第6話 一触即発
僕の家の玄関で、母さんと彼女が鉢合わせる。
僕の母さんは彼女を「荻谷啓二と一緒の白髪にしている」と言う理由で嫌っているし、彼女は僕の母さんが『英雄』の大ファンであることを知っている。
ハブとマングースのような関係である2人は、会話も無くただ見つめ合っていた。
僕は、なんとか2人の間に割って入ろうとするけれども適した言葉を見つけられず、藻掻くように息をすることしかできない。
そもそも、僕はこの場で何を話せばいいのだろうか。彼女を連れて来た理由を説明する?それとも、彼女のことを紹介する?いや、その両方かもしれない。
そう迷っていると、気まずさに耐えきれなくなったであろう彼女が首だけの会釈をしながら「はじめまして」と母さんに挨拶をする。
母さんもそれに応じるように「こちらこそ」とゆっくりと頭を下げていた。
どうやら母さんは、突然の来客である彼女を無闇に追い返すことができないようだ。
だけどまぁ、母さんは『英雄』の大ファンであるけれど常識が欠けているわけではない。家族の前では『英雄』のファンであることを隠さないが、赤の他人の前ではある程度の許容を見せるだろう。
だけど、彼女に対して何か難癖をつけて文句を言う可能性も拭えなかった。だから僕は、当初の予定通り傘を貸して彼女を帰らせることにした。
「この子、この前僕が話したバイトの後輩なんだけど。傘忘れちゃったらしくてさ。貸していいよね?」
「え、えぇ」
母さんは、僕の言葉に小さく頷いて返事をする。それに対して彼女は微笑を浮かべて「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にした。彼女も嫌味や皮肉からそう口にした訳ではないだろう。
僕が彼女に黒い傘を手渡すと、母が「もう暗いんだし、駅まででも見送ってあげなさい」と口にする。
僕は一瞬彼女の方を見てから「わかった」と返事をして、自分の分のビニール傘を取ってから玄関の外に出て、その扉を閉める。
母の姿が玄関の扉で見えなくなってから、僕は大きく息を吐く。そして、隣に立っている彼女にこう語りかける。
「まさか母さんが出てくるとは。びっくりしたよ」
「はい。一瞬固まっちゃいました」
そう口にして彼女は傘を持っていない方の手を口の前まで持って行って可愛く笑う。
そういう小さな仕草を可愛いと思えるし、心を揺さぶられる。母さんも、ちゃんと彼女と向き合えば彼女が悪い人ではないことをわかってくれるかもしれない。ファーストインプレッションこそ白髪が理由のマイナスだが、何度か言葉を交わせば印象をプラスの方へ持って行けるだろう。
──と、そんなことを考えながら僕は手元の傘を開いて「行こう」と彼女に声をかける。
彼女は、そんな僕を見て「はい」と返事をして、僕の渡した黒い傘を開く。バサリと大きな音を立てて、彼女はその黒の庇護下に入る。相合傘ではないけれど、僕の傘を使っているのを見るとどこか誇らしい。
僕と彼女は家の敷地を出て、2人並んで歩きだす。すると、彼女が前を向いたまま一つの質問を投げかけてくる。
「先輩のお母さん、『英雄』の大ファンなんでしたっけ?」
「うん。昔『英雄』に救われた~とか言ってさ。正直言うと、2人でケンカになっちゃうんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
僕は、差した傘を左からのかけながら右を歩く彼女の方へ顔を向ける。パラパラと雨が2人の傘を打ち、雨の日特有の車の走る音が僕の左側を貫いていく。
「流石に先輩のお母さんとケンカはしませんよ。『英雄』嫌いの方が異端ってのは重々承知ですから」
彼女と話しているとつい忘れてしまうが、『英雄』嫌いは日本において少数派だった。いや、きっと海外に入っても『英雄』の名前を出せば「好き」と答える人の方が多いだろう。
功績こそ違うが、『英雄』とはナイチンゲールやエジソンのような誰からにも高評価を得られるような偉人なのだ。
彼女は、そこのところをしっかり弁えているらしい。自分は少数派であることを自覚したうえで、髪を白く染めたりなどと言った婉曲的で間接的な反逆をしているようだ。
僕はこれまで、『英雄』は嫌いだったけど肩入れしない程度のことだった。要するに、『英雄』が嫌いだからと言って自分から何か世間に反抗しようとしなかった。
もちろん、思春期真っ盛りの中学生の時とかに、母さんに反駁して「『英雄』も母さんも嫌いだ」みたいなことは言った覚えがあるが、彼女の反駁と比較すると僕の行動は思春期特有の行動としか思えない。
だから僕は、彼女を心のどこかで尊敬している。僕は、彼女の「『英雄』嫌いの方が異端」という発言に同意を示したうえで、彼女にその旨を伝えた。
すると彼女は、
「そうですか?別に凄いものでも偉いものでもありませんよ。逆張りとか中二病みたいって言われたこともありますし」
彼女はそう口にして少し目を伏せる。けど、すぐに僕の方を向いてこう続けた。
「でも、こうして『英雄』を嫌いで居続けてよかったこともあります」
「──何?」
「こうして、先輩と仲良くなれたことです」
そう口にして、彼女は僕の方へ満開の笑みを見せる。
「僕もだよ」と、なんとか無難な返事を探して彼女の言葉に同意する。
そして、お互いにちぐはぐな会話を続けて僕は彼女を無事に駅まで送り届けたのだった。




