第3話 『英雄』論争
──『英雄』生誕六十年。
そんなことが書かれている黄色い幟と、初々しい色をした若葉を明るく照らす人口の灯りを裂くように僕は駅前を歩く。
陰鬱として行きとは打って変わって、商店街を突っ切って家へ帰るの足取りは軽かった。
帰ってもすることは何も無いけれど、今の僕は落ち着かない。
『英雄』の誕生日を祝う今日という日に出会った一人の少女──僕と同じ日に生まれて同じ悩みを共有する運命とも言える彼女が、僕の心を占拠していた。『英雄』は嫌いだったけど、『英雄』が理由に彼女とココロを繋がれたのなら、『英雄』には感謝してもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、『英雄』の生誕を祝う商店街を抜けて帰路についた僕は、高めのテンションで家の扉を開ける。
「ただいまー」
「おかえりー」
リビングの方から聴こえてくる母の声。僕は靴を脱いで、手洗いうがいをした後にリビングに顔を出す。
「今日の晩御飯は?」
「生姜焼き。もうすぐできるよ」
「わかった。じゃ、風呂はご飯の後かな」
「そうして」
僕は母のそんな声を聞くと、一度2階の自室に戻って荷物を置いた後、そのままリビングに戻る。
テレビの前に置いてある茶色のソファに腰を下ろし、スマホでショート動画を見る。数分程すると、母さんが「何ボケっとしてんの。スマホ見てないでテーブル拭いて」そう言い、リビングに併設するキッチンから台拭きをテーブルの方へ投げる。
僕はソファから体を引き剥がし、右手の中にあったスマホをズボンのポケットにしまってから灰色の台拭きで机を拭いた。
「今日、父さんは?」
「8時半くらいだって。だから先に食べちゃいましょう」
「はーい」
母さんはそう言うと、生姜焼きを盛り付けた皿をテーブルの方へと持ってくる。
僕は、キッチンの方に行き、僕と母さんの2人分米をよそう。父さんが8時までに帰って来れれば一緒に食事をするけれど、そうじゃなければこうして2人で食べている。
母さんが8時までに夜ご飯を食べ始めるのは、『英雄』の真似事だった。逆に言えば、こだわりが強いのは母さんだけだから、僕や父さんは無理にその時間に合わせようとはしていない。
ただ、母さんとは家族だから無理のない範囲で同じ時間に食事をしている。それだけのことだった。
「今日はケーキがあるから。おかわりしすぎないでね」
「そう。また『英雄』?」
「そうよ。今日は『英雄』様が生まれて六十年だもの」
母さんは、毎年のように『英雄』の誕生日を祝っている。
昔はケーキを食べれるし、『英雄』誕生日で学校は休みだしで嬉しいことも多かったけれど、最近はその有難みも少ない。
「それにしても、よく飽きないね。毎年毎年」
「当たり前じゃない、『英雄』様は私を救ってくれたのよ。『英雄』様がいなければ、アンタは生まれてなかった」
そう口にしながら、母さんは口の中に生姜焼きを運んでいく。
母さんが『英雄』に救われた──という話は、これまでの人生で耳にタコができる程聴いた。
僕が『英雄』に文句を言うとすぐ、そんな話を持ってきて『英雄』の素晴らしさとやらを語るのだった。
「──って、そうだ。今日さ、バ先に新人の子が入ったんだけどさ。誕生日が一緒なの」
「『英雄』様と?」
「僕と」
「あら、そう。じゃあ、『英雄』様の命日に生まれたってこと?」
「そういうこと」
「同い年?」
「うん」
「珍しいわね。お母さん、初めて会った」
「僕も」
「男の子?」
「ううん、女の子」
母さんとテーブルを囲み食事をしながら、そんな話をする。
これまで、あまり興味が無さそうにしていた母さんであったが、僕が「女の子」と口にした途端にこっちを見る。
「あら、可愛いの?」
「まぁね」
「仲良くなった?」
「うん。僕が色々教えることになったからさ。どうせ人が来なくて暇だからお喋りして待ってたんだよ。そしたら、誕生日が一緒だって言うから。白髪の可愛い子だよ」
「──白髪なの?」
彼女の最大の特徴である髪のことを話すと、母さんはそれを目を細めて聴き返してくる。
まさか、白髪と白髪を勘違いしているのではないか、そう思ってすぐに「染めているの」と訂正を入れるけれど、不信感が拭えたようには見えない。
「母さん、髪染めてる人ダメだっけ?」
「……別に」
何故かはわからないけれど、母さんの機嫌を損ねてしまったようだ。
白髪であることの何がそんなに問題なのだろうか、考えてもわからなかったし母さんに聴いても教えてくれないだろう。
インターネットで「白髪 なぜダメ」と調べても何かめぼしい情報が出てくるわけではなかった。
もしかしたら、母さんの白髪が増えていることを気にして不機嫌になったのかもしれない。
まぁ一応、次彼女とシフトが被ったら彼女が白髪にしている理由を聞いてみよう、そんなことを思いながら僕は生姜焼きを食べ終えた。
「ケーキはどうする?もう食べちゃう」
「……そうね、お父さんと一緒に食べましょう。お風呂入っちゃって」
「わかった」
僕は、母さんの指示に従って風呂に入る。
次はいつ彼女に会えるだろうか。そうやって、ふとした瞬間に彼女のことを考えてしまう自分がいた。




