シレンティウム地下水道探検隊
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シレンティウム行政庁舎、護民官官舎
シレンティウムの最高行政官であるハル・アキルシウスの自宅は、かつて彼が最初にこの都市を訪れたときに寝所とした場所をそのまま使用しているが、改修こそされてはいるものの決して広くも華美でも無かった。
むしろ北の広大な地を統べる者としては質素に過ぎるため、行政府や参事会からは公衆接遇場所としての意味合いも込めて、新たな官舎建設の提案や要望が度々出されているのだが、ハルはこれを断っている。
広いと居住地としては落ち着かないし、応接の場所としては参事会の議場や太陽神殿が利用できるため、特に必要とは考えていないからでもある。
その行政庁舎の3階部分にあるハルの自宅では、一つの冒険の計画が練られていた。
「だから、これはひみつのつうろのちずなのっ」
「…ひみつって言うんだから、ひみつにしとかないといけないんじゃあ…」
「ひみつはあばくためにあるのっ」
「…それはちがうと思うけど、あぶないことはしたらいけないんだよ?」
「あぶなくないように地図があるのっ…アルトリウスは行く気がないの?」
「アルトリアこそ…本気で行くき?」
一枚の古いハルモニア時代の地図を前にした10才くらいの男の子と女の子が、熱心にその地図を見ながら話をしている。
しかしその地図を元に冒険に乗り出そうとしているのは女の子の方で、男の子の方はむしろ行くのを渋っている様子が見られた。
女の子も男の子も、同じような茶色っぽい黒髪につややかな黒い瞳をしており、その髪を長く伸ばして後ろ結いにしている勝ち気そうな女の子の顔はこの都市の最高行政官にそっくりであり、また短く髪を刈りそろえている、おっとりした男の子の方はこの都市の太陽神殿の大神官にそっくり。
この子供達こそ何を隠そう都市の守護聖人ガイウス・アルトリウスから名を授けられ、今をときめく北の護民官ハル・アキルシウスとその伴侶、太陽神殿大神官エルレイシア・アキルシウスの長男長女であった。
「…でも、どうせ止めても行くんでしょ?」
「うん」
自分の言葉を即座に肯定され、はあっと子供らしからぬため息を吐いたちびっこアルトリウスは、わくわくしてこちらを見ている妹のアルトリアに渋々手を差し出した。
「…地図、かして、どうせアルトリアは読めないでしょ?」
「うん、おねがい」
ぱっと良い笑顔ですかさず地図を差し出したアルトリアに、またもやため息を吐きながらアルトリウスはその古びて黄色くなった地図を受け取ると、ゆっくりと読み解き始めた。
「これは、昔の地下水道の地図だね…」
「チカスイドウ?下水道のこと?」
しばらく地図を読んでいたアルトリウスが徐に口を開くと、アルトリアは興味津津といった風情でその地図を覗き込む。
もちろんアルトリアは読む事が出来ないのであるが、アルトリウスが文字とその文字が示す筋を指でなぞるのを見てわくわくする心を抑え切れなくなったようだ。
「で、で、どこまで行くのこの道っ?」
「道じゃ無くて、地下水道。それに下水じゃ無いよ、今の下水はもっと上の方にあるみたい。この地下水道はさらにその下をはしってる」
幾つか交えられた線をなぞり、アルトリアの踊るような声色で発せられる質問に、淡々と答えるアルトリウス。
「シレンティウムは古いハルモニア時代の下水道をかいしゅうして、それに新しい下水道をくっつけてつかっているんだ。ハルモニアの時代に下水道をつくる前、地下水とまじらないようにちょうさしたみたいなんだけど…その時に見つかった地下水道みたいだね」
「ほへ~すご~い」
アルトリウスが難解な帝国風の文体と文語調で記された解説文を読み解いてアルトリアに解説すると、アルトリアは目を丸くして地図を覗き込んだ。
「そんなひみつの地図がわがやにっ!」
「…そりゃ、ここは北の護民官の家だもの…とうさんが昔のしりょうを持っていても変じゃないでしょ?どっから持ってきたのさ?」
「とうさんの書庫~」
アルトリウスがそう言いつつ疑惑の目を向けるまでも無く、アルトリアはニカッと笑って歌うように答え、その笑顔を見たアルトリウスは再び深いため息をつく。
