雪に紛れて
「こいつを磨け。できてたら話ぐらいは聞いてやる」
どうも、湊です。今回、木工工房に出かけたところで差し出されたのは紙やすりと木目がかなりくっきり出た木の板。
やったことがある人ならわかると思うが、この手の硬い木の板を磨くのは難しい。目が出てたらなおさらである。目のところが残って、凹凸ができてしまうのである。この手の板を磨くときは、目だけが削れないように平らな板に接着したやすりを使ったりするのだが。
持っている紙やすりを見てみる。お世辞にも剛性があるとは言えない。
視線を言ってきた工房主に向ける。髭がサンタクロースのようだが、いかんせん顔が厳つすぎる。頭の中から【頑固親父】という単語を追い出して、考える。
「やってみましょう」
頷きもせずに、その親父さんは引っ込んでしまった。
胸ポケットからペンを取り出し、板の表面に手を這わせる。凸の部分に印をつけていく。
目の部分や、加工の過程で膨らんだ部分を、ペンの黒色が囲んでいく。
数分で、木の板はマーブル模様に包まれた。
続いて、ペンの背に細く裂いた紙やすりを当て、目の部分を削っていく。
カリカリという音が延々と響く。
ペンの中に入り込んだ粉を落として、裏面に取り掛かる。
カンナがあればいいのに、とぼやきそうになる気持ちを抑える。だが、思考は急速に拡散していく。
ある意味、頑固職人の鏡といえる彼の行動だが、いったい何の意味があるだろう。
マーブルを消し、紙やすりを変え、また消す。
価値観のすり合わせだとしたら、頷ける。価値観にずれがあれば、商談がうまくいきにくい。
なら、彼の価値観は?板を磨かせている以上、職人に関係があること。宗教とか思想とか、そんなものに左右されるものではないだろう。
磨き終えた板を見て、湊は作業を始めた。
* * * *
「どうですか?」
「ふむ……………」受け取った彼は、それを太陽にかざしてみたりしている。
「一つ、訊きたい」
「何でしょうか」
「なんで、角をとった?」彼の手には、湊が磨いた板。
磨いているときに、スマートフォンみたいだと思ったそれは、角という角がすべて取れている。
「そうしないと、子供が怪我するでしょう」
それを聞いた彼は、ふっとほおを緩め、笑った。やっぱりサンタクロースみたいだ。
「レズガルド・トラバンティーだ」彼は右手を差し出した。「何の用だ?」
「ちょっと実験に使うものを作りたいので、それの発注に」
「どんなだ」
「これなんですけど」彼はバッグの中から10種類の設計図を取り出した。
「…………難しいな」彼は顎に手を当て、思案する。「どう作る?」
「|無垢≪ムク≫から。」
「だがこれはなぁ………」
彼を悩ませているのは、三次曲線という形状だ。複雑に曲面を、設計通りに作るのは難しい。
「断面の型を作って合わせていけば、そう難しい話でもないはずです」
「ほお」
「型紙はこちらで用意します」
「そうだな、それならいい」
「では」彼は頭を下げる。「請求は、軍に」
「ん」
湊は工房を出た。
ポケットのペンを握りしめて。
意図的に呼吸していることを自覚。
もちろん、今の交渉に緊張していたわけではない。
屋根の上に二人。道の上に一人。
これでは、服を変えても無駄だろう。
密偵だろうか。
息を吐く。
平地に出るか。いや、平地の近くには人口過疎地があるはずだ。
防衛軍総司令部は………駐屯警備兵は正門に10人ほどだ。
息を吐いた。
地上の二人と、屋根上の二人。
一瞬、路地裏に逃げ込んでみようかと思ったが、やめる。
拳銃を持ってない。
いよいよペンを握る力に手を込めたとき、唐突に相手が消えた。
離れたのではない。それならわかる。
消えたのだ。
あったはずの反応は、消えていた。人影も何もない。
何もなかった。




