第13話 【混浴露天】一番バレる場所で霧を張れ
「……さあ、脱げ」
炎の一言が、処刑宣告のように響いた。場所は、岩場に囲まれた秘湯。硫黄の香りが立ち込める源泉掛け流しの露天風呂だ。景色は絶景だが、俺にとっては地獄の釜にしか見えない。
「あ、あの……殿下。やはり私は……」
「まだ言うか。余を待たせるな」
炎はすでに衣服を脱ぎ捨て、腰に布一枚の姿になっている。その肉体は、彫刻のように美しく、無駄な贅肉がない。そして全身から、陽炎のような熱気を発している。
(くそっ、いい体しやがって!こっちは見せられないものだらけなんだよ!)
俺は更衣室の岩陰に隠れ、冷や汗をダラダラと流した。拒否権はない。ならば、作戦は一つ。「視界ゼロ作戦」だ。
「……分かりました。ですが殿下、私は恥ずかしがり屋なので……先にお湯に入っていてください。絶対にこっちを見ないでくださいね!」
「……ふん。面倒なやつだ」
炎は鼻を鳴らし、ザブンと湯船に浸かった。そして、岩に背中を預け、空を見上げる。
(今だ!)
俺は目にも止まらぬ速さで服を脱ぎ捨て、布で前(股間)を厳重にガードし、猫背で胸(平坦)を隠しながら、小走りで湯船に向かった。
「……淑媛、遅いぞ」「い、今行きます!」
俺は湯船に片足を突っ込んだ。その瞬間。
ジュワァァァァァッ……!!
俺の足が触れた場所から、猛烈な勢いで「白い蒸気」が噴き出した。ただの湯気ではない。俺が【氷】の魔力を全力で放出し、熱湯との温度差で発生させた、人工的な濃霧だ。
あっという間に、露天風呂全体が真っ白な霧に包まれた。視界はわずか数センチ。自分の手先すら見えないレベルだ。
「……な、なんだ?急に前が見えなくなったぞ」
「お、温泉の効能ですよ!蒸気を浴びると肌にいいんです!」
俺は裏声で叫びながら、肩までお湯に浸かった。よし。この濃霧の中なら、俺の体が男であることはバレない。あとは、この距離を保ったまま、適当に話を合わせて上がれば——。
ザバァ……。
霧の向こうから、水音が近づいてきた。
「……どこだ、淑媛。声はすれども姿が見えぬ」
「ひっ!?」
炎が。泳いで近づいてきている!
「で、殿下!来ないでください!この『ミステリアスな距離感』こそが、夫婦のマンネリを防ぐ秘訣なんです!」
「何を訳の分からぬことを。……余は、お前の肌に触れたいのだ」
炎の低い声が、すぐ耳元で聞こえた。霧の中から、ぬっと炎の腕が伸びてくる。
(マズい……捕まる!!)
捕まったら最後、密着される。胸が平らなことも、股間に余計なものがついていることも、触感でバレる!
「ええい、こうなったら……!!」
俺は魔力を暴走気味に解放した。俺を中心に、お湯の温度を一気に下げる。
パキパキパキッ……!
「む?」
炎の手が止まった。俺の周囲のお湯が、シャーベット状に凍りつき、巨大な氷の壁を形成したのだ。
「……?何をしている」
「こ、これは……新しい『冷気風呂』です!熱いお湯と冷たい氷を交互に楽しむ、最新の健康法でして!」
俺は氷のドームの中に引きこもり、必死に言い訳した。
「……ほう。お前は本当に、飽きさせぬ女だ」
炎は呆れつつも、面白がっているようだ。氷の壁をコンコンと叩く。
「だが、これでは背中が流せんぞ。出てこい」
「無理です!今出たら、温度差で心臓が止まります!」
「大袈裟な……。ならば、余が入ろう」
バリィン!!
「えっ」
炎が、攻撃で氷の壁を粉砕した。砕け散る氷の破片。霧が晴れ、目の前に炎の逞しい裸体が現れる。
「つ、捕まえたぞ」
炎がニヤリと笑い、俺の腕を掴んだ。距離、ゼロ。肌と肌が触れ合う。
(終わった……!)
