックものっぽくなってきたねぇ」
「まあ、状況が状況だからぁな。まじでこの時間帯でよかったぜ。お前らがいなかったらぁ、危険度倍増だったわな」
皆もやる気だ。全員がヘルメットをかぶり、バットを手にしている。姫だけが特殊警棒を持っているが、こいつに関しては心配するだけ無駄だ。
貧弱な装備だが、アニメやゲームみたいに銃を拾える状況なんかそうそう無いんだ。十分と考えなければならない。
さあ、ミッションスタートだ!
全員に目配せすると、そっと扉を開ける。鏡で影を確認し、外へと出た。すぐそこにある死体に誰かが息を飲んだのが分かるが、今は無視する他ない。
立ち竦むのを防ぐためにまずは俺から一歩を踏み出す。その動きで気を取り直したのか皆動き始めた。
俺と鷹ちゃんが前に出て真ん中に永道、しんがりにのりさんと姫。事前に決めておいた通りのフォーメーションだ。ちゃんと指示に従ってくれるあたり、ここにいるのが皆でよかったと思わせてくれる。
「ゾンビは見当たらないねぇ」
「悲鳴を上げて逃げてた奴がいたからな。そっちに引っ張られて行ったんだろ」
永道にそう返して先を急ぐ。日が暮れる前には姫の家に行きたい。夜は危険すぎる。
「……いた」
鷹ちゃんがそう囁く。皆の動きが止まった。
俺たちの視線の先には丁度木の陰から姿を見せたゾンビがいた。まだ、こっちは見つかっていない。これは無視するべきだな。
皆に向かって首を振り、コンビニの方を指し示す。
戦ってさらに敵を呼び寄せるよりは逃げ隠れして目的を達成する方が遥かにマシだ。というか比べるまでもない。
それからも何体かのゾンビを見つけたが、全てスルーしてコンビニへと向かう。ゾンビがこちらを向いた時など冷や汗をかく場面もあったが、なんとかコンビニまでやってくることができた。
「さて、問題はこっからだ……」
中に人が隠れていたり、ゾンビがうろついている可能性もある。遮蔽物があるというのは、有利な条件でもあるが同時に不利でもある。
特にコンビニは入り口にチャイムがあるため、中に入る時には注意が必要だ。バットを構えながらそっと自動ドアをくぐる。
ピンポンピンポーンと音がなり、全員が身構えるが何かがやってくることはなかった。
安堵のため息をつきながら中を見回す。中はそこら中に商品が転がり、棚は一つが盛大に倒れていた。
もしかしたら、その棚の下にゾンビが下敷きになっているかもしれない。そう考え、棚の下をそっと覗いたが誰もいなかった。
俺たちは固まりながら食べ物や水をカバンに詰めていく。缶詰を十数個、カップ麺をいくつか、水を4リッター、塩と砂糖を二キロずつ、日本酒の瓶を中身を捨てて二本。そしてちゃんと稼働していてくれたATMから引き出した1日の限界引き出し額の二百万。これが初めての戦利品の内容だ。
それとは別にジッポーの油を三つ拝借しておいた。今後の火種を考えれば、これは持っておいた方がいいだろう。百円ライターでもいいが、長く使えるジッポーの方が安定して使える。
それら全てを永道の背負うカバンに詰め込み、再び外に出た。
「長居は無用だ。行こうぜ」
気が緩んでいたのだろう。自動ドアが開いた瞬間、すぐそこにいた人影と目があった。
ピンポンピンポーンという音が再度鳴り、その人影が顔を上げた。充血した眼、そして食いちぎられたと思しき首筋の肉。ゾンビだ!
そう俺達が認識した瞬間、そいつが生きているならまずしないであろう奇妙な動きでもって走ってきた。
俺がすくんで動けなくなっていたその時、鷹ちゃんだけがまともに動いていた。
「ふっ!」
カウンター気味に走り込んできたゾンビの胸を蹴り飛ばし、仰向けになった奴の胸を踏みつけた。
重心をしっかり抑えているのか立てずに手をむちゃくちゃに振り回すゾンビの頭に向けて、思い切りパットを振り下ろす。
一回、二回。
それだけの殴打で頭蓋が陥没したのか動かなくなったゾンビ。その上に足を乗せて荒い息を吐く鷹ちゃん。
俺はなんと声をかけていいのか分からなかった。先ほどゾンビを二階から蹴り落とした時でさえ、鷹ちゃんは憔悴していた。それが、自分の手で殺したとなれば一体どれほどの……。
しかし、そんな俺をよそに鷹ちゃんは自分で息を整え、ぼそりと「……行こう」と告げた。
その声に震えはなかった。やっぱり、鷹ちゃんはいい男であった。
…0…0…0…0…0…
今向かっているのは姫の部屋だ。姫の住んでいるアパートは大学を出て数分のところにある学生用の借家で、あまり人通りの多くないところである。
とりあえずの拠点としては安全な部類だろう。市街地の人の多い場所よりは安全性が高い。女性が住むことも考えて壁が厚く、扉も鍵が二つとチェーンがあるのもポイントが高い。
宅飲みで良く使わせてもらうため、周囲の地理もよく知っている。女性一人だけなのは、姫には済まないと思うが今人を増やすわけにはいかない。
まずは自分たちの食い扶持を確保するのが優先だ。
正門に近づくにつれてゾンビの数はどんどん増えていった。俺と鷹ちゃんが前に出て何体か仕留め、後ろでは姫が思いっきり暴れていた。ぶっちゃけ俺と鷹ちゃんを合わせた数よりも仕留めている。
姫に言わせれば、大学入って剣術を学び始めたのが大きいらしい。剣道を習っていただけではこうはならないそうだ。
ともあれ、この辺りまでこれば生存者の姿は全く見当たらなかった。ここに来るまでに校舎の中から何度も悲鳴が響いてきていたのだが、ここではそれがない。
恐らくは、逃げてきた全員が……。
頭を振って鬱な考えを捨て、校門の向こうを見る。
ここから姫の部屋までは数百メートル。そこに辿り着くまであと何度の戦闘を繰り広げればいいのか検討もつかない。
皆も初めて人を殺した感覚に疲れ切っている。
「よし、このまま一気に進むぞ!」
ささやかながら叫ぶという地味な高等技術を使って先へ進む。側面から飛び出してきたゾンビを殴り倒せば、すかさずのりさんがとどめを刺した。その横では姫がゾンビの突撃をかいくぐり、膝の皿を思いっきり警棒で殴っていた。
湿った打撃音が聞こえ、思わず顔をしかめる。間違いなく折れていると察することができた。
地面を這いずるしかなくなったゾンビを放置して姫は他のゾンビに取り掛かっていく。
やがて校門を突っ切り、町へと出て仕舞えばそれほどゾンビの数はなかった。追って来る数体を撲殺し、眼前から迫る個体にカウンターを決めてやる。
進むスピードはそれほどではない。せいぜい早歩き程度だ。しかし、確実に目的地に近づいているという安心感だけが俺たちを突き動かしていた。
そしてーーー俺たちはそこへ辿り着いた。
目前に見えた姫の住むアパートの二階に敵影はない。あの歩き方だし、奴らは階段が苦手なのかもしれない。
近くまで来ても此方にゾンビが襲いかかって来ることはなく、心の底から安堵した。追って来ているゾンビは無し。この通りの奥に一体ゾンビが見えるが、とりあえずこっちまでは来ないだろう。
俺たちは階段を駆け上がり、姫が鍵を開けるのをまもる。かちゃりと音を立てたその扉に全員の視線が飛ぶ。
ミッションクリアの瞬間であった。