EVOLUTION 毒と家族 【ACT四】 ばいばい、お兄ちゃん。
ある夜、求世が血相を変えて縁側にいる雷世の所にやって来た。
「父さん、駄目だ、そのお酒は飲んじゃ駄目だ!」
そう言って雷世から盃を奪い取り、酒の瓶を奪おうとする。
だが、雷世は彼を見て、ふっと笑った。穏やかに、そしてとても優しく。
「良いんだ、これで。 俺は斎世の姉を殺した。 心底俺を信じていたアイツを利用して、アイツから姉を奪った。 そりゃあ酒に毒を盛られたって文句は言えねえってモンよ」
「父さん……!」
「求世、なァ。 因果の絶対応報さ。 これもあれもどれもそれも、因果の応報だ。 切ないなあ、悲しいなあ、苦しいなあ。 それでも俺ァ、お前を息子に持てて本当に良かったよ。 だから、今まで楽しかった。 俺は幸せだった。 でも俺ァ……ちょっと疲れた……」そう言って雷世は一息に飲み干して、立ち上がり、寝間へと向かった。「じゃあな、求世。 先に寝るぜ」
その後ろ姿が、生きていた父親を求世が見た最後の姿となった。
そうだ。
求世はいつも思っている。
俺も貴方が父親で本当に良かった。
だから、あの女は俺が殺す。
ヌバタマ大王の亡骸が祀られているモガリの宮には既に大勢の暗殺者達が詰め寄せていた。宗世が、斎世が未世を殺したと告げたためだ。そして求世も彼女に一切抵抗せず、『六道』を裏切ったと。
啓世は嘘だと思った。全て嘘だと思おうとした。だって求世は、彼の親友だった。こんな掟破りをするはずが無かった。求世はとても賢明な男だ。まい・でぃあ・ふれんど、なのだ。だから、だから!
そうだから、彼はやって来た求世の胸ぐらを掴んで、怒鳴ったのだ。
「どう言う事だ、オメエは――!」
「 」
求世が何かを言った。だがそれは啓世以外の者には聞こえなかった。聞いている暇が無かった。啓世から血が飛び散って、彼が倒れたからだ。求世は血まみれのナイフを握っていた。
「く、クソッ!」
「殺せ、殺してしまえ!」
そう言って求世に襲いかかった連中は、皆、その背後の斎世の鋼線によって体を分断されて殺される。
「……妹の命惜しさに裏切るとはな」時世が不愉快そうに言った。「見下げ果てた連中だ」
「それだけじゃあ無いのよゥ?」斎世はそう言うなり、求世のあごを掴んで、深く口づけした。求世は一切拒まない。暗殺者達が真っ青になった。愛し合うべからず、その掟をも破ったのだから。「お分かりかィ?」
「……なるほど、裏切り者は斎世、アンタもだったのか」アマテラスが無感情に言った。「ならばこの手で裁断下してやろうじゃないか!」
アマテラスの体が光になった。二人をまとめて焼き尽くそうと言うのだ。だが、求世は素早く鏡を取り出した。
しまったと思う余裕すらアマテラスには無かった。乱反射された光が暗殺者達を蒸発させてしまう。アマテラスは人の形に即座に戻ったが、その時にはもう手遅れだった。残った者だけでは、この二人にはとても対処出来ない。一瞬で優劣が逆転してしまった。
「あ、ああ……!」自分の力が引き起こした事態に、アマテラスはへたり込む。震えが止まらない。恐怖がこみ上げる。頭で何も考えられない。「そんな、こんな事って……!」
「さようならァ、アマテラス様」
斎世の鋼線が、そのアマテラスの首を刎ねた。
I・Cが取りあえず向かった先は、例にもれず酒場だった。だがその途中で泣きじゃくりながら歩いている宗世を見つけた。
I・Cは何のためらいもなく、この少年に暴力を振るってどこにアマテラスがいるか白状させた。
「なるほど、モガリノミヤ、か。 じゃあなガキ、俺に殺されなかっただけ幸せだ、精々死ぬために生きろ」
と言い捨ててI・Cは行こうとした。
「う、うわばあああああああん……」宗世は解放されても泣いている。「兄ちゃんー、兄ちゃんー!」
「兄ちゃんがそんなに恋しいならクソガキ、テメエも裏切れば良いじゃねえか」
「違う! おいらに出来るもんか! 兄ちゃんは――あえて裏切ったんだ!」
「……何?」
宗世は言った。ほとんど叫ぶように。
「兄ちゃんは斎世を殺すためにあえて裏切ったんだ!」
――一緒に道を歩きながら、不意に求世は険しい声で言った。
