敷設の七日目(3)
さっきは危なかった。吹き出したせいであやうくお湯を飲むところだった。すでに変態ではあるが、さらに高度な変態になってしまったら目も当てられない。
「さて、姫は唐揚げの下味を、俺はポタージュのピザの準備するから」
「へえ、ピザも作るの?」
「主食のつもり。酒も出すからつまみにいいだろ」
姫は頷き、下味の調合を聞いてくる。
「どんな味にするの?」
「んー、スパイス集めて来てもらったからタンドリーっぽくするか」
そう言って取り出したのはヨーグルト。別皿に移し、そこへシナモン、ナツメグ、クローブ、ジンジャーのパウダーをそれぞれ計り入れる。
「ん、こんなもんかな。あとはモモ肉のスジとって、一枚を四つに切り分けといてくれ」
「結局あんたがやっちゃったじゃないの」
「悪い悪い。でもスパイスの調合ってやったことないだろ?」
姫はため息を吐きつつ頷き、俺も自分の作業に戻る。
今回は二、三枚焼くつもりのため、生地の量は多い。強力粉、薄力粉をボウルに入れる。砂糖を端の方に入れ、その砂糖の側にドライイーストを加えた。そして最後にオリーブオイルを加える。
さて。意外と思うかもしれないが、イースト菌は塩に弱い。塩を入れなければパンやピザの生地というものは成り立たないが、失敗の原因としてはこれが大きい。
イーストが塩にやられて生地が膨らまなくなるのだ。
それを簡単に解消するのが塩の後入れだ。それだけでほぼ確実に失敗を起こさずに終えることができる。
ボウルに水を加えながら、粉を混ぜ合わせて行く。片手で力を入れながら混ぜつつ、生地のムラをを無くす。
ある程度ひとまとまりになったら、ひたすらこねる。このこねる作業というのがなかなかしんどい。だが、ここで妥協するのは質を下げてしまう。
温度に気を使って暖房のかかっているキッチンで、時折汗を拭きながらひたすらこねる。15分もすれば完全に生地の様子を見せていた。
そこで塩を加え、そこからさらにこねる。時折姫に指示を出しながらこねてこねてこねて、そこから20分ほどかけて生地を仕上げた。
生地を伸ばしてみれば、しっかりとグルテンの膜ができている。適正はその膜の奥に指が見えるくらい。
十分その基準を満たしていた。
「うし、あとは寝かすだけだな。姫、烏賊の処理終わった?」
「ええ、終わったわ。他に何作るの?」
「ピザソース頼むわ。他はこっちでやるよ」
そう言って手を洗い、じゃがいもの皮を剥いて行く。ピーラーがないため包丁で剥いて行く。その包丁は、ホームセンターの刃物コーナーの中でも一番の業物だ。面白いくらいスイスイ切れる。
ダマスカス鋼特有の模様が美しい。その切れ味のあまりの良さに鼻歌を歌っていると、隣で姫がクスリと笑った。
「機嫌いいじゃない?」
「まあな、この包丁はいいぞ?木のまな板だと食い込むかもしれないくらい切れ味がある。切れすぎて指が怖いよ」
「へえ、そういえば高かったものねそれ」
確か五万数千か。まぎれもない高級品だな。
「さっき使わなかったのか?」
「部長かあんまり嬉しそうだったから。自分の家から持って来た包丁を使ったわ」
その言葉に頷きつつ、玉ねぎを手に取る。ヘタを落とし、皮を剥いだ。
じゃがいもと玉ねぎをすりおろし、鍋を火にかける。温まって来たのを確認したらバターを投入。さらにそこへすりおろした玉ねぎを入れた。
焦げないように素早く手を動かしながら、そこへ水、コンソメ、ローリエ、塩胡椒を加え煮ていく。ある程度煮たところで生クリームとじゃがいものすりおろしを入れ、あとは沸騰しないように煮込むだけ。
簡単だが、これがなかなか美味しいのだ。
そこまで作業を進めれば、またピザ生地の方へと戻る。醗酵の具合を確認するため指を刺せば、凹んだ部分がゆっくりと持ち上がってくる。これが醗酵成功のサインだ。
発酵が終わったそれをいくつかに分けて、綿棒で丸く広げていく。ミミを作り、ピザソースを塗った。
その上に海鮮系の具材を散らし、チーズを乗せたら完成だ。あとは焼くだけ。
一枚を焼き上げるのにもそれなりの時間をかけるため、すぐさま予め温めておいたオーブンに入れる。
あとは放置なので、オードブルに乗せる料理の確認をしておく。
タンドリーチキン、フライドポテト各種、ハム、チーズに生ハムを巻いたもの、イカフライ、エビフライ、卵焼き、枝豆。