「…だめじゃない」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。へやの奧のすみっこに落っこちてた地図だから」
ぽんぽんと心配性の兄の肩を叩きながら言うと、アルトリアは即座に指折り準備する物品を数え、部屋を歩きながら確認し始める。
「え~と、指向灯と燭筺、燧石に油と蝋燭、練炭、縄に鎹、革紐、食料と水は3日分、剣、短剣、小刀に包帯、傷薬、折り畳み式の円匙、東照紙と鉛筆、毛布、革の長靴、革の兜、厚手の衣服…こんな所かな?」
「…いいんじゃないかな」
物品を数え終わったところで歩みを止め、くりっと振り返るアルトリアにアルトリウスは苦笑しつつ応じた。
どうあっても止められないのであれば、付いて行って出来る限り補助する他に無い。
たとえ父や母に告げ口をして押し留めたところで、いつかその目を盗んで強行するのは目に見えている。
それに大人に同行して貰った場合、もうそれだけで冒険で無くなってしまうと言うのはいくら慎重なアルトリウスでも分かっていた。
「明日は学習所も休みだから、だいじょうぶだよね?」
「うん、遅くならなければ…あと、万が一の場合にそなえて書きおきをしておくよ」
妹アルトリアの性格を熟知しているアルトリウスは、地図を見下ろしながらそう言うと、早速自分の装備品や衣服を入れてある長持を開き、探検の準備を始めたアルトリアの後を追って、自分の準備に取りかかるのだった。
翌日早朝、シレンティウム地下下水道、アクエリウスの大貯水槽
「…うん、やっぱりいない…だいじょうぶっ」
そっと大貯水槽のある部屋を覗き込んだアルトリアは、大精霊アクエリウスがいない事を確認してそう満足げに言うと、扉の隙間から中へと入り込んだ。
その後に続く杖を抱えたアルトリウス。
アクエリウスがこの時間に居る場所は中央広場の噴水。
おそらく日課となっている上水道の調査をしているはず。
その時間を狙って部屋に入り込んだ2人の背中には大きめの背嚢が背負われ、アルトリアは腰に剣を帯びている。
また、茶色い厚手の衣服に革の長靴、革の兜を装備し、きっちりとした探検用の準備が為されていた。
その2人が入り込んだ部屋の中は黄色い硫黄の山や金、銀、銅、鉄などが砂状になった状態で山を為しており、さらにその奥の部屋には不気味な茶色の土とも粘土とも判別のつかない物が山積みになっている。
丸い形の大貯水槽は、底面から射す不思議な光で鮮やかな青色に染まっており、また下水特有の臭気もないため、アルトリウスは不思議そうにあたりの臭いをかいだ。
「…いつ来てもふしぎなところだなあ」
「そう?きれいで良いと思うけど」
アルトリウスがその理科的な興味から発言すると、アルトリアは情緒的な反応で周囲を見渡して言う。
確かに、不思議な青色の光が上からでは無く下から射しており、ゆらゆらと揺れる水面の波によって光が揺らめき、白い大理石で作られた下水道の天井へと映し出されている。
色が白だと分かるのはあくまでもシレンティウムで採れる大理石の色を知っているからで、ここでは青一色に染まっているため石の色は分からない。
「とても下水なんておもえないね」
「うん、水は汚い色じゃないし…金とか銀もあるみたい」
大貯水槽の縁をぐるりと回りながらアルトリウスが言うとアルトリアが山積みになった物を見ながら応じ、その声は下水道の天井や壁に反響して大きく響いた。
シレンティウムの都市精霊でもある大精霊アクエリウスが、この貯水槽に集まる汚水を浄化しているのは、都市最大の秘密であり、またそこから生じる様々な物資、特に貴金属類がシレンティウム行政府の手によって利用されている事も当然ながら最高機密。
いかな最高行政官の子女といえども、この事は知らされていないので、アルトリウスとアルトリアの2人は、山積みになっている物資を不思議そうに見つめる。
2人がここへ入り込んでいる事を北の執政官ことシッティウス行政長官が知ったなら、血相を変えることだろう。
「で…地下水道への入り口はどこなの?」
しばらく歩き、大貯水槽のある部屋の端にまで来た所で、アルトリアが足を止めて質問すると、アルトリウスは背負っていた背嚢からアルトリアが見付け出した地図を取り出すと、水面から射す光に当ててその位置を読み取る。
「うん…この先の大ちょすいそうを抜けたすぐ手前に小さい堀込みがあるみたい。そこの奧にとびらがあるはずだよ」
