第8話 2人の時間
「あ、先輩!お疲れ様でーす」
7月。
僕がいつものように閑散とした店の中のレジに突っ立っていると、バックヤードの方から姿を現したのは僕と同じ制服を身につけた彼女の姿だった。
傘を貸した雨の日からもう一カ月が経ち梅雨も明けようとしている現在、研修期間を終えた彼女とシフトが重なることも多くなっていた。
僕の愛用する黒い傘は数瞬間前に返してもらっており、今は僕の家にある。
「品出しの方は?」
「店長がまだ大丈夫って。16時からノート類とか縄跳びが届くからそれをやれって言ってました」
「了解」
僕はそう返事をする。品出しの必要が無い以上、彼女は僕の隣に並んでレジに立つ。
「そう言えば、お母さんと仲直りはしましたか?」
彼女はそう口にして、僕と母さんとの関係を心配してくれる。傘を返してもらった時のバイトの時、母さんが「関わらないでとは言わない。でも、もう連れてこないで」という旨を僕に話したことを彼女に伝えてからと言うもの、彼女は執拗に僕と母さんの関係を心配する様になっていた。
母さんとの関係としては、あの後大きなイザコザなどはないけけど、どこかぎこちない空気が続いている。
「うぅん、どうだろう。何というか、ずっと微妙な空気が続いてるような感じ」
「──ごめんなさい……」
彼女がそうやって謝罪の言葉を口にしたから、僕はギョッとして彼女の方を見る。
「いやいや、どうして君が謝るの?」
「だって、私が先輩の家に傘を借りに行っちゃったから気まずくなっちゃったわけで……」
「大丈夫だよ、そんな心配しなくて。別に僕は1日中母さんとずっと2人で家にいるわけじゃないんだしさ」
大学にも行っているし、バイトもしているから家にいる時間がそう長いわけでも無い。
家にいたとしても、リビングにいる時間よりも自分の部屋にいる時間の方が長いのは母さんとの関係が悪化する前からのことだから特に変わったことは無い。
母さんの方も、ご飯が出来ても呼んでくれないだとか服を洗濯してくれない──みたいないじわるをしているわけじゃないし、表面上は何も問題はないはずだ。
それこそ、父さんは僕と母さんが微妙な空気になっていることに気付いてすら無いかもしれない。
「だから、気にしないでいいよ。まぁ、君が僕の家に来ることは難しいかもだけどね。来る予定も無いし、問題ないよ」
「──そう、ですね」
彼女はどこか自信なさげにそう口にする。そして、十数秒くらいの沈黙が続いた後で彼女は意を決したように口を開く。
「やっぱ、白髪が駄目でしたかね?荻谷啓二と同じ白髪だったから……」
「まぁ、そうだね。母さんに君のことを説明した時も白髪って言ったら途端に不機嫌になったしさ」
「そうですか……」
そう口にして、彼女は綺麗に染められている白髪をゆっくりと撫でる。
「白髪をやめたら、先輩のお母さんは私の事を嫌いなのやめてくれますかねぇ……?」
「どうだろう。でも、白髪をやめたらとりあえず何も話も聞かずに突っぱねるようなことはしないと思う」
「成程」
「まぁ、『英雄』が嫌いって言ったら一発アウトになっちゃうと思うけどね」
僕は冗談めかしてそう口にするが、彼女の耳にはそんな言葉など届かないと言う程に、真剣そうな表情をして何かを考えていた。
そんな彼女に対して何と声をかければいいのかわからず、また沈黙が広がっていく。
冷房が動く音がよく聞こえる店内で、彼女は腕を胸の前で組みながら天を仰ぐ。そして、
「──先輩が先輩のお母さんを説得することはできないんですか?」
なんて、彼女は僕にそんな質問をしてくる。
質問に対する答えを模索してみるけれども、母さんを説得できるような巧みな話術は持っていないし、何か説得できそうなきっかけがあるとも思えなかった。
「うーん、難しいかも。微妙な空気が広がってるって言ったけど、母さんはそれを指摘してもしらばっくれるだろうしさ」
母さんならばそうする──という想像がついてしまった。きっと、現状を打破するために声をかけても「何のこと?」などとわざとらしく口にして僕の言葉を真面目に聞き入れないだろう。
「そうですか……」
「ごめんね。不甲斐なくて」
「いやいや、先輩は謝らないでください。元はと言えば、『英雄』が嫌いってことを示すために白髪にしてるんだからこうなったのは当然の結果だとも言えますから」
どこか誇らしげにそんなことを口にする彼女。
「でも、先輩とお母さんの仲が悪いのは見過ごせないから白髪は『英雄』の命日までには卒業しておきますね」
「えぇ、そうなの?可愛いなって思ってたのに……」
「私は何色でも可愛いですから、残念に思う必要は無いですよ」
彼女はそう口にして、自信ありげな可愛らしい笑顔を僕の方へと向けてくる。
可愛いらしい彼女に僕の心はいつものようにくすぐられる。でも、最近は平静の装い方を掴んできた。
だから「お、じゃあ楽しみに待ってようかな」などと、軽口で返す。
「じゃあ、『英雄』の命日──私達の誕生日にはシフトを合わせないとですね」
「誕生日にシフト?」
「はい。あ、忙しいですか?」
「いや、全然。どうせ家にいても『英雄』の命日で退屈だからさ」
「じゃ、一緒にシフトをいれて誕生会をしましょ!」
「うん、いいよ」
僕も、20歳の誕生日を彼女と一緒に過ごせると言うのなら万々歳だ。
母さんと一緒に気まずい空気の家にいるよりも、彼女と一緒に働いた方が何倍も楽しいだろう。
「じゃあ、シフトの時間は今日と一緒でいい?」
「はい。それで問題ないです」
「わかった、じゃあ店長に念押しして言っておくよ」
「ありがとうございます」
彼女は、ツインテールを揺らして可愛く笑う。彼女の白髪が見れるのも後数回か、と思いながらも別の髪色を楽しみにしている自分もいた。
「先輩、誕生日。楽しみですね」
「うん」
20回目の誕生日は、これまでの人生で一番楽しくなりそうだ──まだ誕生日まで一カ月あるはずなのに、僕は心の中でそんなことを思ったのだった。




