下地の四日目(2)
ゆかはカレーをおいしいおいしいと顔をほころばせながら食べてくれた。ここまで喜んでくれると半分ではあるが腕を振るった甲斐があるというものだ。
さて、午後であるがやることはまだまだある。
情報収集に、武器のメンテだ。情報収集は夜でもできるし、明るいうちに武器のメンテを済ませてしまわないといけないな。
武器に関してだが、俺たちが集めたものの中には刃物が何点もある。包丁やナイフ、マチェットなどだが、このうちナイフとマチェットは刃がついていない。
というのも、こういった刃物は店売りの時点では安全の問題から研いでいないのが普通だからだ。
ナイフはともかく、マチェットは元々山で枝や草を払うためのものだ。今後も継続して使うならしっかりと研いでおかねばならない。
そのための砥石を欲していたのも、昨日ホームセンターに行った理由の一つであった。そして目的のブツはしっかりと確保できた。
荒砥ぎ用のダイヤモンド砥石や中研ぎ砥石、仕上げ砥石。それらを数点貰ってきていた。
包丁ならともかく、ナイフやマチェットなどを研ぐのは初めてのため少し緊張してしまう。
「ゆかちゃんは危ないから見てるだけな。そのうち覚えてもらいたいけど、最初からこんなのは難しいからさ」
ちょっと不満げなゆかにそう言ってマチェットを掲げて見せる。
ゆかも初めてでこれは難しいと思ったのか、相槌を返すにとどまった。それに苦笑し、俺は砥石の入ったトレーに向き合う。
水を入れたそこにはダイヤモンド砥石が入っている。砥石の中でもこれは最高に荒い部類であり、素手では危険である。作業用の革手袋も忘れずにつけておく。
そこにマチェットを添え、そっと引く。シャッと音がして刃先が削れていく。
よし、問題はなさそうだ。
続けてマチェットを研いでいく。時折砥石と刃先に水をかけてやり、次々と。
マチェットは直刀の物からカーブの大きいものまで様々な形状がある。持ち変えるたびに研ぐ時の感覚が違って少し面倒だ。
そこを押して作業を進め、全部を研ぎ終わったころには既に夕方近い。三時ごろといったところか。
仕上げまで完璧に終わらせた刃物たちは、ギラギラと危ない光を放っているようにも思える。さすがにそれは欲目なのだろうが、達成感はそれだけ大きかった。
最後の確認をしながら煙草で一服していると、皆からの連絡が入った。
「もしもし?どうした?」
「ああ、山か?今ホームセンターの帰りだぁ。食料の確保は終わったし、拠点の候補にもこれから行こうと思ってる。さっきの話通り鍵がかかってたら扉ごと外していいんだよな?」
「ああ。それが一番簡単だと思うよ」
「ウシ分かった。また着いたら連絡すらあ」
そう言って電話を切ったのりさん。とりあえずみんな無事そうで何よりだ。
安堵のため息を紫煙に乗せて吐き出す。短くなった煙草の火を消し、二本目に火をつける。
最初の煙を吸い込み、大きく吐き出した。
「よし、休憩終了。ゆかちゃん、こっからはゆかちゃんにも仕事してもらうからね」
「はい!確か、情報収集でしたよね?」
「そうそう。やり方は簡単、まずはスマホのブラウザを立ち上げます」
そしてニュース欄を覗いていく。ざっと目を通した感じ、あまり更新されている雰囲気がない。
まあ、これはある意味仕方のないことであるから気にはしない。大事なのはここからだ。ゆかちゃんには自分でいろんなサイトを覗いてもらうように頼み、自分は本命のサイトに行く。
それは政府、自衛隊、発電所、水道会社などのホームページだった。
…0…0…0…0…0…
現在が状況的には、まだ最悪の部類には届いていないというのが情報を集めた限りの結論である。
というのも、自衛隊や米軍が電力会社などのライフラインにかかわる場所を死守してくれているからだ。
問題はこれから一か月もたたないうちに訪れる、壊滅的な物資不足だ。要するに、化石燃料系の産出が少ない日本はその大部分を輸入に頼っている。
世界中で同時に起こったらしいこのパンデミックの中ではもはやその輸入は絶望的な状況だ。遠くないうちに燃料不足で電気や水道は停止する見込み。笑えない話だ。
不幸中の幸いと言っていいのか分からないが、パンデミックの第一波で人口が大きく削れたこと。そのおかげで発電量を減らしても何とかやっていける。場合によっては一か月よりも長く電気を持たせられるかもしれない。
「それにしても、やっぱりこういうことになってるか」
東北地域に政府が安全区域を構築したことがSNS上で噂になっている。実際にそこにいる人間の話もあり、意外としっかりした安全区域が出来上がっているらしい。
流石自衛隊。世界でも有数の錬度は伊達じゃないようだ。
まあ、東北に安全区域を構築した理由は大体わかる。あの辺りは穀物地域で食料生産量が日本でも最大だ。
それに加え、あまり知られていないが秋田には油田がいくつか眠っている。再起を目指すならやはりあの地域がベストだろう。
「これ、私たちも行った方がいいんじゃないですか?」
「そうだな……、ちょっと難しい話になるけどいいかな?」
ゆかはそっと頷く。
「最初にこれだけ大々的に居場所を明らかにしてる時点で、日本中から人が集まってくるのは分かるよね?そうすれば人を追ってゾンビも集まってくることになる。
上手くそれを掃討できたとしても、感染者がこっそり中に入り込んだりした日には地獄を見ることになる」
「地獄、ですか……?」
「ゾンビは全部元はヒトなんだ。つまり、人の多いところにいるほど危険ということでもある。