アルトリアがアルトリウスの言葉に従って大貯水槽の設置されている部屋を抜けて進むと、確かに古い横穴とその奥に石の扉があった。
「あ、あった!」
アルトリアは飛び上がって喜ぶと、勇み立ってその石の扉へと駆け寄った。
そして取っ手を探すが見つけられず、また扉に手を当てて押してみたが石の扉はがっちりと食い込み、とても開きそうに無い。
しかしアルトリアは慌てる事無く燧石と指向灯を取り出し、何度か燧石を打って点灯すると、後からやって来たアルトリウスへと期待の眼差しを向けた。
アルトリウスはその眼差しに苦笑しつつ石の扉へと近づくと、その上の縁を調べ始める。
「どう?開きそうかな?」
「…うん、書き込みのとおりのほり物がある。だいじょうぶ、開くよ」
「やったっ!」
アルトリウスの言葉に再び飛び上がるアルトリア。
アルトリウスは地図の書き込みを読みつつ、指で石扉に彫り込まれた文字をなぞり、その幾つかを力一杯押し込んだ。
がたがたんと音が下水道に響き渡り、しばらくして石の扉の内部で何かが外れる音がしたと同時に、ゆっくりと左右へ分かれ始め、それほど時間を掛ける事無く石の扉は完全に開いた。
そうして現れた地下深くへと続く空洞は、ほぼ人の手が入っていない洞窟であることは、そのごつごつとした岩の荒い自然な風景や轟轟と遠くで流れる地下水脈の音、更には真っ暗な闇ですぐに知れる。
「ワナとかはだいじょうぶかな?」
「もともとは自然の地下水道だったみたいだし、お墓やほうもつこなんかとちがって守る物もないから、ワナは無いと思うよ。でも、用心にこしたことはないけどね。それにじんこうのワナはないだろうけど、自然のワナはいっぱいあるともうよ」
「それならだいじょうぶ、なんとかなるよ!」
アルトリウスの忠告にも元気いっぱい興味いっぱいと言った様子で、目をきらきら輝かせながら答えるアルトリアに、再度アルトリウスが問いかける。
「…本気で行くの?」
「もちろん!ここまで来ていまさら何言ってんのっ」
アルトリアはばしっと兄の背中を叩いて言うと、指向灯をかざし、目の前の闇へと入って行く。
その後ろ姿を見たアルトリウスはため息を吐いた後、ぐっと口を引き締めてその後を追うのだった。
シレンティウム地下水道へ続く洞窟
真っ暗闇の洞窟は相当深いようで、歩けども歩けども底が見えない。
幸いにも切り立っていたり、道が途切れていたりする事は無く、なだらかな下り坂が途中平坦な部分や微妙な登り坂を除いて延々と続いているのだ。
その道程で、アルトリウスとアルトリアは一旦休憩し、遅い朝食を取る事にした。
蝋燭に火を移してから指向灯を一旦消し、手近な岩に腰を下ろす兄妹。
アルトリウスから受け取った干し肉と硬く焼いた軍用のビスケットを囓りながら周囲を見回すアルトリアは、その光景を見てちょっとがっかりした。
思っていたような幻想的な風景も、広大な地下迷宮も無い、ただの狭く硬い岩で覆われた洞窟が延々と続いているだけだからである。
「つまんないな~」
「う~ん、そんなこともないけど…」
「え?」
アルトリウスが同じようにビスケットと干し肉を囓りながら何となく言うと、アルトリアが驚いて声を上げた。
「シレンティウムの地下って、けっこう固いがんばんなんだ。ここを見ればそれがよく分かるし、むかし東南に大しっちがあった理由も分かったよ…これだけ固いがんばんが続いているんじゃ水はけも悪くなるよね」
「…むずかしい事はわかんないけど…でもいっぱい水は流れてるんじゃないの?」
遠くから聞こえる水流音に耳を澄ましながらアルトリアが言うと、アルトリウスは微笑んで答える。
「たぶん、地下水は南の北辺山脈から流れてきているんだと思うよ。だからこのあたりにたまった水じゃない。このあたりの水は地面の上を流れるか、地面に近い地下水脈以外にとおり道がないんだ。だから水路を作ってエレール川へ水を出すまで水がたまっていたんだよ」
「ふ~ん…そう」
自分の解説に興味が有るような無いような、どっちつかずの雰囲気で答える妹に苦笑を返すアルトリウス。
いつも自分が小難しい話をする時にアルトリアが示すお決まりの反応であるので、特に気にした様子もなく尽きない興味で洞窟を眺め回す。
「だから、まだまだこのどうくつは続くよ?」
「…そういうことか~つまんないなあ」
