第5話 【初夜】抱き枕確定。俺の貞操は別方向で死ぬ
夜が来た。俺、蓮にとって、人生で最も長い夜が。
康寧殿(王の寝殿)の重厚な扉が、ギィィ……と閉まる。世話係の女官たちが下がり、広い寝室には俺と、この国の支配者である炎の二人だけが残された。
「……」
「……」
沈黙が痛い。部屋の中央には、キングサイズの豪華な寝台。そして目の前には、薄い寝間着一枚を纏い、全身から陽炎のような熱気を放っている猛獣がいる。
(……詰んだ)
俺は祭壇に捧げられた生贄の羊のごとく震えていた。今までは勢いで誤魔化せた。だが、今は正真正銘の「初夜」だ。王の女(男だけど)として、夜のお勤めを果たさなければならない。
(服を脱がされたら終わりだ……。ついてはいけない「アレ」がバレた瞬間、俺の人生は『THEEND』だ!)
俺が冷や汗をダラダラ流していると、炎が動いた。ゆらりと、こちらへ近づいてくる。
「……尚宮よ」
俺のことか?!低く、艶のある声だ。
「は、はいぃッ!?」「何をしている。……早く来い」
炎が寝台を指差した。直球すぎる。ムードも情緒もへったくれもない。
「あ、あの!殿下!わ、私、心の準備がまだ……その、初めてなもので!」
俺は必死に後ずさった。乙女ゲーのヒロインみたいなセリフを吐いている自分が情けないが、背に腹は代えられない。
「うるさい」
炎は問答無用だった。俺の腕をガシッと掴むと、そのまま強引に寝台へと引きずり込んだ。
「ひゃっ!?乱暴ですぅ!」「黙れ。……暑いのだ」
炎は俺を布団の上に押し倒した。覆いかぶさる巨体。至近距離で見下ろす、整いすぎた顔。金色の瞳が、ギラギラと欲望(※冷気への渇望)に燃えている。
(食われるッ!!)
俺がギュッと目を瞑り、重要機密(股間)を死守しようと身を固くした、その時。
ドサッ。
「……あ、あつい……?」
痛みが来ない。代わりに、巨大な温かい塊が、俺にまとわりついてきた。
目を開けると、炎が俺を抱き枕のように抱え込み、俺の首筋に顔を埋めていた。
「……ふぅぅ……」
深いため息。それは、甘く艶いた吐息ではなく、サウナから上がって水風呂に飛び込んだオッサンのような、心からの「安堵」の声だった。
「……ごくらく……」
「……は?」
「動くな。……ああ、冷たい。生き返る……」
炎は俺の手足を自分の体でロックし、全身を密着させてきた。俺の【氷】の魔力と、炎の【熱】の魔力が触れ合い、ジュワジュワと心地よい水蒸気が上がる。
(……あれ?)
俺は拍子抜けした。こいつ、俺に手を出す気なんてサラサラないぞ。ただ単に、「人間冷却ジェルシート」として活用しているだけだ。
「……あの、殿下?これだけ、ですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、炎は閉じていた目を開けず、夢見心地で呟いた。
「他に何がある。……余は眠いのだ」
炎の腕の力が、少しだけ弱まった。代わりに、縋り付くような弱々しさが混じる。
「……毎日、身体が焼けるように熱い。誰も余に触れられぬ。触れれば火傷する」
彼の声は、独り言のように静かだった。
「余は、ずっと一人だった。……眠ることも、誰かの肌の温もりを知ることもなく」
(……!)
俺はハッとした。「暴君」と恐れられるこの男の実態。それは、強すぎる魔力のせいで誰とも触れ合えず、不眠と高熱に苛まれ続けてきた、孤独な病人だ。俺という「冷たい存在」は、彼にとって初めて触れられる他者なのだ。
「……お前は、燃えない」
炎が、俺の背中に回した手に力を込めた。
「お前だけが、余を拒絶しない。……心地よい」
その言葉には、飾り気のない本音が滲んでいた。俺の心臓が、恐怖とは違う意味でトクリと跳ねた。
(……なんだよ、それ)
そんなしおらしいことを言われたら、逃げるに逃げられないじゃないか。俺は男だ。こいつを騙している。でも、今この瞬間だけは、こいつの熱を冷ましてやれるのは俺しかいない。
「……分かりましたよ」
俺は抵抗するのをやめた。強張っていた体の力を抜き、自分からも少しだけ、冷気を強めてやる。
「今日は特別ですよ。……ゆっくり寝てください、暴君様」
「……ん」
炎の呼吸が深くなり、すぐに規則正しい寝息へと変わった。秒速入眠だ。のび太か。
広い寝台の上、男二人が密着して寝ているという異様な光景。だが、そこには確かな安らぎがあった。
(ま、今夜はこれで許してやるか)
俺は炎の熱を適度に吸い取りながら、天井を見上げた。とりあえず、貞操(男バレ)の危機は去った。だが、俺はこの時、気づいていなかった。
この「安心感」こそが、炎の俺に対する執着を、「機能」から「依存」へと変えてしまう危険なトリガーだということに。
「……重いな、しかし」
俺は文句を言いながらも、その温かさを嫌だとは思えなかった。
(第5話完)