俺は観念して目を閉じた。だが。
「……ん?淑媛、お前……」
炎の手が、俺の胸元に触れようとした瞬間。
ピシッ、ピシッ、ガガガガッ!!
露天風呂全体から、凄まじい音が響いた。俺の恐怖心がリミッターを外し、防御本能が最大出力で発動してしまったのだ。
一瞬にして、広い露天風呂のお湯が、すべてカチコチに凍りついた。俺と炎は、氷漬けになったスケートリンクのような湯船の中で、下半身を氷に固定されて動けなくなっていた。
「…………」
静寂。湯気すら凍ってダイヤモンドダストになり、キラキラと舞っている。
「……す、滑りますね、てへ」
俺は引きつった笑顔で誤魔化した。
炎は、胸まで氷に埋まった状態で、瞬きをした。そして——。
「く……くくくっ、はーっはっは!!」
大爆笑した。
「まさか、温泉を丸ごと凍らせるとは!ここまで拒まれると、逆に清々しいわ!」
「も、申し訳ありません……」
「よい。……お前の魔力は、やはり余を冷やすのにうってつけだ」
炎は自身の「熱」を放出して氷を溶かし、ザバァと立ち上がった。 そして、濡れた髪をかき上げながら、俺の方へ手を伸ばしてきた。
「だが、これでは風邪を引く。……来い、運んでやる」
炎の腕が、俺を「お姫様抱っこ」しようと伸びてくる。
(ッ……!?)
俺の脳内で、警報が鳴り響いた。 【危険! 接触回避せよ!】
俺は19歳の男だ。 いくら痩せ型とはいえ、身長もあれば骨格もしっかりしている。体重だって、華奢な側室たちより遥かに重い。 布一枚の状態で持ち上げられたら、「あれ? お前、重すぎないか? 背中ゴツくないか?」と、違和感でバレる!!
「い、嫌です!!」
俺はとっさに炎の手を振り払い、氷の上をペンギンのように後ずさった。
「なっ……?」
拒絶された炎が目を丸くする。
「あ、あの……わ、私、重いんです! 最近食べ過ぎて太っちゃって! 殿下の腰を痛めるわけにはいきません!!」
「……何を言う。余がその程度で——」
「それに恥ずかしいんです! こんな濡れ鼠のような姿、お見せできません!」
俺は岩場にあった巨大な沐浴布をひっつかみ、頭からすっぽりと被った。 そして、てるてる坊主のような姿でうずくまった。
「自分で歩けます! 殿下は先に行ってください! 着替えるまで絶対に見ないでください!!」
俺の必死すぎる拒絶を見て、炎は呆れたように、しかしどこか楽しげに笑った。
「……ふん。相変わらず、可愛げのないやつめ」
炎は俺の頭を布ごしにポンと叩いた。
「分かった。先に戻るぞ。……だが、湯冷めするなよ」
炎は上機嫌で更衣室へと歩いていった。 俺はその背中が見えなくなるのを確認してから、へなへなと氷の上に座り込んだ。
「……あ、危なかったぁ……」
心臓が早鐘を打っている。 お姫様抱っこなんてされたら、確実に「男の重み」で人生が終了していた。 俺は震える手で速攻で着替え、逃げるようにその場を去った。
だが。 俺たちが去った後の、凍りついた露天風呂。 そこへ、一人の老人が現れた。
真眼の老師だ。
彼は、まだ溶けきっていない氷の欠片を拾い上げ、手のひらで転がした。
「……ほう」
老師は、氷に残る魔力の残滓を感じ取り、不気味に目を細めた。
「ただの冷却ではない。……これは、高位の『氷結系魔術』。しかもこの規模とは」
老師の指先で、氷がパリンと砕けた。 彼の脳裏に、先ほどの狩りでの「見事な弓術」と、この「異常な魔力」が結びつく。
「淑媛ミン氏。……か弱き側室の皮を被っているが、その中身は——」
老師は確信した。
「——手練れの『術師』か、あるいは『刺客』か。……いずれにせよ、ただの女ではないな」
俺が必死に隠した「性別」はバレなかった。 だが、隠しきれない「強大な魔力」と「戦闘力」が、老師の疑念を致命的な方向へとねじ曲げてしまっていた。
(第13話 完)