アルトリウスの言葉に、水筒を取り出していたアルトリアが口をとがらせて言った。
延々と続く洞窟を過ぎ、やがて洞窟は少し広がりを見せ始めた。
それまで後ろに居たアルトリアが期待感に胸を膨らませ、アルトリウスと先頭を変わって進み始める。
しばらく指向灯をかざしたアルトリアの先導ですすむと、それまで下りだった洞窟が平坦となり、更には左右へ広がりのある洞窟を流れる地下水脈が姿を現した。
「わ、地下水はっけん~」
「そうだね、けっこう深いみたいだから気をつけて」
「わかってるって~」
歓声を上げたアルトリアに注意するアルトリウスであったが、その言葉を背で受けたアルトリアは、返事をしながらも地下水流の縁へと駆け寄ってその水を眺め、手に掬う。
「う~ん、冷たいっ」
季節にあまり影響を受けないはずの地下水の水温だが、やはり北辺山脈からの水だけあって温かくは無いようで、パシャパシャと水を跳ね上げていたアルトリアはそう言うとすぐに手を振って水を切った。
相変わらず洞窟の大きさはそれ程でも無く、地下下水道とあまり変わらない。
地下水脈もこの辺りは流れも穏やかで、真っ暗闇を清冽な水の流れる様子は普段元気が有り余る程のアルトリアをも荘厳な気分にさせるには十分である。
未だ遠くから聞こえる、同じ水流によると思われる轟音は、おそらく上流方向から聞こえて来るものだろう。
ふと何かに気が付いたアルトリアはアルトリウスを近くへ呼び寄せると、燧石を取り出しておいてから指向灯の火を吹き消した。
「な、何してるのっ?」
「だいじょうぶだよ」
万が一真っ暗闇であった事を考え、すぐに火を灯せるようあらかじめ燧石を取り出しておいたアルトリアであったが、アルトリウスの焦る声よりも早く、それが不要であった事を確信する。
「あれ?」
次いで出たアルトリウスの怪訝な声に、アルトリアはにっと笑みを浮かべて振り返った。
「へへ~やっぱりね…ここも大ちょすいそうと同じ光があるよっ、だいぶ暗いけどね」
アルトリアの言うとおり、仄かな青い光が水面下より射している。
その光量は大貯水槽とは比べものにならない程少ないが、目が慣れてくれば足元を確認する事は造作も無い。
「…大ちょすいそうの光はアクエリウス様のえいきょうでの光だけど…ここは?」
「他にせいれい様がいるのかも知れないねっ」
不思議そうに地下水流を覗き込んで光の出所を確認しているアルトリウスに、アルトリアが言うと、しばらく地下水流をしゃがみ込んで覗いていたアルトリウスが答えた。
「うん…大きくは無いけど…確かにせいれいって言うか、そんなふしぎな力を感じる…悪いものじゃなさそう」
「えっ、ホント?じゃあ、会えるかなあ?」
アルトリウスの言葉に嬉しそうに応えるアルトリア。
アルトリウスはその容貌と一緒に、母親である太陽神殿大神官のエルレイシアから力を大きく受け継いでおり、修行中の身でありながら既に此の世にあらざる物や神々、精霊達との交信や交流が出来る程にまで力を高めている。
一方のアルトリアは力の素養はあるものの、それほど強い物は持っていないらしく、神官としての修行は積んでいないのだ。
その一方、旺盛な好奇心と運動神経を存分に生かし、北の護民官でありヤマト剣士でもある父親のハル・アキルシウスから武術の手ほどきを受けている。
父親とは異なり剣術に才を見せ、今や10才の身でその辺のごろつきや新任兵士程度では相手にならないぐらいの実力を身に付けているのだ。
それを手紙で知った秋瑠源継が、成長の暁には群島嶼でヤマト剣士として修行してはどうかと打診してきた程である。
ただ、力は小さいが見る事の出来る精霊が幼い頃から大好きで、大精霊アクエリウスはもとより、そのアクエリウスに付随する大小の精霊達とアルトリウスを通じて交流するのが大好きという変わった面もあった。
「それはわからないよ…相手しだいじゃないかな?」
そんな妹の様子に苦笑しつつ、アルトリウスが立ち上がって答えると、アルトリアは不満げに口をとがらせて言う。
「ぶ~っ、いつもアルトリウスはそればっかり!」
「しかたないじゃない…相手があいたくなければ姿もあらわしてくれないんだから」
「それはそうだけど…」
「で、どうするの?どっちへ行く?」
アルトリウスは持参していた白墨で岩壁に道導を記しながら不満そうな妹へ問い掛けると、アルトリアはしばらく水流の流れを見つめた後に左右を確かめ、右手を示した。
