7.ファーストデイ・ファーストエンカウント〈2〉
次にすることが決まれば、白無はスマートフォンを取り出した。
「……スマホで呼ぶのか?」
少し驚いた様子で、有栖は問う。
「うん。メッセージを送る」
白無は答えながら、素早くスマートフォンを操作する。慣れた手つきで、片手だけで画面をタップして、すぐに顔を上げた。
「……大丈夫。このスマホ、スクエアから貰った特別製だから。その代わり、機能の制限も多いけれど」
そして、有栖への答えに捕捉するように、白無は続ける。ハッキングとか、情報漏洩とか、それらに心配はないと言いたいのだろう。
「ああ、そういうことかよ」
すると有栖は、見るからにホッとして呟いた。わかりやすいその反応を誤魔化そうとして、彼女は会話を進めていく。
「……こほん。その、詩星と蒼伊……だっけか。その二人は、あとどのくらいで来れるんだ?」
「そのことなら……──今、返事が来た。確認する」
白無はスマホ画面へと顔を落として、文字に目を通している。続けてすぐに顔を上げると、わかりやすく1本の指を立て、もう一本で丸を作る。
「二人揃って、十分くらいでここへ来る……と、詩星から纏めて返ってきた。それから、また合鍵を持ってくるらしい。有栖は、侵入者と勘違いしないように」
「了解。……結構早いな」
「かなり近いし……二人とも、移動速度も速いから」
「なるほど。承知した」
有栖はそう答えて頷くと、椅子の背もたれに体重を預けた。十分間ほどリラックスして待とう、というような振る舞いだった。
白無もそれは同じようで、背もたれには腰掛けないままだったが、静かに待つ態勢へと入っていた。
千夏も二人に倣って、彼らの到着を待つことにした。そして、「うーんっ」と背伸びをして、テーブルへと上体を預けたのだった。
▽
あれから、三人は椅子に腰掛け続けて、十分ほど静かに待っていた。正確には、八分と数秒だった。
千夏はテーブルの上でダラダラとしながら、暇をしていた。白無との意地合戦を続ける気は、流石にもうなかった。正確に言えば意地はまだまだあるが、言い合う気はなかったのだ。
時計の針が、また一分経ったことを知らせた。
そこで──白無と有栖が、立ち上がった。
「──来た」
「──来たな」
二人は個々でそう呟き、階段付近まで歩き出す。
二度目のことだったので、千夏も慌てはしなかった。比較的落ち着いた動きで、二人の後を追って行った。
散らかっている中での歩行にも慣れてきたけれど、流石に前の二人は早過ぎる。結局は目的地の階段付近で、千夏は二人に追いついた。
そこにいた客人は、予定通りに二名だった。
片方は、再び会うことになった詩星。彼は三人を見回すと、相変わらずの元気さで笑みを浮かべる。
もう片方は、千夏が覚えのない青年。整った、青みがかった黒い短髪。キリリとした、冷静そうな瑠璃紺の瞳。黒色に深い青色のアクセントが入った、シンプルかつどこかの隊服っほい服装をしていた。全体的に氷のような印象を持つ青年だが……彼が蒼伊である、ということなのだろう。
二人のどちらにも覚えがないだろう有栖は、彼らに向かって問いかける。
「……詩星と、蒼伊か?」
「うん、俺が詩星だよっ。そんでもって──」
大きく頷いた詩星は、自然に隣へ目配せをして、
「──俺が蒼伊だ」
青年は、予想通りに蒼伊と名乗った。加えてイメージ通りに、澄んで突き抜けるような声をしていた。
両方ともと顔見知りなのであろう白無は、一番冷静に彼らを見やる。
「……ようこそ」
「いやあ、久しぶりっ。じゃないね、一日ぶりだねっ」
自分で自分に突っ込むように、詩星は挨拶を返す。片や蒼伊は、軽い会釈だけをした。
彼らの様子を確認した後、白無は体ごと反対の方を向く。そうして再び、ゴミ山へと一歩を踏み出す。
「とりあえず……部屋に上がってほしい」
次に白無は、首だけ後ろへと振り向いた。そのまま詩星たちを見やりながら、そう言って要求したのだった。
▽
今、合計で五人が地下室にいた。そして、テーブル傍の椅子は四つであった。地下室の椅子は、これで全部だった。
五人とも皆、我先にと椅子に座ることはなかった。案外、殊勝な者が多いと言えよう。
「うーん……一階にある椅子でも持ってくる?」
腕を組みながら、詩星が提案した。しかし、次いで蒼伊が言い返す。
「いや、別にいい。俺が立っておく」
その申し出には、普通は遠慮をするところだ。が、白無は違う。
「……了解した」
彼女は、あっさりと申し出を受け入れて、ひと足先に椅子へとついた。
