1996年 10月9日
娘が猫を拾ってきた。そういう品種なのか、尻尾が妙に短い三毛猫だ。
この団地では飼えないと知っているはずなのに、無邪気な顔で「飼いたい」と言った。確かに上の階の人は、ペット不可なのに猫を飼っているらしく、時折鳴き声が聞こえてくる。娘もそれを知っているから、もしかしたらうちでも飼えるかもしれないと思ったのだろう。
けれど、ダメだと注意した。飼えない決まりになっているから、と。
「じゃあせめて、傷が治るまで」と娘。その猫は喧嘩でもしたのか、額と右前脚から出血していた。
だから余計に嫌だった。血の出ている猫を見るのは、もうたくさんだ。
「元の場所にかえしてきなさい」と言うと、「なんで?」と返された。団地では飼えないの。飼っちゃダメなの。猫だって、外にいる方が好きなのよ。そういった言葉を何度も繰り返して、娘を説得した。怪我の治療だけでもしたいと娘は言ったけれど、人間用の消毒液を猫に使えるかはわからないし、触りたくもない。結局私は、娘ごと猫を外にしめ出した。とにかく、血まみれの猫から離れたい一心だった。
――水槽のように周囲から隔絶された部屋。カップラーメンと、汗と、腐った血のにおい。横たわる猫。すがるような目。
振り下ろされる、ナイフ。
呼び戻された記憶を追い払うかのように、私は嘔吐し続けた。
帰宅した娘に、手を洗うようきつく言った。どんなばい菌を持っているか分からないでしょう。野良猫は汚いでしょう。猫の血が、手についてるでしょう。
娘は手を洗いながら、ふと私を見上げた。
「お母さんは、猫がきらい?」
「嫌いじゃない。でも、団地では飼えないのよ」
「団地のせい? ほんとに、きらいじゃない?」
その顔は妙に切羽詰っていて、悲しそうだった。