「じょうりゅうへ行こう!大きな音もそっちからするし」
「そうだね…下流はたぶんエレール川の方向だから、じょうりゅうの方が良いかも」
自分の提案に同意してアルトリウスが頷きながら言うと、アルトリアはにこっと笑みを浮かべ、拳を上げて宣言する。
「じゃあ決まりっ!じょうりゅうへ出発!」
シレンティウム地下水道、地下の滝
轟音と共に丸い滝壺へ大量の水を落とす地下の滝は、散らす細かい水しぶきが青い光に乱反射し、まるで下から青い光の粒が湧き上がっているかの様な、不思議で現実離れした光景を作り出していた。
滝自体の落差はそうでもないが、地下にある物としては幅も広く、水量も豊富で心地よい冷たさで周囲を満たしている。
周囲の固い岩盤はかっちり人の手によって削られたかの様な見事な造形で、加えて平らに均されており、アルトリウスとアルトリアはシレンティウム市街の街路を歩いているかの様な感覚にとらわれた。
先程までとは異なり、蝋燭の炎を圧する光量にアルトリアはすぐ指向灯を吹き消す。
「すご~い…」
「………」
その光景に感嘆の声を漏らすアルトリアと、声を失うアルトリウス。
しばらく滝に見とれていた2人の周囲へ、不思議な光の玉が一斉に集まりだした。
明らかに滝壺からの青い光に反射した水飛沫などではないその光は、ふわふわと2人の周囲を飛び回り、左右に集まり、そして顔の前に集まる。
ぽわぽわと周囲に浮かぶ不思議な光をじーっと見ていたアルトリアが歓声を上げた。
「あっ!小さいようせいさんだっ」
「…すごい数だね」
自分たちの周囲へ集まってきたのは、おそらくこの地下水路にいる精霊や妖精達であろう。
緑や青、茶色に灰色の薄い光を纏った形も無いモノ達が、この闖入者達を珍しがって集まって来たらしく、悪意は感じられない。
ただ物珍しさと好奇心から集まってきたと言った風情であるが、数が多い。
この地下水路が古くからある物で、しかも人の手が一切入っていない貴重な場所である事がこの精霊や妖精の数で分かろうというものだ。
「すごいなあ…」
妖精達に手を差し出し、その上に乗せて喜んで笑っている妹を見ながら、アルトリウスは周囲を見渡す。
これだけ数多くの妖精や精霊がいるのであれば、この地を統べる大精霊がいてもおかしくないからで、ひょっとしたらこの滝壺がその精霊の宿る場所かもと思い始めたからだ。
人に触れた事のない精霊は荒ぶるモノも多く、危害を加えられる事もあると聞くが、集まってきたその眷属であろう精霊達を見る限りその危険はないだろうとアルトリウスは考える。
しかし、眠りについている可能性もある。
「そう言った場合は起こさない方が良いんだけど…」
とつぶやいた途端、周囲にいた精霊達が一斉にかき消えた。
「あれ?」
『我が子達よ心するが良い…この地を統べる精霊を圧した魔獣が近寄って来ておるぞ』
驚きの声を上げたアルトリアの肩に、白い光を纏った小さな帝国人の将官が現れ、厳しい警告の言葉を発する。
確かに現れた悪意ある気配にアルトリアが咄嗟に剣を抜き、アルトリウスが顔を強ばらせて杖を構えた。
満足そうに頷いたその小さな帝国人将官は自身も小さな剣を引き抜き、2人が背嚢を置いて急いで岩壁の片隅に隠すのを見てから口を開いた。
『油断するではないぞ、我が力を貸そう』
「…だれ?」
緊迫した雰囲気を纏いながらも問いかけるアルトリアに、にっと口角を上げると、その小さな帝国人将官は徐に口を開く。
『名は無い、名は我が意志を継ぐ者の子達へくれてやったのでな。我はこの上の都市の守護聖人であった者の欠片だ、我の顔を彫像で見たことはあろう?』
確かに、シレンティウムの中央広場に最近設置された都市の守護聖人の像にそっくりの顔立ちに古臭い帝国風の鎧兜、おまけに浮かべた不敵な笑みまで寸分違わない。
「…ほんものなの?」
「あやしいけど、あやしすぎてうたがう気にならない…」
アルトリアとアルトリウスからそう評価され、笑みを苦笑へと変えて守護聖人の欠片は答えた。
『なかなか手厳しいが、確かに本物ではないが偽物でも無い。あくまで我は欠片だ…そうだな、セグメンタスと呼ぶが良い』
ようやく名乗る守護聖人の欠片ことセグメンタスは、キッと前に向き直って緊迫した声を上げた。
