第2話 暴君の「抱き枕」に任命されました
「……んぐ、苦しい……」
翌朝。俺、蓮は、金縛りにあったような重苦しさで目を覚ました。
状況を確認する。場所はボロ屋。そして俺の腹の上には、昨夜乱入してきた「人間暖房器具」こと謎の男が、ガッツリと乗っかっている。
「……すー、すー……」
男は幸せそうに寝息を立てていた。俺の冷たい体温がよほど気持ちいいのか、手足を俺に絡め、顔を俺の胸に埋めている。まるで、お気に入りのぬいぐるみを離さない子供だ。
(……いや、重いって)
俺が身じろぎすると、男は不機嫌そうに唸り、さらにギュウッと抱きついてきた。俺はタコに捕まった哀れなカニか何かか。
その時だ。
「——殿下!!殿下、いずこにおわしますかーーッ!!」
外から、静寂を引き裂くような怒号が響いた。ドカドカと近づいてくる複数の足音。そして、
バァァン!!
ボロ屋の壊れかけの扉が、完全に蹴り飛ばされた。
「ここだ!気配があったぞ!」
雪崩れ込んできたのは、煌びやかな官服を着た老人と、武装した兵士たちだ。老人の帽子には、王の側近である内官の長、尚膳を示す飾りがついている。
尚膳といえば、王の身の回りの世話を一手に引き受ける内官(宦官)のトップだ。常に王のそばにいる、いわば「王の影」とも言える最高権力者の一人。そんな雲の上の存在が、なんでこんなゴミ捨て場に?
尚膳は、部屋の惨状を見て、そして俺たちを見て、目を見開いた。正確には、薄汚れた女装男(俺)に乗っかっている男を見て、だ。
「...!、殿下……!?」
……はい?今、なんて?殿下?
俺の思考がフリーズする。殿下って、あの?気に入らない臣下をキャンプファイヤーにするという、あのイ・ヨム王?こいつが?
(お、終わった……)
俺は血の気が引くのを感じた。王様の下敷きになり、さらに「重い」と文句を垂れていた不敬罪。これは打ち首だ。いや、焼き討ちだ。
「き、貴様ッ!!」
護衛の武官が、抜刀して俺に向けた。
「どこの馬の骨とも知れぬ下女が、殿下の御身に触れるとは!貴様、何をした!妖術か!?」
「ひっ、ち、違います!勝手に入ってこられて……!」
「黙れ!その穢らわしい手を離せ!」
武官が俺の襟首を掴もうと手を伸ばす。殺される!俺がギュッと目を瞑った、その瞬間。
「——うるさい」
地獄の底から響くような声が、部屋の空気を震わせた。俺の上に乗っていた「死体」が、ゆらりと身を起こしたのだ。
武官の動きが止まる。尚膳たちが、バタバタと床に額をこすりつけた。
「「「殿下!!」」」
炎は、上半身を起こして乱れた髪をかき上げた。その表情は、不機嫌そのものだ。だが、顔色は驚くほど良く、肌はツヤツヤである。どう見ても「めっちゃ快眠しました」という顔だ。
炎は、俺を睨みつけている武官を見て、目を細めた。
「誰が、騒いでよいと言った」
「も、申し訳ございません!ですが、その怪しげな女が殿下を……直ちに処刑し、身元を……」
武官が再び俺に剣を向けようとした瞬間。
ゴォッ!!
「うわぁっ!?」
炎が軽く手を振ると、武官の剣が赤熱し、ドロリと溶け落ちた。俺の目の前で。物理的に。
(ヒェッ……魔法レベルが違いすぎる……!)
俺が震えていると、炎は俺の腰を抱き寄せ、自分の懐に囲い込んだ。
「こいつは、余のものだ」
「は……?」
全員の思考が停止した。炎は俺の首筋に鼻を押し付け、深呼吸をする。ひんやりとした俺の冷気を吸い込み、ウットリと目を細めた。
「こいつがいると、頭が冷える。……余の『熱』が引いたのだ」
その言葉に、尚膳がハッとする。王が長年、呪いの熱で不眠に苦しんでいることは、側近中の側近しか知らない秘密だ。それが、こんな薄汚い女(男だけど)のおかげで解消された?
「で、では殿下……その娘を……?」
炎はニヤリと笑い、俺を強く抱きしめた。
「連れて行く。……輿を持て」
「は、はいぃ!?しかしその者は、どこの誰とも知れぬ見習い女官のようで……身なりも……」
「見栄えなどどうでもいい。余に必要なのは『機能』だ」
炎は俺を軽々と横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこだ。ただし、抱かれているのは厚化粧が崩れ、服がヨレヨレの女装男だが。
「——今日より、この者を承恩尚宮とする」
尚膳たちが息を呑んだ。
(す、スンウンサングンだって……!?)
俺も思わず目玉が飛び出そうになった。承恩尚宮。それはただの女官ではない。「王の聖恩(夜のお世話)」を受けた女官だけに与えられる特別な称号だ。側室ではないが、一般の女官とは一線を画す「王の女」認定。つまり、「ゴミ捨て場の見習い」から「王の愛人」への、奇跡の5階級特進だ。
「え、あ、あの……王様?私、そんな……」
俺が抗議しようとすると、炎は俺の耳元で低く囁いた。
「黙っていろ。……余から離れれば、貴様など一瞬で消されるぞ」
「ッ……!」
脅しではない。事実だ。周囲の官吏たちは、「なぜあんな泥のような女が!?」と殺気立っている。炎の腕の中だけが、唯一の安全地帯だった。
「行くぞ、抱き枕」
炎は堂々と歩き出した。ボロ屋の外に出ると、朝日が眩しい。昨日の夕方、俺を「ゴミ」扱いしたあの尚宮が、口をパクパクさせて震えているのが見えた。
(……ざまぁみろ!)
俺は心の中で中指を立てた。だが同時に、冷や汗が止まらない。
王の「お気に入り」に任命された。これはつまり、毎晩「夜のお勤め」があるということだ。服を脱がされ、肌を重ねるアレだ。
(……待てよ。風呂に入るとき、男だってバレるんじゃ……?)
シンデレラストーリー?ふざけるな。これは、バレたら即死のデスゲームの開幕だ!
(第2話完)




