1995年 6月23日
娘の顔を見る時はいつも、間違い探しをしている気分だ。
年を重ねるごとに、私と似ている部分は減ってきている気がする。
そのかわりにどんどん、どんどん、『あの男』に似てきている。
二重まぶたが、鼻の高さが、口の形が、顔の輪郭が。
そのすべてが『あの男』にそっくりで、私と似ているところなんてひとつもない。
私が子供を産むことになった日、母は「私たちで育てよう」と言った。
「だって、あんたの子なんだから」
それからというもの、母はことあるごとに「この子は『あんた』の子だよ」と繰り返していたけれど、私はどうしても男のことを考えてしまう。
母が『あんた』を強調するのと比例して、この子は『あの男』そっくりになったのではないか。
目の前にいる娘は、『あの男』の血が混ざっている人間。そう考えるだけでゾッとする。
いつか化けの皮が剥がれて、残酷な一面を見せるのだろうか。
それとも既に、加虐趣味があるのかもしれない。
――見れば見るほど、娘は『あの男』に似ている。顔が、体型が、運動神経の良さが、笑顔が、仕草が、すべてが。
こんな気持ちで育てるのなら、母の死後は施設に預けたほうがよかったのかもしれない。たとえ娘が六歳で、物心ついている年であっても。
間違い探しは終わらない。
そもそも、間違いとはなんなのだろう。