「宗世、お前に一つ頼みがある」
「兄ちゃん、どうしたの?」と宗世はびっくりした。
「俺はこれから『六道』を裏切る」
「え……?」宗世は何を言われたか、まだ理解できない。
「ヌバタマ先大王を殺したのは間違いなく斎世だ。 あの女は大それた事を望んでいる。 『六道』を再構成するつもりなんだ。 最悪、みんなを皆殺しにしてでも」
「へ……姉ちゃんが殺した? 兄ちゃん、何を言っているの……?」
宗世は無理やり笑った。えくぼが出来た。この少年は、笑うとそうなる。
「いや、斎世はそれに逆らう者を必ずや皆殺しにするだろう。 最悪の事態をあの女は目論んでいるだろうからな。 だから俺はそうなる前にヤツを殺す」
「兄ちゃん……!」
「後はお前に任せるよ」求世はそう言って、宗世の頭に手を置いた。「お前の『刃物が一切通らない肌』はきっとお前を一流の暗殺者にするだろう。 だから、俺はお前に後を任せる」
「何言ってんだよ兄ちゃん!」宗世はそれをはねのけて、「兄ちゃんはてんぷらと糠漬けを昼ご飯に出すって――!」
「……それが恐らく最後の食事になるだろうな。 気合を入れて美味いものを作るから、沢山食べるんだ」
求世は、笑った。宗世は泣き出した。
求世が啓世に最後に囁いた言葉も、こうだった。
「済まない。 だがこれ以外に斎世を殺す方法が無かったんだ」
――「お願いだよ、兄ちゃんを助けてくれよ!」
宗世はそう言って、その場に土下座した。
「やだ。 自分でやれ」
I・Cは一蹴した。
「……」宗世の目に、強い光がともった。「今、万魔殿過激派の軍隊が、この国に近づいているんだよ」
「知っている。 だからどうした?」
「兄ちゃんを助けてくれたら、あんたにこの国から安全に脱出できる路をおいらが教えてやる」
少年は毅然としている。
「……ふーん。 なるほどなあ」I・Cの目に邪悪な色が浮かんだ。「じゃあ、ヤツを死なない程度に痛めつけて来てやるよ。 女の方は殺せば良いんだろう? やーっと死姦出来るぜ」
スサノオ大王へ、新たに『六道』の残った面々は忠誠を誓うしか無かった。それしか、もはや、暗殺結社として結束し存続する手段が無かった。それを確認してから、斎世は求世にしだれかかって、言った。
「ねえ、あたしを愛している?」
「愛していなかったらどうして俺がここにいる」
「もう」斎世は不満げに、「素直に愛していると言えば良いじゃァ無いか」
「ここは人目が気になる。 誰もいない場所へ行きたい」
「うふふ、ふ――」斎世は心底嬉しそうに、「全くお前は。 でもそこが良い」
――二人は、橋の上に来た。求世はもう待ちきれないとばかりに斎世を抱きしめる。
「ああ」と彼は斎世の耳元で囁いた。「この時を待ちわびていた。 愛している、斎世」
「……」斎世は微笑む。それは愛した男を完全に己の手中に入れた女の勝利の笑みだった。彼女は心底うっとりした。初めて求世の前で油断した。「求世、あたしも――」
愛している。
そう言いかけた時、斎世は背中から心臓を一撃で刺し殺されて絶命した。彼女は、とても美しい、人の生き血を吸って花開いた桜のような妖艶な笑みを浮かべたまま、死んだ。
「散る散る散りとて散りぬるを、わかよたれそつねならむ、うゐのおくやまけふこえて、あさきゆめみしゑひもせすん――お前は俺の親父を殺した。 だから俺が殺す。 『愛している』? いいや、お前なんか、気持ち悪いだけだった。 俺が本当に愛していたのは――」
伊世だけだ。
求世は斎世の死体を川に蹴り落した。水しぶきが水面から跳ねて、ぽたぽたと握っているナイフからは血が落ちる。
そして、彼は振り返った。
「やるなあ」視線の先には、I・Cがにたにたと笑いながら立っている。「よっ、色男! 女殺しとは正しくテメエの事だ! ぎゃははははははははは!」
「……」求世はナイフを強く握った。目撃者も殺さねばならない。
その時、だった。
「――お兄ちゃん!」伊世が走ってきた。必死に走ってきた。けれどもう体が言う事を聞かなくて、彼女は倒れた。
彼女は、求世の真意に気付いていた。だから追いかけてきたのだ。
「伊世!」
