第12話 【狩猟大会】弓を引いたら“男”がバレかけた
「嫌です。絶対に行きません!」
俺、蓮は、更衣室の柱にしがみつき、セミのように抵抗していた。今日は帝国使節団をもてなす「狩猟大会」の日。だが、俺にとっては処刑台に向かうのと同じだ。
「駄々をこねるな」
炎が俺の腰と柱を、まとめて引っぺがそうとする。
「だって、あの老師様がいるんですよ!?先日の宴でも、私のことを『人形のようだ』とか言って疑っていたじゃないですか!また至近距離で見られたら、今度こそボロが出ます!私は『風邪を引いた』ことにして、布団の中で震えていたいんです!」
(心の声:またあの『真眼』で見られたら、厚化粧の下の性別も喉仏も一発でバレるんだよ!!)
俺の必死の訴えを、炎は「また難癖をつけられるのが怖い」のだと解釈したようだ。珍しく苦渋の表情を浮かべた。
「余もそうさせてやりたいが……無理だ。老師から直々に指名があったのだ」
「し、指名……ですか?宴で挨拶は済ませたはずでは」
「ああ。だが奴め、こう言ってきた。『宴の席での淑媛様は大変美しかったが、いささか生気がないように見受けられた。ぜひ外の空気を吸い、活発なお姿も拝見したい』とな」
「うぐっ……(完全に疑ってカマかけてきてる……!)」
「ここで断れば、帝国は『王の女はただの飾り物か、あるいは外に出せぬ事情があるのか』と吹聴するだろう」
外交カードに使われるとは。俺が出席しなければ、炎の立場が悪くなる。そう言われると、俺に拒否権はない。
「……分かりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば」
俺は渋々、柱から手を離し、用意された衣装を見た。その瞬間、俺の目が輝いた。
「こ、これは……狩衣!?」
「ああ。馬に乗るのだから、スカート(チマ)では不便だろう」
それは、動きやすい上着と、ゆったりとしたズボンだった。
(ズボン……!ああ、懐かしの股下の布……!!)
入内してから数ヶ月、ずっとスースーするスカート生活を強いられてきた俺にとって、両足が別々の布に包まれる感覚は、涙が出るほどの安心感だった。
「……仕方ありませんね。国益のため(とズボンのため)、一肌脱ぎましょう」
俺は恐怖を一時的に脳の隅へ追いやり、久しぶりの「男装(狩衣姿)」に袖を通した。もちろん、顔は「厚化粧&冷凍保存」でガチガチに固めたままだが。
狩り場には、帝国の使節団と、我が国の武官たちが勢揃いしていた。俺が炎の隣に馬を並べると、案の定、あの狐目の文官と真眼の老師が寄ってきた。
「ほほう。淑媛様、本日はご機嫌麗しゅう」
老師が、馬の上からねっとりとした視線を送ってくる。
「今日は随分と勇ましいお召し物ですな。……宴の夜の『人形』のような静けさとは違い、今日はどのようなお顔を見せていただけるのか、楽しみですぞ」
「……ご期待に添えるかは分かりませんが、精一杯、殿下のお供を務めさせていただきます」
俺は老師の目を見ないように伏し目がちに答え、炎の背中に隠れるように位置取った。老師の金色の目が、俺の背中(特に骨格や筋肉の動き)を探るようで痛い。
(こいつ、絶対俺の動きを観察して尻尾を掴む気だ……。今日は絶対に動かないぞ。俺は空気だ、俺は地蔵だ……)
「では、狩り開始!」
合図とともに、馬群が一斉に飛び出した。
狩りは順調に進んだ。炎は鬱憤を晴らすかのように次々と獲物を仕留め、俺はその隣で、必死に「か弱き側室」の演技——悲鳴を上げたり、よろけたり——をしながら、こっそりと炎の体温を冷却していた。
だが、帝国の嫌がらせは、言葉だけではなかった。
「——グルルルッ!!」
森の奥深く。突如、巨大な黒い影が飛び出した。大猪だ。しかも、目が赤く充血し、口から泡を吹いている。明らかに興奮剤か何かを盛られている。
「危ない!!」
猪の突進先は、炎——ではなく、最も弱そうに見える俺の馬だった。
ヒヒィン!!
馬が怯えて棹立ちになり、俺の体は宙に放り出された。
「淑媛!!」
炎が叫ぶ。だが、距離がある。間に合わない。地面に叩きつけられた俺の目の前に、興奮した猪の牙が迫る。
(死ぬ——!)
