第10話 【歓迎の宴】視線が痛い。胃も痛い。
「……よし。これで完璧だ」
俺、蓮は、鏡の中に映る自分を見て頷いた。そこには、能面のように白く、一切の感情(と素肌)を塗り隠した「絶世の美女」がいた。
今日の俺の顔面塗装は、いつもの三倍増しだ。白粉を何層にも重ね、その上から【氷】の魔力で皮膚を冷却。毛穴を完全閉鎖し、汗一滴、皮脂一つ出さない「絶対崩れない鉄壁の美貌」を作り上げた。表情筋すら凍らせているので、笑顔は引きつるが、ボロが出るよりマシだ。
「行くぞ、淑媛」
正装に身を包んだ炎が、俺を迎えに来た。今日の彼は、王としての威厳に満ちているが、その手はしっかりと俺の腰を掴み、冷却材としての機能を確保している。
「……あの、殿下」
俺は炎の袖をキュッと掴み、上目遣いで訴えた。
「あの老師様の目……なんだか全てを見透かされそうで、怖いです。……殿下の広い背中で、私を隠してくださいね?」
(頼むから、壁になって視線を遮断してくれ!)
俺の心の叫びなど露知らず、炎は俺の態度を「か弱き乙女の不安」と解釈したらしい。満足げに鼻を鳴らし、さらに強く腰を引き寄せた。
「ふん、愛いやつめ。……案ずるな」
炎の瞳が、ギラリと赤く光る。
「あの古狸がいかに『真眼』を持とうと、余の所有物を品定めすることなど許さん。……お前を見る権利があるのは、余だけだ」
「はい!(その独占欲、今だけは感謝します!!)」
頼もしい防壁(王様)を手に入れ、俺たちは戦場——「歓迎の宴」へと向かった。
宴会場である勤政殿は、張り詰めた緊張感に包まれていた。上座には炎と俺。そして下座には、帝国の使節団がずらりと並んでいる。彼らの態度は慇懃無礼。「属国の王になど頭を下げぬ」という傲慢さが透けて見える。
だが、俺が警戒すべきは、たった一人。使節団の最前列に座る、枯れ木のように痩せ細った老人だ。
『真眼の老師』、王厳。
長い白髭を蓄え、両目は閉じたまま。だが、その眉間には、見えない「第三の目」があるかのような異様な気配が漂っている。
「……陛下におかれましては、以前よりも『気』が落ち着かれているご様子」
老師が、閉じた目のまま口を開いた。声はしわがれているが、会場の隅々まで響くような魔力が乗っている。
「以前は、近づくだけで肌が焼けるような『熱』を発しておられたと聞きましたが……今は、まるで静かになった火山ですな」
「……余の体調を気遣うとは、帝国もお暇なようですね」
炎が杯を傾けながら、冷ややかに返す。老師の閉じた瞼が、ピクリと動いた。
「いえいえ。……ただ、その劇的な変化の『原因』が気になりましてな」
老師が、ゆっくりと目を開いた。その瞳は——白目がなく、全てが深い「金色」だった。
ドクン。
俺の心臓が早鐘を打つ。あれが「真眼」。魔力の流れ、嘘、本質を見抜く瞳。その金色の眼球が、炎を通り越し、俺を捉えた。
「……ほう」
老師の視線が、俺の全身を舐めるように這う。髪の先から、冷気で誤魔化している喉元、厚化粧の顔、そして着物越しの骨格まで。まるでレントゲンで透視されているような不快感と恐怖。
(やめろ……見るな……!俺はただの置物だ……!)
俺は必死に体内の魔力を循環させ、皮膚の温度を下げた。「男の肉体」としての生体反応を消す。俺は氷だ。俺はマネキンだ。俺は女だ。
老師が、興味深そうに立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。
「美しい……。ですが、奇妙ですな」
老師が俺の目の前で止まる。
「生命力が……感じられない。まるで、精巧に作られた『人形』のようだ」
「ッ……」
(やりすぎたか……!?)
緊張で汗が出そうになるのを、無理やり凍らせて止める。老師の手が、俺の顔へ伸びてくる。
「少し、脈を拝見しても——」
ガシッ。
老師の手が俺に触れる寸前、横から伸びてきた炎の手が、その腕を掴んだ。
「——無礼であろう、老師」
炎の声が、低く響く。掴まれた老師の腕から、ジュウウ……と煙が上がった。炎の「熱」が、警告として放たれたのだ。
「余の許可なく、淑媛に触れることは許さん」
「……おや、これは失礼を」
老師は表情一つ変えず、焼かれかけた腕を引いた。だが、その金色の目は、より一層怪しげに細められた。
「……なるほど。陛下がそのように取り乱されるとは。……よほどの『秘密』がおありのようだ」
老師の視線が、俺と炎を交互に見る。そして、ニヤリと笑った。
「あるいは……この娘が、陛下の熱を吸い取る『妖』の類ですかな?」
(!!)
そっちか!いや、男バレよりはマシだが、「妖女」認定されても処刑コースだぞ!
「……戯言を」
炎が俺の肩を抱き寄せ、これ見よがしに密着した。
「この者は、余が唯一心を許した女だ。妖術などではない。……ただ、相性が良いだけだ」
炎の熱が、冷え切った俺の体に流れ込んでくる。俺はその熱を受け入れ、自然とほうっと息を吐いた。氷と炎が混ざり合う、魔力的な快感。その様子は、傍目には濃厚な情事のように見えただろう。
「……ふむ」
老師はしばらく俺たちを観察していたが、やがて興味を失ったふりをして席に戻った。
「失礼いたしました。……ですが陛下、油断なさらぬよう。美しい花には、毒があるものです」
宴は再開された。だが、俺の背中は冷や汗(凍結済み)でびっしょりだった。
老師は気づいている。俺が「普通の人間」ではないことに。そして、俺の「中身」を暴く機会を、虎視眈々と狙っている。
(……この爺さん、絶対諦めてないぞ)
炎の腕の中で、俺は震えを止めるのに必死だった。人間クーラー生活最大の危機は、まだ始まったばかりだ。
(第10話完)