求世はナイフも捨てて抱き起した。I・Cは呆れた様子で、
「流石色男だけあって女には不自由してねーな。 ま、良いか――『サタン』発動、Ver.『翼竜』!」
I・Cの姿が、巨大な、まるで伝説に出てくる化物のようなものへと変わる。
「ッ!」
危険だ、と言う相手では無い。恐ろしい、とても恐ろしい危険そのものなのだ!求世は伊世を抱きしめて逃げようとした。しかし『翼竜』が翼を動かしただけで発生した衝撃波により、彼は足に大けがを負って倒れる。足が千切れかけていて、骨が見えていた。妹を庇っていては、とても避けられる攻撃では無かった。
「お兄ちゃん!」伊世は、その傷を治そうとした。
「駄目だ!」だが求世は、最後の力で彼女を突き飛ばす。その腕も同様に、まるで虫の足を面白半分で子供が引き抜くように、『翼竜』によりもぎ取られた。けれどこの青年は、その痛みよりも何よりも、妹を優先した。妹の命を優先した。「逃げろ! 逃げてくれ! 俺はお前のいない世界でなんか、生きたくない!」
「……そうだったね」伊世はつぶやいた。彼女のこれまでの人生を振り返るように。「いつもそうだった。 お兄ちゃんは私をいつもいつもいつもいつも助けて庇って、自分は危ない目に遭ってきた。 お兄ちゃんはいつだって私のために生きてきた。 私の所為でいつも損な目にばかり遭っていた。 斎世と関係を持ったのだって、父さんを殺された復讐のためだからだけじゃない、斎世に私へ嫉妬させないためでもあった……」
彼女は立ち上がる。そして、求世に触れた。
「伊世!」求世の血相が変わった。「駄目だ、力を使うな!」
「お兄ちゃん」伊世は笑った。最初に彼と檻の中で出会った時と同じように笑った。「ばいばい」
求世の傷が一瞬で癒えた。だが、彼女の肉体はさらさらとした砂になって崩壊した。
「あ」求世が、絶叫を上げた。「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
彼は壊れた。
「はぁ!?」I・Cが形相を変える。「連れていけ!? 誰が連れて行くか!」
廃人同然の求世を、I・Cが連れて行ってくれと宗世が主張したのだ。
「兄ちゃんにはもうこの国に居場所が無い! 連れて行ってくれなきゃおいらは脱出経路を用意しない!」
宗世の目も声も態度も、必死そのものであった。
「ふざけんなクソガキ、ぶっ殺すぞ!」
とI・Cが脅しても、
「おいらを殺してもアンタはこの国から逃げる道を失うだけだよ!」
「……チッ!」I・Cは嫌々、彼の言う事を聞いた。
途中で海に捨てようとも思ったのだが、通信端末でボスが『面白そうだから連れて来い』と言ったので、渋々それに従った。
聖教機構の所持する病院の一つに求世は入院した。
求世は――まるで人形のようだった。本当に何もしなかった。飲食と排泄でさえ人任せだった。彼の眼は誰も見ていなかった。ただぼうっと空中を見つめていた。
廃人のようだった。本当に廃人だった。
ある夜、そんな彼の元を訪れた人物がいた。
その人は、求世を見た途端に、にっこりと笑ってこう訊ねたのである。
「貴方が――『リクドー』の暗殺者ですか?」
求世の脳裏で、幼かった頃の光景が再現された。伊世と出会ったあの時、彼は初めて無邪気な笑顔を向けられたのである。
そして今も――笑顔を向けられている。
完全に止まっていた彼の歯車が、軋みながら動き始めた。
「 」
数週間ぶりに発声したので、実際は声にならなかった。だが、彼が頷いたので、その人も頷き返して、
「気に入りましたわ。 貴方、私の部下になりませんこと?」
彼はよく考えて、それから彼女の笑顔がもう一度見たいばかりに頷いた。彼女は彼の予想通り微笑み、
「ありがとう。 貴方の名前は?」
彼は言った。今度は、声が出た。
「ぐぜ、です」
「私はマグダレニャン。 よろしくお願いしますわね」
ナラ・ヤマタイカは、万魔殿過激派の支配下に入った。それに伴い、『六道』も過激派の傘下に入ったと言う噂が流れた。
後に彼らは活発に活動し、史上最強の暗殺結社として世界に名をとどろかせるが、それはまた別の話である。
END