その瞬間。「か弱き側室」の演技プランが、俺の頭から消し飛んだ。代わりに、武門の長男として叩き込まれた「生存本能」が体を支配した。
俺は地面を一回転して受け身を取ると、近くの護衛兵が落とした弓をひったくった。立ち上がりざまに矢をつがえ、引き絞る。その動作に、迷いも、手ブレも一切ない。老師が見ている?知ったことか、今は命が惜しい!
ヒュンッ!!
放たれた矢は、吸い込まれるように猪の眉間に深々と突き刺さった。
「ブギッ!?」
巨体がズザザッと滑り込み、俺の足元で絶命した。
「…………」
森に、静寂が訪れた。俺は残心の姿勢で弓を構えたまま、ハッと我に返った。
(……あ、やっちまった)
恐る恐る顔を上げる。周囲の武官や使節団が、ポカンと口を開けて俺を見ていた。
「す、すげぇ……」
「見事だ!!あの体勢から一撃とは!」
「なんて凛々しいんだ、淑媛様……!!」
ワァァァァッ!!
予想外の歓声が上がった。特に若い武官たちが、目をキラキラさせて俺を見ている。「守ってあげたい姫」ではなく、「戦場を駆ける女神」を見る目だ。
「あ、いや、これは、まぐれで……!」
俺が慌てて弓を捨てると、炎が馬から飛び降りて駆け寄ってきた。
「淑媛!無事か!」
「は、はい……つい、体が勝手に……」「……そうか」
炎は安堵の息を吐き、そして誇らしげにニヤリと笑った。
「流石は余の女だ。……緊急時における胆力も、並の男以上とはな」
(殿下、褒めないで!これ以上ハードルを上げないで!)
だが、この熱狂の中で、ただ一人。真眼の老師だけは、笑っていなかった。
彼は馬上から、冷ややかな目で俺の「腕」と「足腰」を見ていた。
「(……あの弓の引き方。そして、落馬からの受け身。……女の筋肉の動きではない)」
老師の目が、確信めいた光を帯びる。
「(……やはり、この娘は『黒』だ)」
狩りが終わり、俺はドッと疲れてテントに戻った。猪の一件で、俺を見る周囲の目が変わった気がする。だが、そんなことより今は、一刻も早くこの厚化粧を直し、休みたい。
「……随分と汗をかいたな」
炎がテントに入ってきた。彼の手には、なぜかタオルと着替えが握られている。
「近くに天然の温泉が湧いているそうだ。……汗を流しに行くぞ」
「……は?」
俺は硬直した。
温泉。服を脱ぐ。
「で、殿下!私は遠慮します!汗くらいここで拭けば……」
「ならぬ。老師たちも『狩りの汚れを清めたい』と使節団を引き連れて向かった。……主賓である余が行かねば示しがつかん」
炎は俺の腕を掴み、ぐいと引き寄せた。
「それに……余の体が熱いのだ。狩りで高ぶった血を冷やすには、お前が必要だ」
「で、でしたら、私は女湯へ……」
「何を言う」
炎は不機嫌そうに眉を寄せた。
「お前は余の『冷却材』だぞ?離れてどうする。それに——」
炎の瞳が、暗い独占欲で光った。
「あの老師や、他の男共がいる『男湯』になど行かせるものか。かといって、女湯で他の側室や女官の目に晒されるのも面白くない」
炎はニヤリと笑い、俺にとっての死刑宣告を口にした。
「安心せよ。余とお前だけで、一番奥の『貸切風呂』を使う」
「…………はい?」
俺の思考が停止した。
貸切風呂。つまり、密室。二人きり。全裸。
(……終わった)
もし他の男がいるなら「恥ずかしい」とか言って逃げられたかもしれない。だが相手は、俺を「自分の女」だと信じて疑わない王だ。仲睦まじく二人で風呂に入るのに、拒否する理由がない。
しかし、服を脱げば——。俺の平らな胸も、ついてはいけない「一物」も、全てが王の目に晒される。
「さあ、行くぞ。余の背中を流せ」
「あ、あの、殿下!?ちょっと待って、心の準備が!!」
俺の抵抗も虚しく、俺はズルズルと温泉地獄へと連行されていった。
猪よりも恐ろしい「貞操(と正体)の危機」。俺の男バレへのカウントダウンは、残り数時間にまで迫っていた。
(第12話完)