『…おしゃべりはここまでだな、来るぞ!』
驚く2人を余所に鋭い注意喚起の言葉を後半に発し、セグメンタスが剣で示す方向には盛り上がる滝壺があった。
滝壺の水が割れ、中から6つ足で黒い粘着液にまみれた肌を持つ、醜悪な両生類と思しき巨大な魔獣が現れ、アルトリウスとアルトリアのいる岩棚へとゆっくり上ってくると、尖った歯の生え揃った大きな口を薄く開いた。
その醜悪な容姿と巨大さに息をのむ兄妹を余所に、笑みを浮かべた様な大きな口から、黄色い息がゆっくりとはき出される。
「毒の息っ?」
「…悪しき空気を祓い、良き空気こそ満たし賜え、洗空術!」
口元を覆って下がったアルトリアに代わり、アルトリウスがそう唱えて杖を振りかざすと、周囲に見えない空気の壁が張り巡らされ、魔獣の吐いた毒の息が遮断されると同時に消されてゆく。
『ほう…太陽神官の術か…兄よ、幼き者にしてはなかなかやるではないか』
セグメンタスはそう感心した様にアルトリウスを褒めると、次いでアルトリアに顔を向けて言葉を発した。
『妹よ、良いか?あの魔獣の弱点は前足と中足の間、そこの腋から剣を突き込めばヤツの心臓に達する。我と兄とでヤツを牽制するから、妹は隙を見て剣を突き込め、良いな?』
「…分かった、やってみる」
『おう、その意気である』
こくりと頷き、剣を握りしめたアルトリアに笑みを向け、セグメンタスはアルトリウスへと言葉を向ける。
『…では、兄よ雷撃の術は使えるか?』
「はい、つかえます」
『大したものだな…ならば良し、我に構わず術を掛けよ、我がその詠唱の時間を稼ぎだそう…では参る!』
アルトリウスが返事をすると、セグメンタスは声を発した瞬間消えたと思うと、その小さな身体を一瞬で魔獣の眼前に移動させた。
そして力一杯小さな白く輝く剣をその目へと突き刺す。
『おうりゃあ!!』
ごえええええっ!!
気合いの入った一撃を加えられた、魔獣がすさまじい悲鳴を上げる。
そしてその一撃を加えたセグメンタスを追って口から粘膜を吐き出し、6本足を使って叩き潰そうと大暴れを始めた。
セグメンタスは素早く飛び回って粘膜から身を躱し、迫る手足に切りつけて巧みに魔獣の注意を自分へと引きつける。
アルトリアは巧みに自分へと攻撃を引きつけるセグメンタスの反対方向へと回り込み、アルトリウスはその時間を利用して雷撃術の詠唱に入った。
術力を高め、集中して自分の手と杖にその術力を集中させたアルトリウスは、静かに詠唱を開始する。
「天地に渡る神子の雷、神々の怒りを不浄なるもの達へと降し賜え…雷撃!」
そして瞑っていた目を開き、ちょうど横腹を向けようとしていた魔獣に杖をかざすと、飛び交うセグメンタスを気遣いながらも術力を解放した。
空中からぱりぱりと音が鳴り、そして眩い光と共に雷鳴音が轟き三条の雷が魔獣の身体へ落ちる。
ぎょおおおお!!
不気味な叫び声を上げ怒りに身体を震わせ、標的をセグメンタスからアルトリウスへと変えた片眼となった魔獣。
「あれ、あんまりきいてない…」
『むう、いかん!』
思い切り術力を込めて放った雷撃術が大した効果を上げていないことに衝撃を受けたアルトリウスが呆然としてつぶやく。
向かってくる魔獣に反応を示さないまま、避けようとも逃げようともしないアルトリウスの姿に焦ったセグメンタスが慌てて魔獣の背中に剣を突き立てるが、魔獣は大して反応もせずに突き進む。
『悔しいがかつてのようにはいかんか、兄よ、逃げるのである!』
間近に迫った魔獣と、セグメンタスの怒声にようやく慌てたアルトリウスが逃げようとするが、術力を使い切っていたこともあり、またいきなり走り出そうとした事から足がもつれて転んでしまった。
「アルトリウス!?」
アルトリウスの様子と、その術がさして効果を発揮し無かったことに焦るアルトリアは魔獣へ突っ込む事に躊躇する。
しかし魔獣の面前に躍り出たセグメンタスが魔獣の顔面を小さな白い剣で切り裂いて叫んだ。
『構わんである!妹!突き込むであるっ!!』
「く…いやーーっ!!」
顔を切られてのけぞった魔獣の脇腹目がけ、一瞬ためらいこそしたもののアルトリアがセグメンタスの言葉に背を押されて剣を構え、気合い諸共一直線に突っ込む。
どすんと言う重い音と共にアルトリアの神速の突きが魔獣の脇腹に狙い過たず突き刺さった。
がうぇええええええ!!!?
