EVOLUTION 毒と家族 【ACT〇】 人を愛しているから人を嫌いになる。
雷世はその夜があまりにいい夜だったので、どうしても気分が浮き立って、普段は行かない港の方まで足を伸ばした。天空に散りばめられた星が美しくて、まるで象牙で出来たような月が夜をまばゆく照らしていた。
「人間五〇年」彼は歌うように呟く。「下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」
夜の、徘徊のを誘うひんやりとした空気の中を、彼は一人歩く。漂う潮風が心地よい。
「ひとたび生を受け、滅せぬもののあるべきか――」
その時、彼は異変を察知した。彼の五感は、カミソリよりも鋭い。
その聴覚が、波のざわめきの中に怒鳴り声と誰かを殴る音を聞きつけた。
何だろう、と彼は音源を探して、港に泊まっていた一隻の船に、許可もなく乗り込んだ。
甲板では人だかりが出来ていて、ひょいと彼はその中に造作もなく紛れ込んだ。
そして顔をしかめる。
赤ん坊を抱きしめている幼い少年。彼は、殴られ、蹴られ、罵詈雑言で浴びながら、必死に背を丸めて赤ん坊を庇っていた。
「一体何の騒ぎでェ?」
思わず雷世は声を出していた。
一同は、いきなりの部外者の出現に驚いたが、彼に敵意が無いことをすぐに知って、
「万魔殿からの密航者さ!」
と言った。
「こんなガキが?」
彼は目を丸くする。
どう見てもその子供は、いつも親の庇護下に置かねば危なくてたまらないくらいの年齢であった。
「そうさ。 ふてえガキで、ボコられてもウンともスンとも言わねえ。 海に沈めてやろうかと言う話になっているんだ」
それを聞くと、雷世は可哀想になった。まだ頑是ない子供じゃないか。何もそこまでしなくてもいいだろう。そう思った。
彼は自分が善人では無いとはよく分かっていたが、悪人でも無いとは全く知らなかった。
「ちょいと待ちねェ。 ――俺が、買うよ」
すっからからんになった財布の代わりに、重たい荷物二つを連れて、雷世は船から下りた。これからどうしようか。彼はちょっと悩んだ。全く、一体これからどうしようか。
「おい坊主、オメエ達に名前はあるか」
「――」黙って少年は左右に首を振る。
「そうか……」
また、沈黙が続く。ひょっとしてこの子はおしなんじゃ無いかと彼が思った時、少年は言った。
「おじさん、あぶないよ」
「!」
はっとして身をよじった、その耳元を吹き矢が通り抜けていった。
危なかった。だが、と彼は更に驚く。彼の人並み外れた五感でも感知できなかったことを、この少年は気付いたのだ。
まさか。彼は咄嗟にある考えが閃いた。
「坊主、まさかオメエ――」
「ぼくはきけんがわかるんだよ、おじさん」
少年はそれだけ呟くと、赤ん坊をぎゅっと抱きしめた。
雷世は、言った。
「――オメエ、俺と一緒に来るか。 覚悟はあるか。 俺と一緒に来れば、歩くのは地獄の血みどろの修羅道だが、俺はオメエ達を養ってやれる。 嫌なら別にそれでいい。 ――さあ、どうする?」
少年は、彼を見上げて言った。子供らしい、透明な目をしていた。
「このこをまもれるなら、ぼくはどんなことだってするよ、おじさん」
「じゃ、決まりだな」
彼は少年の手を取ると、赤ん坊を代わりに抱きあげて言った。
「お前は求世、この子は伊世だ。 俺は雷世――人嫌いの偏屈者さァ」