それに倣うように、有栖も先ほどと同じ椅子に腰掛ける。続けて、「いいから、早く本題に入るぞ」と告げた。彼女としては、護衛任務の話が優先なのだろう。自分の命の問題なのだから、そこは致し方ない。
詩星はまだ立っており、ずいっと蒼伊へ身を乗り出す。
「蒼伊、代わろうかっ?」
「……だから、別にいい」
先ほどの申し出を流用して、蒼伊は答えた。
しかし、今度は詩星が言い返す。
「え〜、蒼伊が疲れちゃうじゃん〜……あっ!」
何か思いついたように、彼は手をポンと叩く。
「じゃあ、蒼伊が俺の上に乗るとかっ──」
「──却下」
「あ、逆がいいっ? 俺が蒼伊の上に──」
「──却下」
思いつきでの提案は、流れるように、連続で蒼伊に却下された。
よって結局のところ、会話前から結果は変わりない。蒼伊が詩星の隣に立って、他の四人は前と位置を変えず、椅子に腰掛ける。蒼伊にはかなり申し訳ないが、少々大変そうな形になった。
ゴミ山で立ち続ける自信のない千夏は、彼へと大いに感謝した。
▽
皆の体勢が落ち着けば、最初に話を切り出したのは、騒がしい詩星だった。
「それでっ! 呼び出した理由は何かなっ?」
詳細まではメッセージで伝えられていなかったのか、ウキウキと詩星は問う。
「……言ってなかったのか?」
白無へ目配せをして、小声で確認する有栖。
「特別製スマホとは言え、最低限のやり取りしかするつもりはないから」
「……そのやり方で、相手が何言いたいか分かるもんなのか?」
「うん。……手短に、固有名詞は書かない。それでもやり取りはできる」
「……それはそれは、信頼できることで」
白無の仕事人らしい返答に、有栖は感心したようである。
そしてそのまま、有栖は目線を彼らへと移す。
「私を護衛してほしい。それが、白無が二人を呼び出した理由だ」
その要求を受けて、詩星は「ふむふむ」と頷いた。
「勿論いいよっ! ……って言いたいところだけど……まず、キミって誰? 見たことないけど、初対面だよね?」
すんなりとオーケーすると思いきや、彼はしっかりと情報を探る。よく考えたら名前すら知らない初対面なのだから、請け負う前に調べるのは当たり前のことだろう。
対する有栖は、要求をする側。故に、素直に情報を明かす。
「コードネームは有栖。──フリーの殺し屋だ」
「──殺し屋……!」
驚くように反芻したのは、傍に立っている蒼伊の方だった。詩星の方は、表情と言葉を消している。
次に詩星は、目を細めて白無を見た。
「あのさ、白無。俺たち、殺し屋の護衛をするの? そりゃ、俺たちも同じ穴のムジナだとは思うけども、ちょっとは警戒もするよ?」
「……悪いタイプの殺し屋ではないから、そこは安心していい」
白無はフォローのように、けれど淡々と答える。実際のところは、有栖のフォローは目的ではなく、ただ意見を告げただけだ。
しかし、白無の言葉というものは、かなり信用があるらしい。
「白無がそう言うなら……ちょーっと話してみるけども」
詩星は伸びをしつつそう言って、結局は譲歩してくれたようだ。
フリーの殺し屋、日本の機密組織所属のスパイ。言葉だけ聞けば確かに相容れないなろうと、千夏も思う。
けれど千夏は別のところで、ふと、気になる話題ができた。
「そういえば、白無って……他人が殺すのはオーケーなの?」
「……何?」
藪から棒に何を言うのかと、白無は短く聞き返す。
「いや、『殺されない、殺させない』、とか言ってたけど……他の人の殺しについては、どう思ってるのかなー……って」
「……ああ」
千夏の詳しい問いかけで、白無は理解したようだった。
理解した上で、平然と答える。
「……そういうことなら──どうとも思ってはいない」
「……──!」
対して千夏は、単純に驚いた。目を丸くして、かなりの予想外を感じた。
「『殺されない、殺させない』は……『生かし屋』としての、ただのルール。だから、他人は気にしていない」
そして、白無は返答を続ける。千夏としては、自身の理解が及ばぬ話だった。
「わからなくても、それでいい。ルールと心情は別。自分と他人は別。それは殺しでも同じこと。……ただ、それだけだから」
さらに白無は、淡々と続けた。理解できないのが普通なのだと、それを理解しているようだった。
けれど千夏は、今度は別の意味で目を丸くした。
「……あ。寧ろ、今のでなんとなくわかったかも」
理解できたかもしれない、と、千夏は確かにそう言った。
その言葉は、白無にとって予想外だったのか、そうでもないのか。変わらず無表情な白無の、内心はわからない。
「……そう。……なら、それでいい」
白無は最後にそれだけ告げて、この会話は終了した。