奇っ怪でおぞましい断末魔の叫び声を上げてもがく魔獣であったものの、アルトリアが構わず剣をねじ込むとその動きが止まり、同時に何かの割れる感触が剣を通じて伝わってくる。
そして柄まで埋まった剣によって動きを止めた魔獣は、次の瞬間地響きを立てて倒れ伏した。
慌てて飛び退くアルトリアの目の前で、魔獣は黄色い煙を身体中から噴き上げ、やがてそれは渦となって舞い、最後にシュッと音を立てて上方へと消え去った。
魔獣の身体は欠片ほども残らず、その倒れた場所には小さなイモリの干涸らびた死骸があるばかり。
見ればどうという事は無い普通の4本足の小さなイモリである。
アルトリウスとアルトリアが呆然とその死骸と天井を交互に眺めていると、セグメンタスと名乗った小さな帝国人将官がふわりとアルトリアの肩へと舞い降りた。
『うむ、ご苦労だったな兄妹よ…見事である!この手柄は誇って良いぞ』
「セグメンタスさん…でしたっけ。これ何なんですか…?」
腰を抜かしたままのアルトリウスがイモリの死骸を指さしながら問うと、セグメンタスはもったいぶった様子で剣を納め、腕を組みつつ答える。
『うむ、遙か昔、ここへ迷い込んだイモリが餌も無いこの地下水道で哀れ死のうとしていた。そこへ興味から近付いた精霊が居ったのだが、このイモリ、ひもじい一心でその精霊を食い殺してしまったのだな…精霊を喰ったところで栄養にはならんから、生物としてのイモリは死んだが魔獣となったイモリは残った、死を受け入れられ無かったそのイモリは精霊を喰い続け、その力を取り込んでとうとうこの場所から本来の主である大精霊をも追い出してしまったという訳だ…まあ、最早甦ることもあるまい。よくやったぞ』
「すっごいね~そんなことってあるんだ!」
「…その辺の仕組みをもっとくわしく知りたいですセグメンタスさん」
今やセグメンタスの存在に疑問を抱かない2人。
アルトリアから物知りぶりをほめられ、アルトリウスからその仕組みやさらに他の知識を求められてセグメンタスは、戻ってきた精霊や妖精達の光を浴びつつ、得意満面の笑顔でいろいろと語り出すのだった。
シレンティウム地下水道、地下の滝改め、清けし貴水の滝
『おう…そなたら、そろそろ戻った方が良いのでは無いか?』
「え?もうおわりですか?」
「…つまんない」
時間の経過を感じ取ったセグメンタスが言うと、泣きそうな顔で口々に言うアルトリウスとアルトリアの2人。
『う…そのような顔で見るのでは無い、名残惜しくなるでは無いか…』
その2人の顔に情けなく顔をゆがめたセグメンタスだったが、精霊や妖精達が飛び交う中しばらく悩んだ後に口を開いた。
『いや、一度帰るが良い』
「「そんな~」」
変わらなかった結論に口をそろえて不満を述べるが、今度はセグメンタスも乗ってこない。
『わはは可愛いヤツよ…まず心配いらんである。我は何所にでも居るが何所にも居らぬもの、守護聖人の欠片、セグメンタスである、会おうと思えばいつでも会えるがいつでも会える訳では無い』
「わかんない~」
「それってむじゅんしていませんか?セグメンタスさん」
難しい言い回しに今度は口を揃えて理解出来ない事を述べる2人に、セグメンタスはさわやかな笑顔を向けて言葉を継いだ。
『そうは言っても、我はそういうモノだから仕方が無いのである…太陽神の力の届き難いこのような地下であったればこそお主等にも会えたのだ、あまり無理を言って困らせてくれるな』
まだ不満げであった2人だったが、会えない訳では無いのだと言う事を理解し、ようやく不満を納める。
そしてアルトリウスがふと気がついて尋ねた。
「…太陽神様の力がとどきにくいから、さっき魔獣に術がきいていなかったんですか?」
『うむ、良いところに気がついた、確かにそれもある。しかしヤツは粘膜が分厚くて大概の術や攻撃は跳ね返してしまうのである。それ故に雷撃術でヤツの粘膜を取り除いておいて、妹の攻撃を通りやすくしたのだ。協力しなければヤツは倒せなかったろうな。もちろん我一人ではとうてい無理である』
「そういえばねばねばしなかった」
「…そういうことかあ…」
セグメンタスの戦闘解説にようやく納得する2人は互いの顔を見合わせていると、セグメンタスが徐に口を開く。
『では最後に大精霊の復活を見てゆくが良い』
セグメンタスの言葉が終わると同時に、滝壺の下から青い光があふれ出した。
その光は次第に強くなり、辺り一面を覆い尽くす。
周囲の精霊や妖精達も一斉に乱舞し始め、滝壺の水飛沫と混ざって、辺りはまるで異界に居るかの様な幻想的な光景となった。