一度でも似たようなことが起きればそこからは疑心暗鬼。上手くいったとしても、食料の配給がどうなるかわかったもんじゃない」
ここは日本だ。震災の時だって配給所の前には列をしっかり作るような国民性だが、この先救いがずっと見えない状況になってしまったらどうなるかはわからない。
もしかしたら女子供は優先されるかもしれないが、この状況で周囲が孤児に向けてどんな態度をとるのかもはっきりしない。
要するに不確定情報が多すぎて、まだ動くべきじゃないというのが結論なのだ。
「もしも、もし監獄実験みたいなことになったら悪夢でしかないからね」
そしてそれらは決してあり得ないことではないのだ。
……ちょっと重苦しい雰囲気になってしまった。空気を換えるか。
「まあ、そんな先の事は置いといてさ。ゆかちゃんは新しい家に着いたら何が欲しい?本棚とか、ベッドとかさ。永道はそういうの得意だから、行ったらきっと作ってくれるぞ?」
「新しい家ですか……。そうですね、考えてみます!」
「俺は本が好きだから本棚かなあ。いろんな書店を巡って面白そうなものは全部集めてみたいな」
昔から書斎を持つのが夢だった。こんな状況になってから叶うかもしれないのはどうかと思うが、それでも嬉しいものは嬉しい。
夢がひろがりまくりんぐ、という奴だな。
「私はやっぱりベッドですかね。一度お姫様みたいなベッドで寝てみたかったんです」
「天蓋付きかあ。ああいうの一度見てみたかったんだよなあ実際どんな感じなんだろ?」
そんなたわいもない話をしていれば自然とゆかの表情も和らいでくる。いい感じだな。
しばらくもしたらすでに太陽は沈みかけ。そろそろ皆も帰ってくる時間だ。姫には悪いが夕飯だけ作らせてもらうか。
ゆかにも手伝ってもらって腕を振るうとするかな。
作るのは簡単にチャーハンとかでいいか。缶詰とかも少しアレンジして料理に回そう。
「足は大丈夫なんですか?」
「うん、まあ一日ゆっくりしてたから立ってフライパン振るぐらいならいけるでしょ」
「凄いですねえ。私前に足くじいたときは何日か歩けませんでした」
「男だからね」
そんなことを話しつつフライパンに油をしき、よくなじませる。中華出汁がないから鶏ガラとかで応用するかな。
卵を多めの油で数秒炒めて、別皿に移す。油をほんの少しつぎ足し、缶詰の肉を細かくしたものと冷凍のミックスベジタブルを投入する。
両方ともすでに調理済みの物なので火を通すだけ。さらにそこへ昼の残りご飯を投入。混ぜ合わせつつ、塩コショウ、鶏がらスープの素、缶詰の残り汁で味を調え、最後に卵を再投入したら完成だ。
「ほらゆかちゃん味見してみ?」
スプーンを目の前に差し出せばぱくりと食いつく。その瞬間、ゆかの目が見開かれた。
「おいしいです!」
「どれ俺も」
ぱくりと一口。うん、いい感じだ。少し味を濃いめにしておいたから多少冷めてもしっかり味を感じるだろう。
あとは、そうだな。昨日貰ってきた食料の中にコーンビーフがあったはずだからそれを使うかな。
大なべに水をたっぷり張り、湯を沸かす。グラグラとに立って来たらパスタを投入。塩をほんの少し加え、書いてあるゆで時間より三十秒ほど早く湯から取り出した。
取り出したパスタは氷水でしめ、水を切っておく。コーンビーフの缶をゆかに開けてもらい、ボウルに三分の一ほど入れる。さっきのあまりのミックスベジタブルを入れ、マヨネーズとブラックペッパー、塩で味付けをする。
コーンビーフはかなり濃い味をしてるから塩は少なめに。それにパスタをさっくりと混ぜ、最後に隠し味の練乳を混ぜ合わせる。これでサラダパスタの完成だ。
練乳は姫がイチゴ好きだから置いてあったものだが、あってよかった。こいつを入れるだけで味がまろやかになって美味いのだ。
ゆかは驚いた顔をしていたが、味見をさせたら満面の笑みを浮かべてくれた。やはり誰かに食べてもらうっていうのはいいな。
「んー、人数多いからもう一品くらい作るか。ゆかちゃん、冷蔵庫の中ほかになんかある?」
「えーっと、ブロッコリーとジャガイモしかないですね。あ、ハムもちょっと有ります」
「なら簡単にグラタンにするかな」
悪くなりかけの牛乳があったしちょうどいいだろ。
ホワイトソースはホワイトシチューのルウと牛乳で代用できる。牛乳を火にかけ、一煮立ちさせたら多めにルウを入れてソースを作る。
これだけだと味が微妙なので顆粒のコンソメを加えた。
レンジでチンしたブロッコリーとジャガイモにホワイトソースもどきをかけ、コーンビーフとハムを散らす。
さてチーズの代用だが、まあパン粉でいいか。表面に乗せておけばオーブンで仕上げた時にカリカリになるし。
「山本さんって本当に料理がお得意なんですね?」
グラタンをオーブンにかけたあと、ゆかがそう聞いてきた。
「これは趣味みたいなもんだからなあ。気づいたらうまくなってた感じだな」
「私料理はお母さんの手伝いでしかしたことなかったから、尊敬しちゃいます!」
「はは、ありがと。そのうちゆかちゃんにも教えてあげるよ。姫も自炊してるから料理できるし、いろいろ聞いてみたらいいさ」
それにしても本当に今日は夢のようだったな。パニックの前に戻ってしまったような気分だ。
むしろ、ここ数日の事が夢なのか?
そんなことを考えていたとき、玄関の鍵が開く音がした。皆のお帰りだ。
料理っていいですよねえ。食べても良し、作るのも良し。両方とも楽しいです。