第11話 【王の暴走】赤竜の心臓を冷却して止めろ
「……うう、狭い」
翌朝。俺、蓮は、勤政殿の玉座のすぐ後ろ、御簾で仕切られた窮屈な空間に体育座りしていた。
目の前(御簾の向こう)には、不機嫌MAXの炎が玉座にふんぞり返っている。そしてそのさらに向こうには、昨日の帝国使節団がズラリと並んでいる。
これは正式な「謁見の儀」だ。本来、後宮の女(しかも男)がいるべき場所ではない。
「なんで俺がこんな所に……」
「黙れ。……離れるとイライラする」
炎が小声で背後に囁いた。どうやら昨晩の老師との対面でストレスが溜まっているらしい。今の炎は、ちょっとした刺激で噴火しかねない「歩く活火山」状態だ。だから俺は、緊急用の消火器としてここに隠されているのだ。
「——では、殿下」
使節団の副団長である、狐目の男が進み出た。いかにも性格の悪そうな文官だ。その横には、あの「真眼の老師」も控えている。
「本日は、我が帝国の皇帝陛下より賜った『宝玉』を献上したく存じます」
狐目の男が合図をすると、恭しく盆が運ばれてきた。そこに乗っていたのは、禍々しいほどに赤い光を放つ、握り拳大の石だった。
(……なんだあれ?見てるだけで暑苦しいんだけど)
俺が眉をひそめた瞬間、炎の背中がビクリと震えた。
「これは『赤竜の心臓』。……持ち主の『気』を高め、活力を与える希代の秘宝でございます」
男はニヤニヤと笑いながら言った。
「聞いたところによると、最近の殿下は『火』の気が弱まっておられるとか。……属国の王が腑抜けになっては困ります。そこで、この石で王の情熱(狂気)を取り戻していただこうかと」
(うわ、露骨な嫌がらせ!)
あれはただの贈り物じゃない。「火種」だ。炎のような「火の魔力」を持つ者が触れれば、魔力が共鳴し、強制的に活性化してしまうブーストアイテム。自身の熱を制御できない炎にこれを渡すなど、「ここで暴走して、狂った姿を見せろ」と言っているも同然だ!
「……ほう。余が腑抜けに見えると?」
炎の声が低くなる。すでに室内の温度が上がり始めていた。玉座の周りの空気が陽炎のように揺らぐ。
老師が、じっと炎を見つめている。王が理性を失い、臣下を焼き殺す「狂王」の本性を現す瞬間を待っているのだ。もしここで暴走すれば、帝国は「王の乱心」を理由に、炎を廃位できる。
「さあ、お受け取りを」
狐目の男が、挑発するように石を差し出した。炎の手が、怒りで震えながら伸びる。
(マズい……!あんなのに触ったら、一発で理性が飛ぶぞ!)
俺は冷や汗をかいた。炎が廃位されれば、俺もただでは済まない。それに何より——。
(今のこいつは、暴君だけど狂王じゃない。……嵌められて終わるなんて、俺が許さない!)
俺は覚悟を決めた。御簾の隙間から、そっと手を伸ばす。届くのは、玉座の背もたれの裏側だけだ。
「……ッ!」
俺は両手にありったけの魔力を込めた。イメージしろ。南極の氷河。絶対零度の吹雪。この玉座そのものを、巨大な「冷凍庫」に変えるんだ!
ブワッ……!
俺の手から放たれた冷気が、玉座を通じて炎の背中へと染み渡る。怒りで沸騰しそうな血液を鎮め、荒ぶる魔力回路を強制冷却する、精神的な氷の力。
(……受け取れ、炎!)
ビクッ、と炎の動きが止まった。伸びかけた手が、空中で静止する。
「……殿下?」
狐目の男が、怪訝そうに眉を寄せた。炎はゆっくりと深呼吸をした。その瞳から、狂気じみた赤光が消え、代わりに氷のように冷徹な光が宿る。
「……ふん」
炎は鼻で笑うと、無造作にその『赤竜の心臓』をひっつかんだ。
ジュッ……!
石が嫌な音を立てる。だが、炎の手は燃え上がらない。それどころか、俺が送り込み続ける冷気によって、炎の掌は「石の熱を相殺する」ほどに冷え切っていた。
「……ぬるいな」
炎は退屈そうに言い捨て、その宝玉をカラン、と床に放り投げた。
「なッ……!?」「皇帝陛下には感謝するが……この程度の石で高ぶるほど、余の器は小さくない」
炎は凍てつくような視線で、使節団を見下ろした。そこに暴走する狂王の姿はない。ただ、圧倒的な威圧感を放つ、冷静沈着な支配者がいるだけだ。
「そ、そんな……馬鹿な……!」
狐目の男が狼狽し、老師の方を振り返る。老師もまた、驚きに目を見開いていた。その「真眼」は、炎の体内を見て混乱しているはずだ。なぜ、これほどの挑発と増幅剤を受けて、魔力が凪のように静まり返っているのかと。
(……ぜぇ、ぜぇ……)
御簾の裏で、俺は酸欠になりかけていた。キツい。暴走寸前の活火山を無理やり冷やすなんて、重労働にも程がある。魔力の使いすぎで、指先が白く凍りついている。
「……下がれ。興が削がれた」
炎が手を振ると、使節団は逃げるように退出していった。完全に、彼らの負けだ。
扉が閉まった瞬間。
「……淑媛」
炎がガバッと振り返り、御簾を引きちぎる勢いで開けた。そして、へたり込んでいる俺を抱き上げ、強く強く抱きしめた。
「よくやった……!お前のおかげで、余は余でいられた」
「……殿下、苦しい……。あと、寒い……」
俺はガタガタと震えながら文句を言った。魔力を放出しすぎて、自分自身の体温が低下しているのだ。皮肉なことに、今は炎の体温が心地よかった。
「ああ、すまぬ。……だが、見事だったぞ」
炎は俺の冷たい頬を両手で包み、嬉しそうに笑った。
「やはりお前は、余の『理』だ。……この礼はいずれ必ずする」
俺は薄れゆく意識の中で思った。礼なんていいから、有給休暇をくれ。そして、甘い菓子を山ほどくれ。
こうして、俺たちは帝国の第一の罠を回避した。だが、これはまだ前哨戦。俺が裏で糸を引いていることに、あの老師が気づかないはずがないのだから。
(第11話完)