そして滝壺の中心に丸く青い点が現れ、その点は次第に強い光を真上に放ちつつ水面近くへと上昇し始める。
精霊や妖精達が集まり、ついにその頭部が滝壺の水面から姿をあらわした。
その姿は青くほっそりとした身体に綺麗なクリフォナム風の青色の長衣を身に纏い、額にはこれまた青い額冠を掛け、長い黒髪を後ろへと流した美しい女性形態である。
瞑っていた目が開かれ、その瞳が正面にいる3人を視界に納めると、ゆっくりと言葉を発した。
『あなた方か…私を長い悪夢から解き放って下さったのは…?』
兄妹が光景に圧倒されて言葉を発せずにいる間に、その大精霊は水面まで浮かんで岩棚に座っていた兄妹とセグメンタスの近くへとやって来ると、静かに3人を見つめ、深く頭を垂れる。
『…ありがとう、私はこの地下水道を統べる精霊、清けし貴水のクアラ。あなた方にこの地下水道よりも大きく深い感謝を捧げます』
『そうですか…あの大イモリの魔獣をそのような方法で倒して下さったのですか…』
セグメンタスや兄妹の説明を聞いてようやく事の成り行きを把握したクアラは、再度深く感謝の念を示す。
『御礼…と言うほどのことも私には出来ませんが…これから上の地に供給する水と温泉の量をこちらで増やして差し上げましょう』
『ほう…その様なことが可能なのであるか?』
兄妹より先にその話に興味を示したセグメンタスが言うと、クアラはにっこりしてセグメンタスを見ながら言葉を継いだ。
『はい、アクエリウスには私の方で話を通しておきましょう…彼女も元は私の眷属でしたが…良き出会いに恵まれたようですね?』
その言葉を聞いたセグメンタスが、頭をかきながら面はゆそうにしているのを見た兄妹は小さな声で話し合う。
「何だろうね?良いことかな?」
「きっとすてきなことじゃない?」
「うん、セグメンタスさん、うれしそうだもんね…」
そんな2人に笑顔を向け、クアラは両手を差し出し、兄妹が手を差し伸べるように目で促し、2人が恐る恐る両手を上にして差し出すと、笑みを深くして口を開いた。
『よい子達ね…小さな友人達、あなた方にはこれを差し上げましょう』
そして左手から丸く青いガラス玉の様な不思議な珠をアルトリウスに、右手から青い不思議な金属で造られた剣の鍔をアルトリアに渡す。
『青い珠は術力を高め、術者の負担を軽くしてくれる効果があります…青い鍔は剣の重さを軽減し、剣士の身体能力を上げる効果があります。両方とも壊れる可能性もありますからね、大事にして下さい』
「あ、ありがとうございます…」
「ありがとうおねえさん!」
おっかなびっくり礼を言うアルトリウスと、満面の笑みを返しながら言うアルトリアの頭をそれぞれ撫で、クアラは笑顔のまま言葉を継ぐ。
『では、私はこれで去ります…気をつけてお帰りなさい』
周囲に精霊や妖精をまとわりつかせながら滝壺へと去るクアラを手を振って見送るアルトリウスとアルトリア。
2人の冒険はこれで一応の完結を迎えたのである。
クアラを見送り、しばらく余韻に浸っていた3人だったが、セグメンタスが徐に口を開いた。
『さて…我もそろそろ…』
「え~?」
「どうしてっ?」
『…それが定めなれば、と言うところであるか?まあ心配要らぬ、また助けが必要なときは呼ぶが良い。ただあまり危ない事はしてくれるなよ?その方等の父母が悲しむのは見たくないのである』
今度は2人の抗議にも動じること無く苦笑を返し、セグメンタスはそう言うとぱっと右手を上げた。
『ではさらばである…そなた等兄妹の活躍を見守っておるぞ』
小さいが白く眩い光を放ち、消え去るセグメンタス。
2人が御礼を言う前にはもういなくなってしまっていた。
「なんか他人って感じがしないなあ…あのおじさん」
「アルトリウスも?私も~なつかしい感じがしたっ」
アルトリウスが考える様に言って自分の手を見つめていると、アルトリアも自分の手を見つめていた。
なんだか懐かしい感触を思い出した様な気がしたのだ。
「…また会えるよね?」
「だいじょうぶ、あのおじさんはウソつかない気がする」
アルトリアの少し寂しげな表情を見て、アルトリウスは見つめていた自分の手を握りしめてから、そう断言した。
「じゃあ…帰ろうか?」
「わかった~」
滝を見上げる2人。
ここで今日あった事を話しても誰も信じてはくれないだろう。
しかし2人は確かにここで得がたい経験と冒険をした。
他人が信じなくともそれはそれで十分。
全てを知っているモノがたくさんいるのだから。