第1話 姉上が逃げた、俺はゴミ扱い
『ごめんなさい。わたくし、幼馴染の彼と愛の逃避行に出ます。探さないでください☆姉より』
没落貴族・閔家の居間。卓の上に置かれた一枚の置手紙を見て、俺——蓮は、こめかみをピキらせた。
「ふざけんな、あのあまーーーーーーッ!!」
俺の絶叫が、貧乏屋敷にこだまする。今日は、王様への入内当日。家の外には、すでに宮廷からの煌びやかなお迎え(輿)が到着している。それなのに、主役がいない。
「わ、若様ぁぁぁ!ど、どうしましょう!?今さら『娘はいません』なんて言ったら、一族郎党、物理的に首が飛びますぅぅ!」
爺やが顔面蒼白で俺の足にすがりついてきた。俺は頭を抱えた。今の王様、炎殿下といえば、気に入らない臣下をその場で焼き殺すと噂の「暴君」だ。「娘が逃げました」なんて言ってみろ。間違いなく、我が家は更地になる。
俺は鏡を見た。そこには、姉よりさらに線が細く、雪のように白い肌をした「男(19歳)」が映っている。
「……やるしかねえ」「へ?」「俺が『ミン氏』として行く」
俺は姉の部屋へダッシュし、化粧道具をひっくり返した。男の骨格を隠すため、白粉を左官屋のように塗りたくる。紅もオーバー気味に。多少不格好なくらいがいい。目立たず、誰の記憶にも残らず、ひっそりとフェードアウトする。それが俺の生存戦略だ。
「よし、行くぞ爺や!俺の『デスゲーム』は今から開幕だ!」
宮廷、広場。極彩色の建物に囲まれたそこは、まさに別世界だった。だが、俺には感動している暇などない。
ずらりと並ばされた、全国から集められた「女官候補」たち。その前を、意地悪そうな尚宮が、値踏みするような目つきで歩いてくる。
(うわ、出たよ……)
尚宮といえば、宮中の女官たちを統率する管理職だ。実務を取り仕切る彼女たちに睨まれたら、宮廷での人生は終わる。いわば、絶対に逆らえない「お局様」だ。
そのラスボスが、俺の前でピタリと止まった。俺はわざと猫背になり、裏返った高い声を作る。
「は、はいぃ……ミンでごじゃいますぅ……」
尚宮の顔が、見る見るうちに歪んだ。
「……酷いものね」
彼女は吐き捨てるように言った。
「田舎者とは聞いていたけれど、化粧の作法も知らないとは。まるで京劇の役者ね」
「うっ……(計画通り!)」
「こんな泥臭い娘、殿下の視界に入れるわけにはいかないわ」
尚宮は後ろの女官に顎でしゃくった。
「この者は『北の廃屋』に入れなさい」
北の廃屋。その単語を聞いた瞬間、俺は内心でガッツポーズを決めた。(キタコレ!!メインストリートからの除外!放置プレイ確定!)
「そ、そんなぁ〜……」「連れてお行き!他の美しい方々の邪魔にならないようにね!」
俺は泣くふりをしながら、袖の下でニヤリと笑った。これで勝った。誰にも会わず、そのうち「流行り病」と嘘をついて実家に帰れば、俺の完全勝利だ!
案内されたのは、期待通りのボロ屋だった。埃だらけの床。穴の空いた障子。周囲に人の気配はゼロ。
「食事は後で届けさせるわ(忘れるかもしれないけど)」
案内役が去った瞬間、俺は「ふぅーッ!」と大きく息を吐き、帯を緩めた。
「っつーか、あっつ!」
俺はもともと体温が低い。その上、微弱ながら【氷】の魔力持ちだ。こんな夏の盛りに何枚も重ね着するなんて、サウナにダウンコートを着て入るようなもんだ。
「ええい、冷房開始!」
俺は指先をパチンと鳴らした。ヒュオオオ……。指先から白い冷気が溢れ出し、部屋の温度を一気に下げる。カビ臭かった廃屋が、一瞬でキンキンに冷えた快適空間(冷蔵庫)へと早変わり。
「はー、生き返るぅ……」
俺はひんやりした床にごろりと寝転がった。静かだ。誰も来ない。明日の朝には適当に仮病を使って、このままトンズラしよう。完璧な計画だ。俺って天才か?
そうして俺が、泥のように眠りこけていた深夜のこと。
——ドォォォォォン!!!
「ぶっ!?」
突然、部屋の扉が爆音と共に吹き飛んだ。木片が飛び散り、俺は飛び起きた。
「な、なんだ!?テロか!?」
土煙の向こうから、ゆらりと「人影」が入ってくる。男だ。しかも、ただの男じゃない。全身から陽炎のような熱気を立ち上らせ、目は血走っている。
「……あつい……」
男が呻いた。その熱気だけで、俺が作った冷気が相殺されていく。なんだこいつ、人間暖房器具か?
「……冷たい……ここから、匂いがする……」
男の目が、俺を捉えた。獲物を見つけた獣の目だ。
「え、ちょ、まっ」
逃げようとした俺の腕を、男がガシッと掴む。
ジュワァッ!!
「あちちちっ!?」「……ッ!!」
俺の冷たい肌に触れた瞬間、男の表情が変わった。苦悶に歪んでいた顔が、とろけるような恍惚へと変わる。
「……なんだ、これは……」
「は、離せ!火傷するだろバカ!」
「ああ……冷たい……気持ちいい……」
男は俺の抗議など聞いちゃいない。強い力で俺を引き寄せると、そのまま俺の上に覆いかぶさるようにして倒れ込んだ。
ドンッ!
「ぐえっ!?」
重い!しかも熱い!だが、男は俺を離さない。それどころか、俺を巨大な氷枕か何かと勘違いしているのか、手足を絡めてガッチリと抱きついてきた。
「逃がさぬ……」
「はあ!?おい、起きろ不審者!」
「すー……すー……」
寝た。こいつ、人の上で秒で寝やがった!
(嘘だろ……!?警備兵は何やってんだよ!)
俺は必死に身をよじったが、男の腕は鋼鉄のようにビクともしない。それどころか、俺の冷気が気持ちいいのか、さらに強く抱きしめて頬ずりしてくる始末。
「うう……重い……」
この時の俺は、まだ知らなかった。この抱きつき魔の不審者が、この国の王様・炎だということを。そして、この一夜のせいで、俺の「平穏な逃亡ライフ」が粉々に砕け散ったことを。
(第1話完)