揚げ物以外はすでに完成し、あとは揚げるだけだ。姫にその作業を任して俺はフライドポテト用のスパイスに取り掛かる。
フライドポテトは、塩、ブラックペッパー、のり塩、スパイシーの四つ。
のり塩はふりかけで済まし、スパイスの調合だ。
クミン、ターメリック、カルダモン、ジンジャー、レッドペッパーを小さじ一ずつ使い、ムラなくかき混ぜる。たったこれだけ。
でもこれで十分雰囲気が出る。
揚げ終わったものから順次大皿の上に盛り付けていく。こう言った盛り付けも色合いを考えながらするとなかなか面白い。
フライドポテトも各種の味を付けて盛りつけた。
「姫、これ皆に持って行ってやってくれ。そろそろ腹減って来てるだろうしな」
「はいはい。部長は?」
「俺はステーキの準備したらいくよ」
そう言って俺は料理が始まった時点から常温に戻しておいた熟成肉を叩いて見せる。
立派な肉塊が締まった音を響かせる。トリミングを済ませたら、ホットプレートで一気に焼き上げるつもりだ。
それにしても、これだけ大きな熟成肉なんてTVでしか見たことがない。包丁もそうだが、パニックのおかげで昔より贅沢できるというのも皮肉な話だ。
しかし、まともな食品の消費期限は早い。缶詰だって三年あればいい方だ。飲み物だってそう。俺たちは人数が多い分、やれることも広いがその分消費も早い。
早いうちに自給自足に至るための案を実行に移さなくてはならない。こうしてゆったりしていられるのは今日までだ。
ーーー明日から大きく動く。
…0…0…0…0…0…
食事は大盛況のうちに幕を閉じた。
タンドリーチキンやポテト、サイコロステーキは大人気で物凄い勢いで食い尽くされた。
特にサイコロステーキは最高だったな。久々の美味い肉ということもあるが、美味すぎた。たかだかスーパーにある程度の精肉店でこんな美味い肉があるとは思わなかったな。
あるいは、新商品のつもりだったかもしれないが。
ウェットエイジングされた肉はしっとりとしていつつも、アミノ酸の旨味がぐっと喉を唸らせる。ソースなどという味を殺すものを使わずに塩胡椒だけで食べたのも良かったな。
レアはもちろん、ウェルダンでも肉の旨みをはっきりと感じた。大満足である。
夕飯が終わればあとは寝るだけである。時計も12時を回り、中学生二人ははしゃいで疲れたのか夢の中。姫は二人と揃って布団の中だ。
ここ数日間、まともに布団の中で眠れなかったため、誰も彼も疲労が抜けていない。その上にこの工事と酒盛り。仕方のないことだろう。
未だ起きて酒を飲んでいるのは俺と鷹ちゃん、そしてのりさんだけ。
永道はアルコールに弱いくせに調子に乗って飲んだため、誰よりも早くダウンしていた。
俺たちは余り物をつまみながら、ゆったりと飲んでいた。宅飲みをした後ではまま見られる光景だ。そして、それはのりさんの一言から始まった。
「そういやお前ぇら、どうやって処理してるんだ?」
「ブフォッ!?」
「……俺は風呂場で」
「鷹ちゃん!?」
慌てて鷹ちゃんの方を見てみれば、首の方まで赤くなって来ている。さっきまで永道のバカに付き合ってたからか、それなりの量を飲んでたからな。
そして鷹ちゃんは酔うと素直になるタイプだった。
そのことを思い出し、ため息を吐いた。次いでのりさんを睨む。
「そんな睨むなってぇの。ちょっと聞いて見ただけじゃあねえか?」
タイムリーなんだよ……!!
「いやあ冗談だったんだがぁ、鷹はやっぱ飲むと口軽くなんな」
「起きると忘れてるタイプだからタチ悪いんだよなぁ……」
「いつも通り無口ではあんだけどな。聞くとなんでも答えるからおもろいわ」
あんま遊んでやるなよな。この酒豪め。
「んで、お前ぇはどうなんだよ?」
「はぁ……。さっきまでそのことすら忘れてたよ」
「あー、さっきの風呂かぁ?姫を先に入れたからよぉ、残り湯でも楽しむ気かと思ったぜ」
「そこまで変態じゃねえよ!」
もう一度ため息を吐いて、ウイスキーを口に含む。辛味と香りを楽しみながら、ゆっくりと思考を馳せた。
「……もう、安全じゃない。山本、選ぶなら早くしたほうがいいぞ……」
「ん、分かってるよ。ありがとな」
相変わらず、見通したように話す奴だな。ちょっと前に救われたばかりだが、いまはそれが重たい。
確かに、今この世界で長く生きられる保証はどこにもない。選択は早急に、だ。だがそれでも今は、酒に浸っていたい。
結局、俺はそこで考えるのをやめた。